第十四話 危機(貞操的な)
一人、また一人とお気に入り登録数が上がっていくこの高揚感。
…これが、読んでもらう幸せってヤツなんですかね。
西暦二五七〇年/ブリストン暦四五六年 天秤の月(七月)二二日
エデン臨時最高統括府(旧エデン行政府A棟) 最高統括官執務室(旧長官執務室)
アレス・レックスは猛者である。
充分な武装をすれば、まさしく一騎当千、絶対無双といった表現がしっくりくる様な実力を持ち、それを如何無く発揮できるテクニック、大軍を目の前にしても怯まぬ精神力も併せ持っている。
正直な話、核兵器の発射ボタンでも持っていない限り、彼にタイマンで勝てる者など存在しない。
だというのに。
彼は今、恐れている。
目の前の、金髪碧眼の女性を。
「………う…」
現実逃避気味に、遠き日の記憶に思いを馳せる。
幼少期、まだマシだった。それでも、アレスがちょっと他の女の子と話すとその場で体罰執行。
少年期、あまりのバイオレンスぶりに、女の子達の方がアレスを気遣って近付かなくなった。知らずに近付いてきた女の子とアレスが会話したりすると、後で二人っきりにされて体罰執行。
青年期、体罰執行こそ少なくなったが、それまで以上にアレスの束縛が強化。具体的には、一週間の内、四日以上を彼女の家で過ごすよう強制。逆にそれ以外の日は彼女がアレス宅で過ごす(過ごすとは泊まるという事であり、当たり前の様に寝室は同室)。
マナ・フローレンス。アレスの幼馴染。
本国の中央総合大学政治学部を首席卒業。確か、柔道初段、薙刀二段だった筈。才色兼備、文武両道。まさにパーフェクトウーマン。
ただ一つの欠点を除いては。
「(ど、どうしよう…)」
どんな戦況でも的確な判断を下し、状況を好転させるだけの冷静さと決断力を持つアレスが、先程から心の中でそれしか呟けない。
別に喉元にナイフを突きつけられている訳でもない(たとえそんな状況でも、本来のアレスなら眉一つ動かさずに対処出来る)のだが、彼女と突然遭遇したりすると、そういう心境になってしまう。
それはもう、DNAレベルで刻み込まれた本能に近いモノだった。
相変わらずニコニコしているマナを目の前にして、アレスが高速思考する事二秒。五八〇通りの行動シュミレーションを行い、その中で最適(アレスの物理的被害が一番少ない)な選択肢を選び、実行する。
即ち-----、
「あ、ああ。アレス・レックス少佐だ、よろしく」
「………」
プラン二七三号、他人のフリ。
一見、彼女を怒らせる下策の様に思えるこのプランだが、勿論選択した理由はある。
アレスに対してごく普通に犯罪スレスレのバイオレンス行為を行うマナだが、流石に大人になってからは自重というモノを覚え、公衆の面前ではそういう行為に及ばなくなった(しなくなるという事は無かった)。
幸い、この部屋にはアレスとマナ以外にラッツェ補佐官がいる。なので、下手な対応をして刺激するより、とりあえずこの場は、彼女が他人の目を気にして自重してくれるのを期待する事にした。
…どうせいつかは二人きりになる時が来るので問題の先延ばしにしかならないが、今どうこうされるよりはマシだと判断する。
それぐらい、現在進行形で疲労が溜まっていたのである。
そして、それに対するマナの反応は-----、
「………」
「………」
「………」
「………、えっと…」
「………」
「あの…」
沈黙。
何か無表情になり、ジィーーーっとアレスを見詰めてくる。視線に物理的な力があれば、アレスの顔に穴が開いていた事だろう。
ヤベッ、選択ミスったか!?、とアレスが冷や汗をかき始めるぐらいの時間が経過した所で、マナはようやく笑みを浮かべる。
「…よろしくお願いします」
「………、よろしく」
ようやく返ってきた返事に、アレスはマナに気付かれない様に大きく息を吐く。
そんなぎこちないやり取りを不思議そうにみていたラッツェ補佐官が、挨拶が終了したと判断して口を開く。
「それでは、フローレンス秘書官。統括官への書類を分別して効率良く処理出来る様にしてもらえますか?」
