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ストレンジレットの脅威

 人々はストレンジレットという名前に何故そこまで驚愕したのか?

 それはこの物質が、極めて恐ろしい性質を秘めているからである。


 まずストレンジレットの前に、ストレンジクォークについて説明しよう。

 ストレンジクォークとは、陽子や中性子を構成するアップクォーク(u)、ダウンクォーク(d)の仲間である。

 陽子は+2/3の電荷を持つアップクォーク2個、-1/3の電荷を持つダウンクォーク1個で構成され、電荷+1の素粒子となっている。

 中性子はアップクォーク1個とダウンクォーク2個で電荷0となる。

 このクォーク3個で出来ているものを重粒子(バリオン)と呼ぶ。


 ストレンジクォーク(s)は、通常の物質を構成するアップクォークやダウンクォークとは根本的に異なる性質を持っている。

 最も単純に言えば、ストレンジクォークはアップやダウンよりも重い。

 そして短時間で起こる粒子崩壊の性質「ストレンジネス」という値を持つ。

 一般的な物理学の法則として、物質は最もエネルギーの低い、つまり最も軽い安定した状態へ移行することを好む。

 原子核の中でストレンジクォークを含むバリオンは不安定で、弱い相互作用によって他の粒子に崩壊してしまうのが、通常の宇宙の摂理だ。

 アップクォーク1、ダウンクォーク1、ストレンジクォーク1とほぼ同数で構成されたudsバリオンを「ラムダ粒子」という。

 これは短時間に崩壊して通常のバリオン、uudかuddに変化する。

 しかし、極限まで高密度に圧縮されたラムダ粒子団塊は、逆に極めて安定した状態を築くという、驚くべき仮説が存在する

 これをストレンジレットという。

 ストレンジレットは、通常の原子核よりも、エネルギーがわずかに低い、究極の安定状態にある可能性が指摘されている。

 その安定性は、物質が到達し得る「最低のエネルギーの谷」となる。


 この安定性こそが、ストレンジレットを危険たらしめる理由だ。

 もし通常の物質がこの「安定の谷」に触れれば、その摂理によって、周囲の物質はすべてストレンジレットへと変換されてしまう。

 新しい、より安定した形態に変化してしまう

 もしストレンジレットが、地球上の通常の物質に触れたと想像して欲しい。

 その瞬間、ストレンジレットは触れた物質をストレンジレット構造へと瞬時に「変換」し始めるだろう。

 そしてそれは、病原体の感染のように連鎖的に広がる。

 変換の連鎖反応は止まることなく、数日と経たずして、地球上のすべての物質は、陽子も中性子も、ただの高密度のストレンジレットの塊へと変質してしまう。


 これは、人類滅亡どころではない、宇宙を構成する物質の存在そのものを根底から覆す「破局(カタストロフ)」なのだ。

 ストレンジレットとは、宇宙の物質を究極的に破壊する、最も危険で、最も高密度の素粒子団塊なのだ。


 しかし、人類はこの「破局」をもたらす存在の裏側に、一縷の望みを見出した。

 それが、この禁断の物質の反粒子、すなわち反ストレンジレットを使う事だ。

 巨大質量のブラックホールを爆破によって軌道を変えるという、空想のような目標を達成するには、従来の反物質ではエネルギーが全く足りない。

 例え都市規模の宇宙船に巨大加速器を搭載し、そこで反物質を生成して注入したとしても、ブラックホールにとっては文字通り焼け石に水でしかない。


 だが、反ストレンジレットならば、その絶望的な論理を覆すことができる。


 ブラックホールあるいはブラックホールの降着円盤の物質という「正常」な物質に、ストレンジレットを接触させると、それらはストレンジレットに汚染される。

 それに反ストレンジレットをぶつける。

 対消滅は原子レベルではなく、クォークレベルで発生する。

 それは、従来の反物質の対消滅を遥かに凌駕する、莫大なエネルギー放出だ。


 これなら通常の反物質に比べ、ごくわずかな量でも、決定的な作用を及ぼすことが可能となるだろう。


 それは、巨大質量星(ゴリアテ)の「額」に、人類(ダビデ)が放つ最小質量の投石と言えよう。

 僅かな質量で最大の衝撃を与える行為だ。

 これならば、ブラックホールの質量と運動量に対抗し、軌道に対し決定的な変動を与えられるかもしれない。




 元来物理学者ではない富豪のハワード・オルドリン・マクスウェルは今一つ分かっていないようだが、科学者もしくはその出身者は驚愕していた。

 アーサー・チューリングは知っていたから驚かなかったが、他の者たちは一様に

「どうして黙っていた!?」

 とオンライン越しに詰め寄る。

 梶川誠一郎は困惑する。

 隠していたのではなく、まだ表に出せる段階じゃなかっただけだ。

 誤報だったら袋叩きに遭っていたかもしれない。


「ストレンジレットを使えるなら、我々の戮星計画は進捗する」

 ウー局長が物騒な事を言い始めた。

 ストレンジレットで恒星中心核を不安定にし、爆発させる事は確かに出来るだろう。

 しかしその時、全方位にストレンジレットで汚染された物質が吹き飛ばされてしまう。

 その方が宇宙の脅威となるだろう。


 こうした過激で、人類さえ良ければ他はどうなっても構わないというウー局長ら、超新星を人為的に作ってブラックホールを阻止しようとする一派の思想は、学者以外からは案外ウケが良い。

