表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/12

思考的実験

「アーサー・チューリング?

 科学雑誌の編集長が一体何の用だ?

 我々は学術論文を出すようなグループではないぞ」


 移動ブラックホールが発見され220年余り、研究を始めてから160年程の「箱舟計画」のリーダー、ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・バルクライは、突如届いたメールに迷惑していた。

 このチームは新規の技術を求めない。

 宇宙移民を船団単位で推し進め、宇宙船も自給自足可能なサイズのものを建造しようと、実に気宇の大きい事を実行している。

 彼等の同胞たちは、相当に寒い惑星でも生きていける。

 我慢強く、命令には従順。

 移民が半減しようが、残りが辛抱強く、新天地を開拓していくだろう。

 このチームは、既存技術の地道な発展を待ち、出来るだけ多くの人を避難させ、犠牲が出る事は承知の上で数と力業でなんとかしようという思想である。

 だから、先端技術を扱う科学雑誌に招かれる謂われは無いのだ。


「まあ、ちょっとの間通信で会話するだけだ。

 何の用かは分からないが、顔を立ててやろうか」

 バルクライは指定された時間を待つ。




「主任、ロンドンから連絡が来ていますよ」

 こちらはムンバイにある先端医療・生命科学研究所。

 その主任であるサラスワティ・ヴィクラム・メイラは、7,000年後のブラックホール到来時、もしも地球人類が滅亡した時に、宇宙に旅立った凍結受精卵から人類を再生させる計画の推進者である。

 彼女は哲学的であった。

「人類の死とは、子供を残せなくなった時に訪れる」

 と語り、自分が死んでも子供が生き残ればそれは自分の生の勝利であると唱えている。

 この受精卵を宇宙のどこかにある新天地に送る計画は、その気になれば今からでも始められる。

 何万年かかろうが、その間故障せずに動くコンピューターと孵卵器があれば、到着した時点から人類を再出発させられる。

 今はまだ、寿命が数十年の機械しか造れない。

 移住先の惑星も候補が決まらない。

 そういった地道な研究をしながら、7,000年間待つのではなく、準備が出来次第宇宙に自分たちの子たちを送る事が出来るだろう。


「私に何の用かしら?

 えーと相手は……アーサー・ラッセル・チューリング……。

 また『受精卵とはいえ人には違いない、不毛な研究の実験材料にするな!』とか言うのかしら?」


 彼女たちの研究所は、人権団体にそのように警告された事がある。

 彼女たちは、貧しい人からいざという時は受精卵を購入する契約を結んで、彼等を支援していた。

 最近は、成体用のコールドスリープにも一定の成果が出て来た為、出資者の機嫌がすこぶる良い。

 それで出資者たちの資金で貧しい人たちと契約をしたのだが、それは胎児を使ったクローン技術の開発に使われる、などと悪意の噂が立てられたのである。

 実際、クローンを作ってそれに意識を乗り換え、永遠の命をという研究もしていたりする。

 あらゆる可能性を考える、今は無理でも将来は出来るようになるかもしれない、それが学者の性質であろう、善悪は抜きにして。

 そんな彼女たちは、最近まで執拗なハッカーに悩まされていた。

 こういう倫理も無視な研究姿勢に反発するグループからの攻撃ではないだろうか。

 だがおかしな事に、核心技術へのアクセスに成功された後、攻撃はぱったり止んだ。

 いや、引き続き攻撃はあるのだが、核心技術を覗き見た者に比べて稚拙になっていて、セキュリティ班に簡単に阻止されている。

 彼女たちのグループは研究の内容的にセキュリティが厳重なのだが、それを破った者は何者であろうか?

 盗み見た情報をどこかに公開するわけでもない、ただの愉快犯だったのか?


 まあ、その事は一旦忘れ、ロンドンの科学雑誌編集長が何を言って来るのか警戒しようか。




「お集まりいただき、光栄の極み。

 皆さんは7,000年後の危機に今から備えるという、トロヤの姫君(カサンドラ)のような方々です。

 私は皮肉を言ったつもりはありません。

 トロヤは彼女の予言を聞き入れなかったばかりに滅亡したのですから。

 今の世界は、貴方たちの研究を馬鹿にしています。

 実際、千年後とは言わない、百年後には更に凄い技術が出来ているかもしれない。

 しかし今以上のものが出来ない可能性もある。

 何千年も経って、やはり何も出来なかった、なんであの時に始めて置かなかったんだ?と言っても遅いのです。

 まさにトロヤの予言です。

 ですから、今持っている技術で何が出来るか、考えてみませんか?