「分かりました」
そう言うが早いか、デスクの上に建造された書類の山脈を、マナはテキパキと分別し始めた。
そして一〇秒程経過した所で、アレスに次々と書類を差し出してくる。
「統括官、まずはこれとこれとこれ、あとこの書類を」
「お、おう」
差し出されるままに書類を処理していくアレスだが、明らかに作業効率が上昇している。
今までは適当に手に付いた書類を捌いていたが、マナが関連する書類をまとめて渡してくれるので、一々内容を詳しく確認する必要が無いのだ。
書類の山脈が、目に見えて減り始めた。
「(…あれ?マナ、普通に仕事だけしてるな。もっと何かあるかと思っていたけど…)」
ちょっとビョーキな彼女が普通に仕事をしている事に、ちょっとした感動を抱くアレス。
しかし、
「統括官、次はこれとこれを」
「はい」
「こちらもお願いします」
「はいはい」
「では、これを」
「はいは、ん?」
渡された書類の毛色が他と違うのと、チラリと「マナ・フローレンス」の名前が見えたので、何気なく注視してみる。
「マナ・フローレンス」の名前が書いてある欄の上には、「妻となる者」と。
アレスが名前を書き込むべき欄の上には、「夫となる者」と。
少し上を見ると、そこには「婚姻届」の文字…、
「ぶうううううっ!?」
思わず吹き出しながら、その紙を反射的に放り投げた。次いで、キッとマナを睨む。
それに無視し、マナはニッコリ笑顔をラッツェ補佐官に向ける。
「補佐官、さっきホッパー大尉が呼んでいましたよ。すぐ来て欲しいって」
「分かりました。しばらく任せて良いですか?」
「え、おい、ちょ、待て補佐官」
「ええ、お任せ下さい」
アレスの呼びかけむなしく、狼と羊を一つの部屋に残してラッツェが出て行く。
それを確認して、マナがアレスの方を振り返る。
表情は笑っているが、先程ラッツェに見せた普通の笑顔とは違う、少々妖しい笑顔で、更に言えば瞳の光が消えている。
いや、光は灯っている。爛々と輝く暗い光が。
「ひっ!」
思わず声を上げてしまったアレスを、誰が攻められようか。
アレスの悲鳴に近い声を聞いても、我関せずとばかりに歩み寄るマナ。
ハイヒールの音も立てず、デスクを周ってアレスの目の前まで来た。ゆったりとした動作だったが異常に速く、腰が抜けかけていたとは言え、アレスが退避出来ない程の身のこなしだ。
「あ、あう…」
椅子に座っているので、アレスの方が身長は高いのにマナを見上げる形となる。
別に下から見ようが上から見ようが変わらない筈だが、それでも下から見たマナは、ただでさえ美人な上に、纏っているオーラと相まって非常に迫力があった。
「久しぶりね、アレス」
数ヶ月ぶりに聞く、鈴を鳴らすが如きマナの美声。
しかし、その奥に何かネットリとしたモノを感じるのはアレスだけだろうか。
「…うん、久しぶり」
さすがにもう他人のフリは出来ないので、小さく片手を上げて返事するアレス。
しかしマナはそれに応えず、スッとアレスの頬に手を添える。
「ヒッ!?」
思わず悲鳴を上げるアレス。気にせずにマナはその頬をサワサワと撫でる。
「ホント、久しぶりだっていうのに、アレスったらあんな他人行儀な挨拶なんかしちゃって。もう私とあなたの関係は揺ぎ無い物なのに。フフ、照れちゃってるのかしら」
猫撫で声を出しながら薄い微笑を浮かべてサワサワし続けるマナ。それに比例してアレスの顔から血の気が引いていく。
しかしマナのセリフの中に聞き捨てならないフレーズを聞き、アレスは勇気を振り絞って口を開く。
「えっと、ま、マナ。他人行儀な対応をした事に関しては謝る。ちょっと疲れてたんだ。ごめん」
「ううん、いいのよ。分かってくれたら」
笑顔で許してくれるマナ。しかしアレスはグビッと唾を飲み込み、本題を切り出す。
「で、それよりも聞きたいのは俺とお前の関係というヤツなんだが、俺とお前の関係は幼馴染だという事だと思うんだが、揺るぎ無い物ってどういう事だ?」
それに対して、マナは笑顔を崩さず、
