第二十五話 「いのち」の重さ
勢いで書いたら最長記録更新。
今回、珍しくちょいシリアス成分有り。
西暦二五七〇年/ブリストン暦四五六年 天蝎の月(八月)二十日
エデン外縁部 防壁付近
ズン、ズン、ズン
そんな音と共に、エデン防衛軍の射砲陣地に一人の男が帰って来た。
警戒を続ける兵士達の横を通り過ぎるその男を、兵士達は無言の敬礼で迎える。
男は黒い機械鎧を纏っており、その鎧は所々がまだ生温かい血で汚れている。しかし男が右手に持つ大太刀は全く血に汚れておらず、ヒィィィィィイインというかん高い音を立てている。
男は歩き続け、三人の兵士達の前で立ち止まる。
三人は男の物よりは大人しいフォルムの機械鎧を身に纏っており、ヘルメットだけは取って、素顔で男を、彼等の隊長を迎える。
「隊長、お疲れ様です」
ライル・ティカッツが敬礼しながら一歩前に進み出て、男に労いの言葉をかける。
それに対して男、アレス・レックスは、ただ億劫そうに大太刀を少し持ち上げて答えた。
持ち上げた所でアレスは、刀型の単分子カッター「ムラマサ」がまだ駆動している事に初めて気付き、「ジ・アトラス」を通して停止させる。
「ムラマサ」の駆動音も消え、沈黙が周囲を支配する。
「………」
「………」
「………」
「………」
続く沈黙。
それを最初に打ち破ったのは、アレスだった。
「………約七万といった所だ」
「…は?」
「歩兵、騎兵、弓兵、巨鳥。合わせて七万程を殺した。敵の正確な数は知らないが、これ以上戦闘行動を継続する事は不可能だろう」
大規模な軍団の戦闘において、どちらかが全滅するまで戦いが続く事は、地球の歴史においても殆ど無い。
基本的に軍団全体の一割や二割の損耗で勝敗は決するし、数万以上の大規模戦闘だと、三割以上の損耗で軍団を維持出来なくなり、壊滅と見なされる。
今回のフランシナ帝国遠征軍の全様は約十二万の兵士で構成されており、アレス一人に七万を潰されたフランシナ帝国軍は、約六割壊滅という被害を被っている。
その上、大将まで討ち取られたのだ。兵自体は五万程残っているが、統率の取れた軍隊としては限りなく全滅に近い壊滅状態といった所だろう。
無論、この世界でも元の世界でも、一人で約七万など、並ぶ者のいない大偉業だ。しかしそれを成した本人であるアレスは、ちょっと面倒な残業を終わらせて来たサラリーマン程度の疲労感だけを顔に貼り付けて、ボビーから「スイーパー」を受け取る。
そんなアレスに対して、ライル達はただ、敬礼を送る。
「………ご苦労様です」
「ん、苦労したよ」
アレスはそうとだけ言い残すと、装備を纏めて防壁の作業用通路にゆっくり歩いて行く。
その雰囲気こそ、一仕事終えたばかりの若い社会人といった風だった。
しかしライル達ゴースト隊の三人の目は、その背中にある物を確かに捉えていた。
透明な、だが、確かに見える物。
殺した者の怨念がドス黒く見えるとかいうなら、まだ分かり易い。
しかしアレスの背中にある物は、ただただ強くて、ただただ純粋で、ただただ重い。
ただ、そんな物。
あのメルピアすら、そんなアレスにかける言葉は無く、ただ見送るしか無かった。
数時間後 エデン臨時最高統括府 最高統括官執務室
「ふう…」
すっかり慣れた自分の執務室で、アレスは溜め息をついた。
つい一、二時間前、ボルドロ・アゴーイル第二席将軍に代わる者を臨時指揮官にしたフランシナ帝国遠征軍から、降伏宣言を引き出せた。
最初は徹底抗戦を唱えていた彼等だが、結局実戦には投入出来なかった戦車による主砲射撃を数回見せたら、簡単に降伏した。
その際、主力戦車の主砲による砲撃でフランシナ帝国軍人が三、四百人程死んだが、それは全く関係の無い事だろう。
ともかく、フランシナ帝国の降伏により、この短い戦争は幕を閉じた。
国家元首たるアレスは今、その事後処理に追われていた。
とは言え、前回の魔族侵攻時よりはかなり楽だ。
今回の戦闘ではエデン側に死者及び戦闘による負傷者は出ていない(数人が事故により軽傷を負った程度)。防壁の内側に攻め込まれてもいないので、一般市民に保証金を出す必要も無い。