 正直に言うと、今がどんな状況で、それに対してどう対処出来るのかを私が知りたい、思考実験にお付き合い願いたいのですよ」


 この挨拶に、ネットワークの向こう側で一同は溜息を吐いた。

 偉そうに言っているが、その意識があったからこそ、自分たちは研究を行っている。

 論文の掲載を決めるだけの文人が、科学者を集めて何を言っているのやら。


 この偉そうな男はともかく、一同は会議の参加者を見てみる。

 様々な「ブラックホール衝突対策チーム」の面々が並んでいた。

「戮星計画」のリーダー、ウー・ハオランという悪名高き男がいる。

「反物質研究」の第一人者、レオンハルト・パウリ教授も顔を見せている。

「超光速航法」を実現させたチームを率いる、富豪のハワード・オルドリン・マクスウェル3世が、回線越しに参加者を品定めしていた。

 その他にも、基礎研究をしている者、ブラックホール天文学を専攻している者、粒子加速器の技術者、量子コンピュータの開発者など、多種多様だ。

 極東からは、梶川誠一郎という反物質研究と加速器の研究者が顔を出していた。


 マクスウェルが口を開く。

「で、どういう思考実験をするのかね?

 面白くなかったら、私はすぐにログアウトさせてもらうよ」

 チューリングはやれやれと肩を竦める。

 そしてチューリングが語ったのは、なんとなく予想がついた事だった。

 この参加者の研究、技術を統合したものである。


「ブラックホールに反物質を当てて、一部蒸発させる事で軌道を変える。

 それを正確に行う為に、超光速航法でブラックホールに接近し、天文学レベルでは至近距離で操作を行う」

 これに対しマクスウェルは

「中々面白い意見だが、そこに行くのに我々の宇宙船を使うのだろう?

 君も知っていると思うが、我々の船は数人を載せて移動するのがやっと。

 その理由は宇宙船の容積の大部分をエンジンに充てるからだ。

 反物質を打ち込む余力はない」

「宇宙船を大型にしたらどうです?」

「興味深いが、質量を大きくしてもエンジン比率は変わらないぞ」

「ですが、1万人規模の宇宙船なら、比率は同じでも相当な空き容積を確保出来ますよね?」

 そう言ってセルゲイ・バルクライを見るチューリング。

「言っている事は分かる。

 いずれ、エンジンの小型化が成功したら彼と協力し、新型宇宙船を開発する約束になっている。

 君に言われるまでもなく、ね。

 だが、それはあくまでも人民と動植物の胚を運ぶものだ。

 これもメイラ博士とは意見交換済みだ。

 君が考えるより前に、我々は互いの欠点を補い合い、人類を脱出させる事を考えているのだ」

「それは脱出の為であり、ブラックホール破壊の為ではないでしょ?」

「ブラックホール破壊など、不可能だ」

 それを聞いて、ウー局長とパウリ教授の眉がピクっと動いた。

 だが彼等も激昂して反論はしない。

 むしろバルクライに同調するような事を言う。

「都市に匹敵するサイズの宇宙船を作り、そこに巨大加速器を設置したとしよう。

 そこで生成出来る反物質は高が知れている。

 それではブラックホールに何の効果も得られない。

 密閉して閉じ込めておくとしても、ブラックホールまでの移動時間維持出来るものではない。

 60秒維持出来たら上出来だ。

 反物質は現地で生成せねばならず、その程度では意味がないのだ」

 将来はもっと維持時間を長く出来る、そういう確信はあるが、あえて言う必要もない。

 ウーも同意して語る。

「我々の戮星計画は、相当に長い時間をかけるものだ。

 対象の恒星系にダイソン球を作り、恒星のエネルギーを全て反物質生成に用いる。

 そうして作られた小惑星質量以上の反物質を恒星中心核に注入する。

 恒星は自ら発したエネルギーにより致命的な毒を作られ、その断末魔の悲鳴がブラックホールを揺るがす。

 だがこれは未来の話だ。

 我々はこれの実現を早くて500年後と見ている」


 だがチューリングは余裕の表情だった。

「流石は悠久の民族、実に壮大な計画をお立てだ。

 ですが、僅かな反物質でも十分だったりしますよ。

 ねえ、梶川准教授」

 名指しされた梶川はビクっとした。

「私は知っているのですよ。

 貴方はストレンジクォークを含むラムダ粒子の高密度体、プロト・ストレンジレットと反プロト・ストレンジレットをナノ秒、いやピコ秒だったかな、生成に成功したんですよね?」

 一同がざわつく。

「なんで知っているのですか?

 まだ検証段階で、論文にまとめていないのですが」

 梶川に対しチューリングは

「そりゃあ、貴方たちのような高度研究をしている所の情報は、常に耳に入るよう努力していますので」

 とはぐらかす。

 一同は思った

(このエセ紳士野郎、侮れないな)

 同時にこうも思った

(ストレンジレットを生成出来るとなると、話が変わって来るぞ)

 とも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