光が降る窓
こないだここでね 夏祭りをやったのよ
ホールにみんなが集まってて ここって沢山の人がいるのね
縁日みたいにフランクやわたあめを用意しててくれてね
フランクや焼きそばは わたしどっちでもよかったけど(笑)
わたあめをねえ 目の前で作ってくれて
美味しかったわ あれが食べたかったの
外で花火師の人たちが 打上花火をやっててね
中庭で仕掛けて 次々に点火していったの
ああいうの初めてみたの おもしろかったわ
花火が綺麗、じゃなくて花火師の作業を興味深々眺めては喜んでいたようだ。
そういえば昔っから義母は「これはなぜそうなるの?あれはどういう仕組み?」と知識欲も好奇心も人一倍旺盛だった。
義父母が元気な間に住んでいた隣地の古家がまだ残っているのだが、その木壁には、ボケ防止の為と書き綴った沢山の人物名や地名が書かれた忘備録的なポストイットが、ずらりと貼られたままになっている。なんでもかんでもメモを取る習慣がある「メモ魔」の彼女、部屋中がいつもメモだらけになっていたな。
義母が老健から今の施設に移って、3か月が経った。まだ新しいその特別養護老人ホームは、緑豊かな田舎町の高台にある。
柔らかなピンクのカーテンで縁どられた大きな掃き出し窓からは、ベッドに伏したまま東南に連なる見慣れた緑の山並が一望できる。
毎日、その山入端から朝日が昇る。
「ちょっと眩しいけど、寝てばかりで外に出ないでしょう、日照不足だからね、避けないで今は朝陽に当たるようにしてるのよ」
面会に訪れる度に、少し笑みを浮かべてそんな風に言う。
とても、よくしてもらっている。週に1-2度面会に赴く度、彼女の状態やケア内容などを担当の方が丁寧に説明してくれ、細かい相談にも親身に乗ってくれる。
義母の状態も緩やかな回復傾向にあり、「来たよ」と入室するといつも顔色よくこざっぱりとし、穏やかな顔つきで安定しているのがよくわかる。
「先日持ってきていただいた つまようじ、なんですけど…」
先日の面会の際に、介護職員さんから思いもよらぬ提案があった。
8020で何度も表彰されてきた義母、とても歯を大切にしている。寝たきりになってもその拘りぶりは変わらないままいた。毎回食事のたびに丁寧に爪楊枝を使うのが長年の習慣だった彼女。自分で歯磨きが出来るように回復したころからまた、爪楊枝を使い始めた。
それはそれでよかったのだが、筋力も衰えさすがに手元が怪しくなっており歯茎を傷つける心配があるのだという。職員さんは歯科衛生士さんに相談し、爪楊枝に替わる歯間ブラシをつかってみてはどうか、と提案してきてくれたのだった。
え、そんなことまで?とこちらはその提案に最初少し戸惑いというか、「は?」という感じになった。
多くの入所者さんをケアするなかでそのような細部にまで注意を払い、面会時わすれず家族に詳しく説明、改善案まで押し付けることなく示してくれること。
これまでも度々そういう事はあってその度に丁寧な対応に感心し、感謝と信頼感をすこしずつ積み上げて来たけれども、当人の尊厳を極めて重んじた親身のケア、家族も含めての行き届いた配慮に「そこまでするのか」と正直、驚いたし感激したのだった。
「わかりました、ではドラッグストアで見繕って持参してみますね」とこちらは答え、職員さんはにこやかに退出されて行った。
そのあと、面会終了時刻近くになって歯科衛生士さんがやってきた。その日出勤日でちょうど面会時に在籍していたからと、駆け付けてきてくれたのだった。
専門家としての明快な説明を述べてくれ、こちらはさらに納得だったがそれで終わりではなかった。
衛生士さんはベッドの窓側へと進むと義母の枕元に歩み寄り、その耳にグッと顔を近づけ微笑みながら穏やかに語り掛けた。
「良子さん(仮名)、このあいだ見せて頂きましたがとっても歯がしっかりしておいでですよね。素晴らしいです。問題なしです。ただご自分の歯が沢山残ってるぶん、汚れもどうしても残りやすいですよね。
こうこうこういう訳で、この方がいいかと思うんですよ、どうですか?一度試してみませんか?お手入れしにくいところがもしあったら、私達がお手伝いしますから」
にこやかに、丁寧に、やさしいトーンだけれども流石専門家!というきっぱりとしてとても安心感のある声音だった。
義母は、耳元に衛生士さんのお顔が寄せられた状態のまま、彼女としっかり目を合わせてすぐさま頷き「わかりました、やってみます」と答えた。
その時義母の顔に浮かんだのは、喜びと安心と信頼が満ちた眩しいほどに輝く微笑だった。家族である私達ですら殆ど見た事のないような、なんとも晴れやかで嬉しそうな表情にとても驚いた。