今回のアレスの仕事と言えば、各部隊の報告に目を通し、集計された戦費を考慮した上で、後に行われるであろうフランシナ帝国との会談で賠償金を請求する事ぐらだ。やり手のデスクワーカーなら半日で終わる量である。
だが、そこはアレスは生粋の軍人。半日で終わる訳も無く、今もまだ、慣れない書類仕事に追われていた。
コンコンッ
「どうぞ?」
ノックに答えると、入って来たのは意外な人物だった。
「えへへ」
「マナ?」
はにかみながら入室してきたのは、アレスの幼馴染にしてストーカーにして自称妻にして秘書の、マナ・フローレンスだった。
別にマナがこの部屋にやって来るのは意外でも何でも無いが、わざわざノックして入って来たのが意外だったのだ。普段はそんな事しない。
「今日は、どうしたんだ?」
少々おかしく思って尋ねるが、マナはただ微笑むだけで答えず、アレスが休憩の為に座っていたソファのアレスの隣に座る。
これも普段ならアレスの膝の上に座ってもおかしくは無く、今日のマナのおかしさを際立たせる。
そして、マナはアレスの腕にしがみ付くでも無く、ただ真顔で、ジッとアレスの顔を見詰め続ける。
流石におかしく思い、アレスはマナに向き直って改めて尋ねようとするが、
「なあマナ、一体どうしたっていう…んむっ?」
マナが静かに差し出した人差し指が、アレスの口を塞ぐ。
そしてマナは、アレスに柔らかく微笑みかけ、逆にゆっくりと尋ねる。
「まだ、軽かった?」
「っっ!!??」
絶句したのはアレスの方だった。マナに口を塞がれていたので声は出なかったが、塞がれていなくても、その口から漏れたのは意味を成さない言葉だっただろう。
そんな反応を見せるアレスに、マナは口から人差し指を退かしながら、再度、今度はより詳しく尋ねる。
「人の命は、まだ軽かった?」
そんな問いを発したマナを、アレスは呆然とした様な表情で見詰める。
マナは、柔らかい微笑みを浮かべたまま、アレスを見詰める。
そのまま暫く見詰め合う二人。
そして、アレスの方が先に動いた。
小さく、首を縦に振ったのだ。
それに対して、マナは小さく頷きながら、
「…そう…」
とだけ言う。
再び二人の間に、沈黙が立ち込める。
次に沈黙を破ったのは、マナだった。
彼女は静かに語り出す。
「………私ね、知っているんだ。あなたが、このエデンに帰って来れた理由。本国の軍部高官達が、あなたのエデン配属を許してくれた理由を」
そこでマナは一度言葉を切り、アレスの顔を窺う。アレスは無表情で先を促した。
マナは顔を伏せ、しばらく躊躇う素振りを見せてからポツリと言葉を紡ぐ。
「………『クリスマスの惨劇』」
マナの囁いた単語に、アレスはピクリ、とだけ反応したが、無言を貫く。
「露中印の三国で泥沼となったユーラシア大陸への、アメリカを首魁とした西側諸国連合による平和維持を題目とした軍事的侵略、『ユーラシア戦争』。それに、あなたは………」
言葉を紡ぐマナの声が、はっきりと分かるほど震え始めた。
それを半分聞き流しながら、アレスはつい一年半の過去を反芻する。
ユーラシア戦争。
地球でほんの一年前、西暦二五六八年に終結した、その名の通りユーラシア大陸を主戦場とした戦争。
参戦した国家は、西側諸国連合がアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ブラジル、オランダ、オーストラリア、そして日本。対するはロシア連邦、大中華連邦、インド共和国の三国。
太平洋方面からは日本、ヨーロッパ方面からは協力的な中東諸国の手引きによってスムーズにユーラシア入りを果たした西側連合に、露中印の三国は足並みを揃えるまでにさんざん敗走に敗走を重ね、三国によるユーラシア連合が結成された頃には大陸内陸部にまで押し込まれていた。
しかし、内陸部に篭ったユーラシア連合は地の利を活かしたゲリラ戦法を続け、戦況は一進一退を繰り返した。
その強い要因となったのが、ユーラシア連合が総司令部を置いた最後の砦。
ネパールのヒマラヤ山脈地下に建設された巨大軍事基地。その名もストレートに、『ネパール』。
