プロローグ 帰還直前に死んだ勇者
勇者として異世界に召喚されて、王国のために皆と戦って魔王をやっと殺したばかりなのに、こんな最期を迎えるとは。
本当に全く……人生は何があるか分からないな。
全ての役目を果たした自分はつい先程元々いた世界に戻ろうと思い、帰還魔法を行ってもらおうと王城へ向かっていたのだが――――不運にも背後からガラの悪い盗賊に襲われ、棍棒で頭をかち割られて死んでしまった。
真っ暗な幕と、重い意識。
もしかすると、完全な即死ではなかったのかと考えている時のこと。
突然暗闇の閉ざされた空間に眩い一筋の光が縦に差し込み、それは次第に膨らみを伴った。
気が付けば混濁としているものの意識も覚醒し、瞼も上がっていた。
視界はぼんやりとしていて、周りに何かあるのは把握できたが鮮明じゃないから状況がよく呑み込めない。
「――――妖精よ、人間を洗え」
女の声で、そう命令が響いた途端、微かな鋭い痛みが体を巡り、曇ったままだった意識は急激に明るくなった。
まるで長い眠りから覚めたような感覚。
実際、そういう様子に近かったのかもしれないが……そんなことがどうでもよくなるくらい、俺は奇妙な環境に置かれていた。
殺されたのは王城の付近だったはずで、墓地もその近所にあったと記憶しているが、自分は雲の上にいるのだった。
戸惑い、雲の下を覗き込んでも青空が広がるだけで、地上の物体は何一つ見えない。
そして、混乱をきたす要素はそれだけじゃなかった。
眼前には目玉が潰れる程の麗しい美女がおり、風は吹いていないのに金の長い髪がユラユラと揺れる。
その人はニッコリと微笑んでから、語り掛けてきた。
「アイマン君――――」
透き通るように純粋で邪なものが含まれていない声が鼓膜に染みる。
アイマン・アサド――――これこそ、俺の本名なわけだが、何故この美女が名前を知っているのだろうか。面識もないし。
こちらが不思議に思っていることも気にせず、彼女は言葉を編んでゆく。
「あなたは頑張ったし、ここでは死なせない。だからあなたのいた世界に戻してあげるけど、その世界が大変なことになってるの。そこで君にはもう一度勇者として活躍してもらいたい」
再び勇者を任されるのは迷惑な話だが、世界なんかいつも荒れているだろう。俺の故郷であるレバノンも、日々土地を奪われ続けているガザ地区も、最貧国のイエメンも、好転が訪れることはないと思う。
突拍子もないことを言われて頭の中がまたもや濁ってきたが、返事をしないのはむしゃくしゃする。
「……転移はありがたい。でもその前にお前さんは誰なんだ? どっかの女優か?」
「ふふ、アイマン君ったら面白いこと言うのね。人前でやってみるお仕事にも興味はあるけれど、私は人間を影から見守る女神のディナミスよ」
女神、だと。
その名乗りに俺は顔を少ししかめてしまった。
悪い癖だとは自覚しているが、国によって神の対象が変わっても、俺の中での神とはアッラーのみを指すのだ。
……深く考えていてもしょうがない。とりあえず話を聞き続けよう。
「ディナミスさんか……女神なのは分かったけどよ、本当に転移はしてくれるんだな? 勇者のくだりは分からないけど」
「ええ、嘘じゃないわ」
「だったら、勇者というのは? 俺はもう魔王を殺したんだよ」
「それは知っている……けど、世界を救えそうな人間があなたしかいないの」
「……そっか、まあゴラン高原で戦闘なんていくらでもしたから、別にいいけどさ」
ふと腰に固い感触を覚え、確かめてみる。いつも愛用しているM4A1があった。ハンドガードを四面レイルに交換しており、カスタムパーツはてんこ盛りである。
こいつも長いこと一緒に過ごしてきたな。そろそろガタも酷いし、買い替えの時期かもしれない。
「あら、素直ね」
ディナミスさんはクスリと軽く笑ってから。
「で、話に戻るけど、アイマン君の行く世界は2053年だからね、あなたが過ごしていた時代よりももっと危険なはず」
「未来に飛ばされるのか?」
そこまで進んだ時代を想像できないが、イスラエルとその周辺国に関してはあの頃から何も変わってないだろうな。
「そういうことね、まあ詳しくは行ってから確かめてちょうだい」
「そーかそーか……」
呆れつつ、言葉を返す。
女神なのに随分とテキトーな奴だ。
「でもよ、そんなに危ないと銃だけで上手くやっていけるのか?」
「それについては安心してちょうだい――――スキルを付与するから」
マジか、これはちょっと嬉しい。
俺は十二イマーム派イスラムを信仰するムスリムであるが、親父が日本出身ということもあってレバノンにいた頃は異世界モノのアニメをよく見ていた。そのアニメにもこういったシーンがあったから、心が少し躍った。
「なるほど、それでどんなスキルだ?」
「改宗スキルよ」
ユニークな名称のスキルだが、いまいち実感の湧かない地味な響きだ。
「まあとにかく、改宗スキルを与えるから上手く使ってね。じゃあ行ってらっしゃい!」
「いでっ!?」
やんちゃな声とは裏腹にディナミスさんから強力なチョップが頭頂部に落とされ、俺の意識はさっきみたいに闇の中へ溶け込んでいった。