伏す母の耳元に躊躇うことなく顔を寄せ、濁りのない優しい笑顔で語り掛ける歯科衛生士さんと、ここ数年来 見た事が無い程に柔らかな微笑でその問いかけに応える母の姿。勿論それは職務上当然の所作なのかもしれないが、そのときの二人の様子にはそれを越えるものが流れているように私には、見えた。
明るい窓の向こうに連なる緑濃い山々と優しいピンクのカーテンを背景にして目にしたそれは、身内の欲目とかすっ飛ばし、思わずぽかんと見惚れてしまうような、美しい優しい、まるで映画のワンシーンか何かのような光溢れる光景だった。
近頃では車いすに座っている時には自分で車輪を動かし、少しの距離ならば移動したりしているそうだ。肌がカサカサして嫌なの、と、ベッドわきに置いた乳液を手に取り顔に塗ったりも、自分で出来るようになっている。
義父が健在だったころから、いつも外に出る時は日焼けを殊更気にし、ゴミ出しに出るだけでもつばの広い帽子と長袖でガッチリ素肌をガードしていた。
華美や贅沢とは程遠く、捨てられない古い服を上手に合わせお気に入りのコーデを着回す感じだったが、それでもいつも良く似合っていて、老人会に出かければご近所さんから「良子さんいつもおしゃれね!」と褒められていたし、嫁から見てもセンスいいな!と感心することがよくあった。
また、若くして腎臓を患ったことから日々の健康管理にも非常に気を使っていた。〇〇が体に良いという情報に接するとすかさずメモ、真っ先にそれを実践してみたり、健康食品やサプリをどんどん入手したり。年を追い老いを実感するほどにそれは強まっていき、ひところは通販健康食品オタクみたいになったこともある 笑。
義母は結婚前に幼稚園教諭をしていたこともあり、いつも優しく辛抱強く、聞き上手気配り上手な彼女を子育てにおいても先輩として、手本にさせて貰ってきたところは多々あった。
特に人づきあいに於いて、どうしても耳に入って来る他人様の陰口やうわさ話には絶対に加担しない、という姿勢を貫いていたのを素敵だな、なるほどなと学び、自分も真似するように心がけた。
そりゃたまに家族内では義母とそういった話題を共有することはあったが、表でそういうものを出すことは決してなく常に中立、穏やかな振る舞いでご近所や知人親族たちの間ではとても信頼が厚かった。
近年は頑固さや元来の心配性が色濃く出てきて、時々度を越し家族とぶつかることも増えてはいた。
死線をさまよい寝たきりとなりながら現世に戻ってきた今、更に身体の老いや持病は進み短期記憶や認知の衰えなども、決して進行してないという訳ではない。しかし、パジャマ姿で長い時間をベッドの上で過ごす毎日にあってもそういった心根、本質的な部分は少しも変わって居なかった。
住み慣れた家を離れ不自由な体で介護施設で暮らす日々でも、職員のみなさんに感謝の思いを伝えつつ静かに穏やかに日々を過ごしながら、行ったり来たりの良いコミュニケーションを取っている事が容易に想像できた。
この様子だと、来春出産予定の次男夫婦のベイビー=初ひ孫の誕生を一緒に祝う事も、その手で直接あやしてあげることも、決して夢ではないのかもと思えてくる。
驚くような粘り強さで回復を見せる彼女の生命力の強さに感心してばかりだが、それを喜べるのは日々支えて下さっている職員さん達の手厚い介護、行き届いた心あるケアのお陰に他ならず、家族一同感謝の思いでいっぱいである。
義父が亡くなって隣家での独居生活をしていた間、彼女はよく言っていた。
「人間誰しも最期は一人よ。一人の寂しさはちょっとあっても、それはそういうもの、と慣れなきゃダメなの。」
連れ合いを亡くした寂しさや心細さも、そうやって凛と、また淡々と、受け止めていた。
明日をも知れぬ状態に陥っても腐らず、後ろを振り返らず、ただ与えられた時間を光に目を向けて静かに受け止めていく彼女の姿。
改めて、凄い人だと思った。
太く短く生き抜いた我が実父とは正反対の、日が暮れかけた長い坂を下ることに淡々と向き合い続けている、細く長き義母の生き方、あり方。
私自身にも家族にも、また別の強く美しい光を見せてくれているように、今は感じている。
介護。決して綺麗ごとだけでない現実は実感としてやはり数多あるのだけれども。それに埋もれない、キラッと美しい光が煌めく様な瞬間もまた数多あって救われる思いになった出来事でした。その瞬間を残しておきたくて、綴ってみました。最後までお読みいただきありがとうございます。