第3話:死の前の微笑み
第三グループは巫女の罠に落ち、空気さえ腐ってしまいそうな、じめじめとした広大なダンジョンに飲み込まれた。
学生たちは突然の出来事にパニックを起こし、怒りをあらわにしていた。
「くそっ! 何が起きたんだよ!」
靴が濡れた石を打ち、跳ねる音とともに、誰かが叫ぶ。
リジはぼんやりと地面を見つめながら、かすれた声でつぶやいた。
「……やられたな」
その瞬間、拳が石壁に叩きつけられる音が響く。
「クソ女……絶対に殺してやる!」
ケンは憎悪に満ちた目で吐き捨てた。
天音は少し離れた場所に立ち、何も言わなかった。
まっすぐ前を見つめているのに、その瞳には何も映っていないようだった。
そして、ダンジョンに転移する直前の“あの表情”を思い出す。
――「やっと……終わったんだね」
「ようやく、この苦しみも……消えるのか」
彼女はつぶやきながら、話し合う仲間たちをぼんやりと見ていた。
そんな彼女を見て、もう一人の少女が声を荒げた。
「また何もしないつもり!? 本当に足手まといね! 命がかかってるのに!」
天音は何も言わず、静かに床に座り込んだ。
無表情のまま、ただ一言だけを口にする。
「……好きにすればいい」
「なっ……!」
少女が言い返そうとしたところで、少年が口を挟んだ。
「もういい。あいつは……もう死んでるようなもんだ」
少女は顔をそむけ、他のメンバーと合流した。
この第三グループは五人しかいなかったが、そのうち生きて出られるのは四人……いや、もしかするとそれ以下かもしれなかった。
「マンガとかだと、ダンジョンって“階層”になってることが多いんだよな」
と、グループの中で一番オタクっぽいヒキロが言った。
「階層?」と少女が聞き返す。
「ああ。下に行くほどモンスターが強くなる。
とりあえず片っ端から倒して、出口を探そうぜ」
ケンが拳を鳴らしながら言った。
その直後――暗闇の中に赤い目がいくつも浮かんだ。
巨大なオオカミたちが姿を現す。
この世界のモンスターは、彼らの知る“獣”とは違った。異様に大きく、そして醜悪だった。
恐怖が全員の心を支配し、冷静さは瞬く間に崩れていった。
逃げる間もなく、最初の悲鳴が上がる。
「ぎゃあああああっ!!」
血しぶきが石床に飛び散り、その瞬間、狼の牙が一人の肩を食い破った。
「やばい! 逃げろ!!」
叫び声を上げた彼の頭は、次の瞬間には怪物の口に消えた。
少女は恐怖に固まり、動けなかった。
絶望に染まったその瞳に、飛びかかる影が映る。
天音はその惨状をただ見つめていた。
悲鳴、肉の裂ける音、血の匂い。すべてが遠く感じた。
「天音ぇぇっ!」
地面に倒れ、半身を食われたリジが叫ぶ。
「助けろよ……この、クソ女……っ!」
その瞬間、アマネの口元に――微かに、笑みが浮かんだ。
まるで、初めて感情というものを知ったかのように。
「……なんで……笑ってるんだよ……?」
リジは涙を流しながら、絶望のまま息絶えた。
仲間たちは皆、目の前で喰い殺された。
それでもアマネの顔には、どこか安らぎのような笑みが残っていた。
彼女は抵抗せず、ただ死を受け入れようとしていた。
「……もうすぐ、会えるのかな。
あなたに……私の、生きる意味だった人に……」
――そのとき、記憶がよみがえった。
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夕焼けに染まる丘の上。
一本の木の下で、二人の子どもが並んで座っていた。
「どうして、また助けてくれたの? もう大丈夫って言ったのに……」
少女は涙をこぼしながら言う。
少年の体は傷だらけで、服は埃まみれだった。
少年は空を見上げ、小さく笑った。
「お前が自分を傷つけたら……俺、絶対許さないからな」
そう言ってから、彼女の方を向いて言う。
「だから……生きろよ」
少女は驚いたように彼を見つめ、
瞳の奥に小さな光が灯った。
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回想が終わると、アマネの体は勝手に動き出していた。
彼女の足は“逃げ方”を思い出し、怒り狂う獣たちから必死に逃げた。
血を流し、傷だらけになりながら、何度も転び、それでも走った。
怪物たちがすぐ背後まで迫ったとき――
彼女は誤って、隔離された小部屋に飛び込み、重い扉を閉めた。
「……痛い……」
ドアにもたれかかりながら、彼女は弱くつぶやく。
「どうして逃げたの……どうして……」
声が震え、嗚咽が漏れた。
部屋の中には松明がいくつも灯り、
金貨や宝石が散らばり、中央には台座に一つのネックレスが置かれていた。
黒い宝石がはめ込まれたその首飾りは、他の財宝とは明らかに違っていた。
――それは、まるで“悪意”そのもののようだった。
アマネはそれを見つめ、何かに引き寄せられるように近づく。
気づけば、その瞳は淡い紫に光っていた。
『……願いを、叶えたいのですね』
頭の奥に、甘く冷たい声が響いた。
彼女は無意識のまま手を伸ばし、ネックレスを首にかけた。
『この絶望……思っていたよりも、深いですね』
声が小さくつぶやく。
アマネは近くにあった古びた剣を手に取る。
その剣は、ネックレスとは正反対の光を放っていた。
「……ごめんね、ユキヒラ。約束……守れなかった。
それと……ユキ……本当にごめんなさい。」
静かに剣を構え、胸に突きつける。
一瞬、世界が止まったように見えた。
そして、鋭い音とともに、刃が彼女の心臓を貫いた。
倒れる音だけが、部屋に響いた。
悲鳴も涙もなく、ただわずかな後悔と懐かしさだけが残った。
――彼女の死は、確かだった。
だが、その呪われた静寂の中で、
“何か”が、ゆっくりと動き始めていた。