「うん、幼馴染。あと、夫婦」
「…フ、俺も耳が遠くなったもんだ。もう一回言ってくれるか?」
「夫婦。夫と妻。婚姻関係にある一組の男女の事」
「辞書的な意味を言えと言ったんじゃない。いや、ツッコミ所はそこじゃなくて、俺とお前は夫婦じゃないだろう。結婚してないんだから」
「そうよ。だからさっき、婚姻届を書かせようとしたんだけど」
「わざとか!ネタとかじゃなくて、やっぱり本気だったのか!危なかった!」
大きく息を吐くアレスを、マナは困ったちゃんを見るような目で見下ろす。
「もう、またそんな事を言って。私達、とっくに将来を誓い合った仲だっていうのに」
「待て、俺達がいつ将来を誓い合った?記憶に無いんだが」
「いつも言ってるじゃない。この前の長期休暇の時も、お酒飲んだ後に私の事愛してる?って聞いたら愛してるって言ってたし、結婚する?って聞いたらするって」
「記憶に無いよ!?何か朦朧としてたのは覚えてるけど、あれはお前が酒に何か入れたのか!?」
「なによ人聞きの悪い。あ、これが証拠ね」
「確信犯か!」
マナが取り出したボイスレコーダーのスイッチを入れると、「愛してる…」とか「結婚する…」とか言うアレスの声が聞こえた。
しかしその声は弱々しく、自我が感じられない。そして改めて聞いても、やはりこんな事を言った覚えは無い。
「お前、いつもいつもこんな事ばっかりやって、毎回言っているが、これはもう立派な犯罪、って、あれえええええええ!?」
素っ頓狂な声を上げるアレス。
それもそのはず、椅子に座っていたアレスが、いつの間にか床に下ろされ、その腰の上にマナが乗っかっていたのだから。
ちょっと熱くなって言い合いをしていた隙にやられたのかどうかは知らないが、とにかくこの女はアレスが気付かない間にそんな事をやってのけたのだ。
「(マナ、恐ろしい子…!)」
一瞬、そんな馬鹿な言葉が脳裏をよぎったアレスだが、すぐに正気に戻って抗議の声を上げる。
「…おいマナ、どういうつもりだ。とりあえず下りてくれないか」
しかしマナは従わず、それどころかアレスに覆い被さる様な姿勢になる。
アレスはその際、マナの瞳から再び光が消えている事に気付いた。
「あの、マナ、さん?」
「アレスが悪いんだからね?結婚は成人してからって言うから待っていたのに、成人しても結婚してくれないし、アレスがちゃんと就職して扶養能力を得るまで待っても、まだ結婚してくれないんだから。その上、婚姻届にもサインしないって言うなら、それなら既成事実を作るしかないじゃない」
「き、既成事実って、ムグッ!?」
慌てて身を起こしてマナの下から逃げようとするアレスだが、何か技でも決められたのか体が動かず、更には口まで塞がれる。
そんなアレスの顔に、ヌウッとマナの顔が近付く。
「そうよ、具体的に言うとセッ○スよ。性交とも言うわ。愛し合う男女二人が営む生命の儀式、愛し合ってない男女がする事も男女じゃなくて同姓同士でもやる事がるらしいけど、私達はごく普通の愛し合う男女よ。何も変じゃないわ」
「ムームウムム(そういう事を言ってるんじゃない)!」
「大丈夫よ、やり方は私が全部ネットとかで勉強してきたから。アレスは天井の染みを数えているだけでいいから」
「ムムムームウム(だからそういう事じゃなくてだな)!」
「ええ、もちろん決めてあるわ。男の子ならマルス、女の子ならリナが良いと思うんだけど、どうかしら?」
「ムグムムム(デキちゃう事前提)!?」
アレスのくぐもったムームー言っているのが理解出来ているのかどうかは定かではないが、マナはアレスの自由を奪ったままズボンに手を掛け、カチャカチャとベルトのバックルをいじり始めた。その動きには一切の躊躇が無い。
「(え、ちょ、俺マジで貞操の危機!?こんなシチュエーションで!?)」
心の中で叫ぶアレス。
彼とて、マナの事は憎からず思っている。出来ればバイオレンス成分をもう少し減らして欲しいものだが、それでもその(多少重過ぎる)愛は理解している。 ちょっと本当に重過ぎるので躊躇してはいるが、いつかは彼女の想いを受け止めるつもりだ。
