第9話:女神と大魔公
エラリア城の訓練中庭では、「第一班」――通称“エリート組”の訓練が行われていた。
「よく聞いてください。この詠唱は一言一句間違えずに覚えないと、発動しませんよ。」
魔導士が四人の生徒たちにそう言った。
「ねぇ、なんで長い詠唱を使うの?」
一人の少女が尋ねる。
魔導士は答えた。
「長い詠唱は魔力の流れをより正確に制御できるんです。たとえ低級魔法でも、威力は格段に上がります。」
「なるほど、やっとわかった気がする。」
少年は少し恥ずかしそうに頭をかいた。
そのすぐ近くでは、木剣のぶつかり合う音が中庭に響いていた。
「さぁ、全力で来い!」
「望むところだ! あとで泣いても知らねぇぞ!」
そう叫びながら相手に向かって踏み込む。
チキッ! チキッ! チキッ! チキッ!
杖を構えて呪文を放つ者、騎士の監督のもとで剣を交える者。そんな喧騒の中で、二人の人物が階段の上から訓練の様子を見守っていた。
巫女と、王国近衛隊長ダヴァン卿である。
「さすが“勇者たち”だな。学習が早い。」
ダヴァン卿が満足そうに言う。
巫女は微笑みながら答えた。
「彼らには魔族軍を打ち倒す力があります。そして、彼らを支えたあなたの名も、歴史に刻まれるでしょう。」
その頃、少し離れた隅に一人の少女が座っていた。
ユキだ。
壁にもたれ、退屈そうにぼんやりと宙を見つめている。
床に座り込み、何もせずに時間を潰していた彼女に、誰かが声をかけた。
「眠くなってきたんじゃない?」
冗談めかして隣に腰を下ろしたのは、友人のイツキだった。
「はぁ……」ユキはため息をついた。
「知ってるでしょ、私のユニークスキル、まだ全然使えないんだ。」
「そんなこと言って。あんたのスキルが一番すごいのに、不満そうにするなんて。」
イツキは目を閉じて、少し拗ねたように顔をそらした。
「そんなこと言われても、期待されすぎてプレッシャーなのよ。」
ユキが苦笑する。
「そう、ユキ。」
イツキが穏やかに息を吐いた。
ユキは眉をひそめた。
「ちょっと、あんたまでそう呼ぶの?」
「え? どういうこと?」
「“ユキ”は名字よ。本当の名前はナオキ。」
「ああ、そうだったね。でもみんなそう呼んでるし。」
「それはアマネのせいよ。あの子、いつも人の名前を下の名前で呼ばないし、『ユキヒラ』を半分にして呼ぶんだから。」
そう言って一人でプンプン怒っていたが、すぐに懐かしそうな表情になった。
「……兄さんのこともあって、同じ名前だから余計にね。」
「そうね。アマネも、お兄さんが亡くなってからずっと立ち直れてない。」
イツキが空を見上げ、表情を引き締めた。
ユキも遠くの仲間たちを見ながら思った。
(アマネ、元気でいるといいけど。首都の外で訓練してるんだもん、きっと大変だよね。)
ユキは突然立ち上がり、イツキに手を差し出した。
「いつまでも沈んでられない。強くならなきゃ。」
イツキは微笑み、彼女の手を取った。
「その意気よ。」
――――
同じ頃。
一つの部屋の床に影が広がり、部屋全体を覆っていく。
やがて影の中から二つの人影が現れた。
天音とエレノアである。
「ここは……どこ?」
到着した途端、天音が尋ねた。
「私の部屋よ。」
エレノアは答えながら、乱れたベッドを手早く整えた。
(部屋、って……まさか最初から自分の部屋に連れてきたの!?)
アマネは心の中でつぶやいた。
「どうしてここに?」
彼女が厳しい声で問うと、エレノアは天音の服をじっと見つめた。胸元――剣で貫かれた穴に目を留める。
「な、何見てるの?」
「別に。ただ、素晴らしい胸をしていると思って。」
「……からかってるの!?」
天音は顔を真っ赤にして、エレノアの胸を見やった。
(……大きすぎる。まな板の方がまだ凹凸あるわよっ!)
「どうしたの、女神様?」
エレノアが微笑む。
天音は顔を背け、現れたインターフェースに向かって呟いた。
「な、なんでもない。」
→【胸部拡張:失敗】
→【身体改変:失敗】
→【カップサイズF:失敗】
(くっ、使えないシステムね……!)
アマネは心の中で嘆いた。
エレノアは彼女の動作を覗き込もうとしたが、空中に何かを投げる仕草しか見えず、首を傾げながらクローゼットへ向かった。
天音は破れ、汚れた自分の制服を見下ろす。
(服のことね……まぁ、確かにこれじゃみっともないわ。にしても、やっぱりあの子の胸、大きい……私はまだ十六だし、これから成長するもん。)
「これなんてどう?」
エレノアが真紅のドレスを手渡した。
「もっとシンプルなのはないの?」
「あなたに合うサイズはこれしかないの。胸囲的にね。」
そう言ってヒールまで渡す。
(ああ、我慢、我慢……オーラが暴走しそう……!)
天音の瞳が赤く光り、怒気を帯びた表情になる。
しかし彼女が口を開くより先に、エレノアは静かに跪いた。
「無礼を働きました。もし償いに命を望まれるなら、今すぐ消えます。」
(……二日前の私なら殺してたかも。でも、もう違う。)
天音は心の中でそう言い聞かせた。
「許します。けど次に同じことをしたら……どうなるかは分からないわね。」
彼女はベッドに腰を下ろし、エレノアが立ち上がる。
「わかったわ。ドレスとヒール、着るわよ。」
「ふふっ、実は理由があるの。この服は――儀式のためなの。」
「儀式?」
「ええ。あなたが魔族の都に降り立った日を祝う儀式。
私があなたの案内役を務めます――大魔公、エレノア・クリムゾンとして。」