単なる軍事基地ではなく、支援基地としての機能、巨大軍需工廠も備えた、超長期における戦争継続を可能とする多目的巨大軍事要塞。
フットワークの軽いゲリラ戦法に加えて、確固たるバックアップ態勢。
西側連合は思うように侵攻できず、戦争は泥沼の長期化すると思われた。
転機が訪れたのは、西暦二五六八年の十二月。
アメリカ軍の上級幹部候補生育成学校の卒業試験の一環として、卒業を控えた生徒達がユーラシア大陸の土を踏んだ。
安全な後方での、簡単な偵察任務等だけを数回行い、帰国する。ただ、それだけだった筈だった。
いったい、何がどう間違ったのか。
アメリカ陸軍上級幹部候補生育成学校、第二七五期生。
総勢一二〇名の候補生達は。
ユーラシア連合総司令部『ネパール』攻略作戦の、尖兵として送り込まれた。
自分が与えられた兵を失わずにノルマを達成しようとした現場指揮官の暴走。
それによって彼等に命じられた任務は、『ネパール』第二防衛ラインへの攻撃。それも、件の現場指揮官の部隊が奇襲を行う為の陽動。死ぬまでが任務の作戦だった。
「一二〇人の候補生達に、たった一体だけ支給された汎用型AA。それであなたは………」
一体だけのAAは、最も上手く扱える者に託された。
正直、彼等はこの時に至っても、まだ違和感をあまり感じていなかった。妙に長距離の移動はあったが、自分達が行うのは、卒業試験に丁度良いレベルの致死性の低い任務だと、まだ信じていた。
それも仕方が無いと言えば仕方が無い。末期な国の国家元首が少年兵を戦場に送り込む話はあっても、暴走した現場指揮官風情が本国の優秀な幹部候補生を私利私欲の為に捨て駒にするなど、悲劇作家でも予想できまい。
ともかく、彼等は何も知らないまま、敵のど真ん中に放り込まれた。
彼等が異常に気付いたのは、中隊長クラス志望の優秀な一人が、呆気無く頭を撃ち抜かれて死亡した時だった。
直後、四方からの重機関砲による十字射撃を受けた時、候補生達は狂乱に陥ると同時に、一気に五十人程が死んだ。
その後は、もう地獄だった。
物陰に隠れればグレネードで爆殺され、頭を出せばスナイパーに狙撃され、逃げようとすれば蜂の巣にされ、突撃しようとすれば指向性対人地雷の洗礼を浴びる。
教科書での対処法は分かっていても、実践するにはあまりにも苛烈過ぎる状況。熟練の特殊部隊でも不可能に近い事を、新兵にもなっていない候補生達が出来る訳も無く。
一人、また一人と、候補生達は若い命を散らしていった。
その光景を目の当たりにした、唯一AAを装備した者は、
『クリスマスの惨劇』。
西暦二五六八年十二月二十五日に起こった、ユーラシア戦争の終結でもあるこの戦闘は、西側諸国連合の勝利で幕を下ろした。
本来はいくつかの防衛ラインの戦力を削るだけの隠密作戦だけの筈だったが、『ネパール』の第一防衛ラインが突如として壊滅した為、連合軍の司令官の判断によって総攻撃が行われた。
壊滅した第一防衛ラインを通り抜けた連合軍の兵士達が見た物は、壊滅した第二防衛ラインと第三防衛ライン。そして、一人の力尽きたAAソルジャーを守る、本来ここにはいない筈の上級幹部候補生達だった。
連合軍の高官達は、驚愕した。
満身創痍と言っていい状態だったAAソルジャー。肉体に負った損傷に加え、新品同然の状態で支給された筈なのに、数年間使用したかの如くボロボロになったAAに。
そしてその戦闘ログに残された、彼がたった一人で第一から第三防衛ラインのユーラシア連合軍、合計で約三万人を抹殺し、壊滅させたという事実に。
生き残った幹部候補生八名は、直ちに本国へ送還され、軍の高官達による裁量にかけられた。
彼等を捨て駒にしようとした現地指揮官は『クリスマスの惨劇』で死亡しており、処分は降格処分、名誉剥奪、遺族への年金剥奪にとどまった。
そして問題は彼等の、特に約三万人を屠ったAAソルジャーの扱いだった。
「一人殺せば一人前。十人殺せばベテラン。百人殺せば精鋭。千人殺せば英雄。じゃあ、三万人殺せば?」
彼の力は、度を越していた。
小悪党に銃を渡せば、すぐに撃ちまくるだろう。
小悪党にミサイルを渡せば、嬉々としてブッ放すだろう。
だが、小悪党に核兵器の発射スイッチを渡せば?