 宇宙のどこかにある恒星が、そこに住んでいるかもしれない生命ごと破壊されようが、人類さえ生き残れるなら問題ない。

 というか、考える方がおかしい。

 人類の長い歴史は、征服者が被征服者の生殺与奪の権を握って来た歴史である。

 人権だなんだと言い始めたのは、19世紀辺りからだ。

 人権は考えても良いが、存在するかどうか不明な生命や、ましてや恒星になんて気を使う必要なんて無いだろう?

 そういう思考は、まだブラックホールが現実的な脅威でない現在だからこそ、声高に主張されている。


「残念ながら、加速器内のデータから痕跡が確認されただけで、実体は確認されていません。

 クォーク単体の消滅エネルギー痕『らしきもの』でしかないです。

 それが素粒子化したストレンジレットなんて、まだありません。

 生成されたなら、きっと我々は今こうして会議なんてしてなく、ストレンジレットに汚染された物体として宇宙を漂っている事でしょう」


(だからこそ、慎重に研究しなければならない)

 梶田准教授はそう思う。

 何の用かと呼ばれて参加したら、とんでもない事をバラされてしまった。

 安易なストレンジレット生成なんて流れには抗さねばなるまい。


 しかしチューリングがバラした事で、会議は一気にブラックホール破壊に意見が傾く。

 所詮これは「思考実験」に過ぎない。

 将来的に実際に動くかはともかく、今から出来る事を考えるブレインストーミングのようなものだ。


 チューリングは話を纏める。

 彼は現状のデータからスケジュールを考え出した。


 太陽質量の10倍のブラックホールの爆発、それは壮絶なものになるだろう。

 彼はその時の爆発を1兆℃と想定した。

 やはり大質量の縮退星である中性子星が2つ衝突する「キロノヴァ」という現象。

 通常の核融合では鉄止まりだが、この衝突による核融合では金といったもっと重い元素も生成される。

 この爆発が1兆℃である。

 別に20世紀日本で放送された特撮番組の、宇宙恐竜の放つ火球から来たものではない。


 この1兆℃の爆発が及ぼす影響を考える。

 これは影響が400光年に及び、その距離内であれば地球の生命は瞬時に絶滅するだろう。

 故に、400光年より外側で迎撃を行う。


 計算した結果、以下のような距離ごとの影響となる。

・490光年:【絶滅に近い被害】 世界人口の多くが重度の放射線障害を負う。

 文明社会の主要機能が麻痺し、文明崩壊の寸前となるが、一部は生存出来る。

・520光年:【被害大】 深刻な公衆衛生上の危機と大規模な経済的混乱。

 文明の機能維持は困難だが、半数以上の人類は生存出来る。

・570光年:【最小限の被害】 照射エネルギーが致死量の50%までに半減。

 文明は大きな混乱なく維持されるが、長期的な健康被害は発生し、経済的打撃は大きい。

・600光年:【被害ほぼ無し】 文明のシステム、社会構造は維持され、公衆衛生上の問題も軽微。

 多少のオゾン層損傷や、人工衛星の故障等の被害は出るが、復興も迅速に可能。


 という数値から、ブラックホールが600光年の距離に迫るまで、4,000年は猶予があるとされた。

 それくらい時間があれば、超光速航法も速度と跳躍距離が伸びて、ストレンジレット生成ももっと小型の装置で可能となるかもしれない。

 方向性さえ分かっていれば、技術進歩は確実になる。

 漠然と「何をしたら良いのか?」となっている状態より、余程確実だ。


 とりあえず思考実験はここまでとなった。

 富豪のマクスウェルは

「中々面白い話を聞けた。

 時間を割いた甲斐があったよ。

 実行する際、私も協力させてもらうとしよう。

 まあ、4,000年後に私が居たら、だがな」

 と笑い、それが〆の言葉となる。


 このジョークがジョークでなくなる事を、参加者の誰も気づいていなかった。

明日からは平日1日1話、土日は1日2話投稿とします。

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― 新着の感想 ―
相変わらず話の発想が凄いですね……
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