だが。だからこそ。
「(せめて、もう少し相応しい場所で…!)」
そんな事を思ってしまう。これは普通、女性側が望む事ではないかと自分でも思うが、自分で思わざるを得ない状況になってしまっているのだから仕方が無い。
「ふふふふふふ………」
遂にズボンが下ろされ、マナの手がパンツに掛かる。
ああ、マジでやられちゃうの、俺、大人の階段上っちゃうの!?と身悶えるアレス。
目をギラギラと輝かせ、涎を垂らさんばかりの表情のマナ。
その時、廊下からズドドドドド、という音が聞こえた。
次の瞬間、
「隊長、無事ですか!?」
ドアをバァーンと蹴り開けて突入してきた、フワフワした赤毛の小柄な女性。 アレス直属の部下の一人、メルピア・ソーレス少尉だ。
メルピアは入室(と言うには些かゲリコマ的だったが)してアレスとマナの状況を視認した途端、まるで親の仇であるかの様にマナを睨み、
「き・さ・まぁぁぁ!!」
ボス戦での男主人公みたいな声を上げ、マナに襲い掛かる。
それに対してマナも、
「フン、現れたわね、筆頭泥棒猫!!」
そんな事を言いながらアレスの上から退き、臨戦態勢になってメルピアを迎え撃つ。
そして始まるキャットファイト。
普通の女性同士の喧嘩みたいに髪引っ張り合い、引っ掻き合いなどという醜いモノではなく、非常に洗練された、戦士同士の戦い、殺し合いだった。
正拳、裏拳、手刀、掌打、ハイキック、ローキック、回し蹴り、足払い。細身の女性が繰り出すとは思えない威力のそれらを、躊躇無く互いの急所に放つ。
メルピアは本物の現役特殊部隊員だが、マナもそれに全く遅れを取っていない。
実情はなんて事は無い、単なる痴情のもつれだが、そんなレベルはとっくに超えている。技術は勿論の事、その気迫が本物だ。
これがただの模擬戦とかなら介入して二人とも制圧する自信がアレスにはあるが、今の二人の間に割って入るのは銃弾の雨の中に飛び込むより怖い。
なので、そんな怖い事をするよりも、アレスは彼女達を尻目にいそいそと起き上がってズボンを直す。
それが終わって彼女達の方を見ると、とうとう武器を使った戦闘に発展していた。
メルピアはコンバットナイフを鋭く振るい、マナは護身用とは思えない程の高電圧(バチバチという音が凄い)のスタンガンを突き出す。
ついでに、舌戦の方も白熱していた。
「ホッパー大尉を締め上げてあなたが帰って来た事を聞いた時点で、こんな事じゃないかと思っていました!挙句、ラッツェ補佐官に嘘をついて二人きりになるなんて!」
「ちょっとした方便よ。愛する二人が数ヶ月も離れ離れになっていたのだから、少しぐらいは大目に見て欲しいわね」
「な、あいし…!?こ、この女狐が!ちょっと付き合いが長いからと言って、私の隊長を誑かしたな!?」
「フン、よく言うわよ、この泥棒猫!私はアレスが一歳の時からツバ付けていたの。五歳ぐらいから変に色気づいて近寄ってくる女共を追い払い、やっとここまでこぎつけたのよ、邪魔しないで!」
「…これは止めなきゃいけないんだろうけど、その後がなあ…」
怪我人が出そうな状態になって来たので、アレスも腰を上げざるを得なくなる。
しかしこの戦闘に介入して止めたとして、その後に起こる事がアレスには予想出来た。というのも、以前にもそういう事があったのだ。
即ち、
『『どっちを選ぶの!?』』
と。
だが、(望んだ訳ではないが)責任ある立場になった以上、ここはアレスがどうにかしなければならない。そもそも、アレスが原因で起こった事態なのだから。
「………はあ………(涙目)」
死地に赴くが如き悲壮感を漂わせ、アレスは戦う二人の女性を止めに入るのだった。
その後、予想通りの言葉がアレスに投げかけられたのは、言うまでも無い。
ヤンデレ本格始動。しかも複数人とか。アレス(チート男)じゃなきゃ死ぬよね。
マナの目が、光が消えたりギラギラしたりと忙しいですが、そこは状況に合わせて読解して下さい。




