科学の壁
ある研究所は考えた。
「人類を太陽系から脱出させよう」
ブラックホールと遭遇する7,000年後までに、人類を遠く離れた可住惑星に逃す「人類播種計画」である。
このグループは、現在の人類の技術から計算し、ブラックホール襲来までにその重力の及ばない場所に人類の一部だけでも移動させようという考えであった。
彼等は人類の種と文明の再発展の継続性から、最低 10,000人を乗せる船団を作り、それを太陽系の対銀河公転とは逆向きで、かつ銀河中心からは遠ざかる方向、ぎょしゃ座やふたご座の方向に飛び出す計画を立てる。
そしてこのチームは早速行き詰まる。
問題は宇宙船の速度であった。
この時期の宇宙船は、木星の資源採掘で1,000日航行と言われる往復をこなしていた。
実際は木星の衛星での滞在期間や、地球・木星とも公転している関係上、最適な出発タイミングを計る為、1,000日では済まないのだが、とりあえず片道500日で行ける計算である。
これが将来の技術進歩でもっと高速にはなるが、それでもブラックホールの影響外、安全圏に達するまでに200年という時間を必要としてしまった。
そして、移動して終わりではない。
どこかの惑星に降り立つ必要がある。
ブラックホールが太陽系に影響なく過ぎ去ったら、頭を下げてでも地球に戻れば良いだろう。
しかし不運にも地球が壊滅した場合、どこかの恒星系に逃げ延びねばならない。
彼等はこの移住先を「くじら座ルテン 726−8」(約8.73光年)、「りゅうこつ座カプタイン星」(12.77光年)、「くじら座タウ星」(約11.9光年)、そして「エリダヌス座イプシロン星」(約10.5光年)に絞った。
そしてそれらの恒星系に可住惑星が無いか、調べ始める。
結果は残念なものだった。
惑星が存在しない。
10光年前後で考えても、1,000年の旅になる。
もう宇宙船が社会の全てと思う子供たちばかりになるだろう。
こうして宇宙船内で一生を終える流浪の民を、いつ終わるか分からない旅に送る。
これはこれで悲惨かもしれない。
彼等は、もっと高速を発揮するエンジンのブレークスルーを願いながら、「現代のノアの箱舟」とも言える巨大宇宙船を開発する研究を進めた。
いつ出来るか知れない技術革新を信じながら。
同じ地球脱出派でも、違ったアプローチをするグループもあった。
さしずめ「超光速航行派」とでも言ったら良いだろう。
彼等は、現在の技術では脱出に時間が掛かり過ぎると考え、より高速を、可能なら超光速を発揮するエンジンの開発に取り掛かっていた。
特殊相対性理論の壁は、質量ある存在が三次元宇宙を移動する場合、今でも制限となっている。
光速に達する事が出来ない。
しかし、特殊相対性理論は「空間が移動する速度」を仮定していない。
つまり亜空間に潜り、ワープバブルを宇宙船の周囲に展開しながら移動する方法なら、超光速航法が可能であった。
彼等は必死に研究を行い、移動ブラックホール発見から百年程経って、やっと完成した。
だがそれは異なる悩みも生じさせてしまう。
超光速航法は、マウスを使って実験された。
結果、木星で待機していた者の元に、数十秒で到達する光速超えを果たす。
その宇宙船は、船内容積の95%を推進装置、ワープバブル発生装置、空間歪曲場発生装置、そのエネルギータンクに要してしまった。
これでは都市レベルの大型宇宙船を作らないと、大量の人員を運ぶ事など出来ない。
国家プロジェクトでもない為、そんな事は出来ない。
彼等は「人類が最低限存続可能」である有効個体群サイズの「50/500ルール」に沿って、50人(遺伝子の多様性を無視した最低限の人数)から500人(長期間に渡って遺伝子の多様性を維持出来る)程度の救済にシフトせざるを得なかった。
そして、彼等にも速度の問題と移住先の問題が立ちはだかる。
この超光速航法は、72時間のエネルギーチャージを行って、跳躍出来たのはせいぜい0.1光年であった。
宇宙の広大さに比べ、余りにも短い。
もっと遠くに、もっと早くエネルギーチャージを終えて飛ぶ。
彼等はその研究を続ける。
そして、彼等は移住先の恒星系を地球から25光年前後までとした。
10光年前後は、やはり可住惑星が見つからなかった。
頑張れば数百、いや千光年以上の移動も可能だが、長期間になればなるほど物資の問題が発生する。
宇宙船の容積の95%をエンジンに取られる為、「播種チーム」の大型宇宙船のような船内自給自足は望めない。
空気や水はともかく、その他は消費したら終わりであり、全てを持っていかないとならない。
それを踏まえて距離を考えると、約25光年が移住範囲となる。
技術進歩で更に遠くまで行けるようになるだろうが、まずはその距離で候補地を探そう。
近いに越したことはないのだから。
それに「播種チーム」の、方角も決まった中での恒星数に比べ、超光速航法ゆえに方角を選ばない「超光速チーム」が候補と出来る恒星数は格段に多くなるのだから。
第三の移住計画チームもある。
それは「冷凍睡眠」チームである。
研究は名称通り「人類のコールドスリープ」なのだが、この「人類」と「コールド」は必ずしも成体とは限らないのだ。
要するに、冷凍保存された受精卵を運搬し、所定の惑星に到着した後にコンピューターが解凍し、培養して人類を再生する事も含まれている。
むしろ彼等は、これを成す為の研究を始めたのだが、資金不足に陥る。
「播種チーム」も「超光速チーム」も、まだ夢があった。
彼等に出資する富豪は、その技術進捗によっては自分が「太陽系の外」や「超光速の世界」を体験出来る可能性がある。
その計画が発動するまでに数千年の猶予があるのだが、途中段階であっても金に物を言わせて、一般人では不可能な事を体験出来るかもしれない。
しかし、冷凍受精卵ではそれが出来ない。
当然、出資する者も少ない。
そこで
「生きた人間を低温睡眠させます」
「例えば難病で、現在の技術では治療困難な場合、未来まで睡眠して待つ事が出来ます」
という、いわば方便を使って資金を募った。
これで資金の問題は解決したが、彼等はこの副次的な研究にも力を入れねばならなくなり、痛し痒しといったところだろう。
このチーム最大の欠点は、「播種チーム」の大型自給自足型宇宙船なり、「超光速チーム」の亜空間航行船なり、あるいは第三の方法を模索するチームの移動手段なりをチャーターして、受精卵と揺籃機を運搬しなければならないところだろう。
自前の移動手段は研究していない。
なにせ、資金不足、人手不足なのだ。
ブラックホールの危機は7,000年後。
危機感の無い人類は、今焦って研究をしているチームを馬鹿にしている。
何らかの見返りを見い出せるものに投資をする者がいるくらいだ。
1つのチームで何でもかんでも出来るわけではない。
無人で済むとはいえ、それは精々数十年の事である。
長期間稼働させれば、機械はそれだけ劣化する。
メンテナンスを考えれば、人が乗っているか、移動時間を短くしたい。
メンテナンスさせしっかりしていれば、数百年は稼働出来るだろう。
よって、他のチームの宇宙船とタッグを組む事になる。
その為、同じ問題を抱えてしまった。
「どこに移住するのか?」
結局、避難を考えるチームはこれをクリアしなければならない。
もっとも基本的にして、もっとも難関な問題である。
彼等は技術開発を進めながら、この難問にも取り組んでいた。
対策チームは彼等だけではなかった。
もっと急進派もいる。
彼等はこう考えた。
「ブラックホールを破壊出来ないだろうか?」
と。