ただのテロリストなら簡単に撃つだろうが、小悪党はなまじ知恵がある分、恐怖していらないと言うだろう。
魑魅魍魎の跋扈する世界を牛耳る軍の高官達でさえ、三万人を殺す兵士という核兵器の前には小悪党に過ぎないのだ。
そうして、そのAAソルジャーは、軍の高官達の安全の為の処理として異世界に送られたのだ。その異世界こそが彼の希望配属先であった事は、全ての者達にとって願ったり叶ったりだっただろう。
そうして彼は、自分の故郷へと帰って来たのだ。
「…そうよね?アレス、いえ、『大量虐殺者』」
「………」
アレスは一言も発さない。
だが、それらは全て純然たる事実だった。
『大量虐殺者』『核兵器』『一人戦争屋』。全て、あの日のアレスの所業に対して付けられた二つ名だ。
アレス自身もまた、忘れてなどいない。
あの日。『ムラマサ』より遥かに劣る斬れ味の日本刀型ブレードで斬った、三万人の兵士達の感触を。
忘れる事を、許されていない。
死んでいった彼等は死を与えられる存在であり、自分は死を与える存在であるという事を。
被食者と捕食者。その次元で彼等と自分は違う存在であるという事を。
捕食者は、口を開く。
「…ああ、そうだ。俺にとって彼等の命は、軽い。刀を振るよりも、軽いんだ」
告白。
甘酸っぱい物ではない。まるで懺悔の様な、己の業を語るが如き重さ。
アレスにとっては殆ど自分に言い聞かせる様な独白のつもりだったが、今、この場には、それを聞く者がいた。
マナ・フローレンス。自称、アレスの妻である女だ。
マナは、アレスの言葉を聞いても微笑みを絶やさなかった。それどころか、
「うん、私にとっても、人の命は軽いわ。羽毛みたいに軽い」
マナが発した言葉に、アレスが驚いた様に顔を上げる。
マナはまだ、微笑みを浮かべている。
そしておもむろに、アレスの手を取って自分の首を掴ませた。アレスの手は大きく、マナの首を絞める様な形になる。
「っな、マナ、一体何を…!?」
「軽い?」
「えっ…!?」
マナは微笑んでいた。
有り得ないとは言え、少しアレスが力を込めれば、二人の身体的スペック的には簡単に窒息どころか首の骨がへし折られてしまうというのに、マナは変わらず微笑んでいた。
微笑んだまま、言葉を続ける。
「アレスにとって、私の命は軽い?」
「………!!」
息を呑むアレス。
そしてしばしの沈黙の後、
「………いや、重いよ。何よりも、重く感じる」
若干緊張を孕んだ声で、アレスはハッキリとそう言った。
それに対してマナも、緊張で強張ったアレスの手を首から自分の頬に移動させ、愛おしそうに撫でながら、
「私もよ。私にとってあなたの命は、他の全ての生命を足したよりも重いわ」
彼女らしい、いささか重過ぎる言葉ではあったが、だからこそ、彼女の剥き出しの愛が伝わって来る。
暫しの間、お互いに触れながら無言で見詰め合う二人。
やがて、マナが沈黙を破る。
「………『クリスマスの惨劇』の日、あなたにとって、三万の見ず知らずの敵兵の命を全て足したよりも、一二〇人の仲間達の命の方が重かった。そうでしょう?」
「………ああ」
「今日、あなたが殺した七万の敵兵の命よりも、このエデンに住む二十万人の住民の命の方が重かった。そうでしょう?」
「………ああ」
「なら、それだけよ」
マナはそう言い、ソファに膝立ちになって、アレスの頭を自らの胸に抱く。
「人の命は全て平等なんてウソ。あの人の命はその人にとって重いし、この人にとっては軽い。平等な命なんて物は有り得ない。全て違うからこそ、人は足掻く、もがく、愛されたいと願う。あなたは愛する人を守る為に、愛していない人を殺した。ただそれだけ」
強張っていたアレスの身体から力が抜け、今度は小さく震え出す。
「あなたは愛する人を守り切った。だから、今度は私があなたを守ってあげる。あなたを害そうとする全ての存在から。だって私にとって、あなたは他の全てよりも重いのだから。私は、あっちの世界でもこっちの世界でも、あなただけを愛しているのだから」
清々しい程キッパリと、マナはそう言い切り、アレスの頭を更に強く掻き抱く。
マナに抱かれ、アレスの身体の震えは大きくなり、次第に嗚咽も聞こえだす。
大量虐殺者と呼ばれた男は、愛する者の胸に抱かれ、無垢な子供の様に泣きじゃくった。
戦闘能力は最強でも、アレスは人間。「戦争」という殺人が合法化された状況であっても、いや、そんな状況だからこそ、七万人も殺した事は大きな苦悩になっていました。
そんなアレスを救い、メインヒロインの貫禄を見せたマナ。病んでるだけじゃないんです。




