水中に潜むもの
俺の名前は、「如月 海人」
今日は、入水自殺をする為に地元の海にやってきたのだが、、、
何故、入水自殺をしようと思ったのかを
この遺書に書き留めておこうと思う。
俺は、24歳。
無資格で介護の施設に今月7月から派遣で働き始めた。
料理の専門学校を、20歳で卒業し正社員として
働き始めたのだが不規則勤務で体調を崩し今年の5月に退職した。
介護の道に進んだのは、人と接するのは好きで
飲食業での接客スキルが活かせると思ったから。
それと、介護業界は人手不足だとよくニュースで見たりしていたから。
少しでも、役に立てるならと介護業界に進んだ。
退社した5月に、介護資格の「初任者研修」を取得する為
毎週日曜日に講義を受けている。
だが、受講して感じたのは座学だけでは知識は身に付いても
実際に出来るのかと、考えた時に不安が残る。
頭だけでなく体の動きとしても並行して覚えたかった。
だから、俺は派遣で介護士として働く事にした。
俺が、働いている施設は「グループホーム」と呼ばれる
認知症の利用者さんだけの施設だ。
「グループホーム」を選んだ理由は、講義で
認知症の方を学んだ時に、自分が思っていた状態と違ったからだ。
もっと、知りたいと思い「グループホーム」で勤務する事にした。
施設は、綺麗でまだ築10年と新しい。
利用者さんも明るく元気で、認知症なのか?と
思ってしまう程だった。
仕事は、3日間は先輩が横について教えてくれる形だった。
4日目からは、独り立ちだ。
1人で出来るか不安になりながら出社したのだが、最悪なスタッフが居たのだ。
〈新人に最初から100% 完璧を求めるモンスター〉
高圧的な態度で、もっと作業速度を上げろ
こんな事も出来ないのか?等々
上げればキリがないのだが、、、
そのスタッフと同じ出勤日の朝は、今日は何を言われるのか
仕事に行きたくない。と徐々に身も心もすり減っていった。
だが、このモンスタースタッフには更に恐ろしい面があった。
〈絶体自分ルールモンスター〉
他のスタッフのやり方は知らない・関係ない
私が居る時は、私のやり方に合わせろ。
異論は認めない。
一度だけ、他のスタッフはこういうやり方を…と発言した事があった。
しかし、モンスターは聞く耳を持たず
私は、それをしたくない 分かる?と
圧をかけてきたのだ。
この人には、何を言っても無理なんだと
その瞬間、俺は悟った。
他のスタッフも、モンスターの性格は難ありだから流したらいいよ。
何かあれば、相談してと言われたのだが
そんな深い事まで入って間もない俺が相談できる筈もなく
何とか耐え続けていたのだが、、、
今日、限界が来た。
仕事に行こうと家を出たが、行く途中で
今日もモンスターと働くのか…と何もかもが嫌になり死ぬ決断をした。
現在時刻:15:30 入水自殺をする。
と遺書に書き残しジップロックに入れズボンのポケットにしまった。
俺は、海の方に歩き始めた。
最初は、足首程度だった海水が進むにつれ胸元の辺りまで浸かっていく。
更に進むと、底に足が付いたり付かなかったりの深さまで来た。
そこから、俺は仰向けになり海の上をプカプカと浮かび始める。
海水が、何度か口に入り飲んでしまった。
出来るだけ、海水が口に入らないように顔を上に向けた。
仰向けのまま波に流されていく。
入水自殺は、一番苦しいと聞いてはいたが
この時はまだ真の恐怖を知らなかった。
プカプカと浮かびながら、色々考えた。
ほとんど、親に対しての申し訳ない気持ちだった。
親には、迷惑ばかりかけた人生だった。
バカ息子を産んだ事をきっと後悔しているだろうと。
子ガチャというものが存在するならば、俺は外れだなとか。
それにしても、全然沈まないな。
一度、水中で立つ事にした。
すると、何かに足を掴まれた感覚があった。
溺れる!!必死に海面に顔を出そうともがく。
ぷはっ!何とか呼吸を確保した。
だが、また足を掴まれた。
水中に引きずり込まれる。
見るのは怖いが、水中内で目を開けてみた。
俺の足を引っ張っていたのは俺自身だった。
なんで…?一瞬思考が停止したが、このままでは死ぬという思いから
足を掴んでいた俺自身を、振り払い海面に顔を出した。
海面に顔を出した瞬間、海水を飲み込み
気管に詰まった。溺れ死ぬ!!
死にたくない、俺の中で生きたいと願う思いが出現した。
再び、仰向けの体勢に戻った。
呼吸を整える。
どれぐらい時間が経ったのだろうか。全く分からない。
それよりも、水中に居た自分自身の事が気になる。
あの正体は何だったのか。
本当に俺なのか?
プカプカと浮かびながら、思考を巡らせる。
それと、死ぬために入水したのだが
今は、死ぬのが怖い。
何とか陸の方に戻りたい。
再び、水中の中で立つ事にした。
陸の方を見た時に、俺は絶句した。
陸から、かなり流されていて自力で戻るには不可能と思っていい距離だったから。
周りに、掴まれそうなものを探す。
ブイが見えた。
何とか、ブイに近づこうとするが波に流され距離が縮まらない。
無理だと諦め、仰向けの体勢に戻ろうとした時
グイッとまた足を引っ張られた。
先程よりも力が強い。
一体こいつは何なんだと思った瞬間
耳元で、『お前は、死にたくて海に来たんだろ?手伝ってやるよ』
その声を聞いた瞬間、背筋に悪寒が走った。
声も、俺と同じだったのだ。
『俺は…もう…死にたく…ない』
必死にもがきながら海面から顔を出し否定する。
喋ったのが、マズかった、、、
海水が再び気管に入り、呼吸が出来ない。
ゴホッゴホッと、何とか海水を吐き出す。
鼻にも海水が入り込み、呼吸が出来ない。
肺が締め付けられている感覚で、苦しい。
このまま死ぬのか?
頭では、死ぬかもしれない現実を受け入れようとしていた。
だが、体は違った。生きたい本能で海水をかく。
このまま沈んでなるものかと、必死に体は抵抗する。
いつの間にか、足を掴んでいた感覚は消えていた。
今だと思い、仰向けの体勢に戻る。
陸の方に、何とか近づくため仰向けのまま
足で海水をかく。
だが、全く進んでいる感覚がない。
『無駄だよ、お前はここで死ぬんだ』
また、あいつの声が聞こえた。
『うるさい、うるさい。俺は、何としても家に帰るんだ。
母が待つ俺の家に、、、!』
どのぐらいプカプカと浮いているのか分からないが、体に疲れが出始めた。
もう、ダメかもしれないと心が折れそうになる。
それでも、足の動きは止めない。
徐々に体が冷え始める。
寒さで震え、歯がガチガチする。
太陽が、俺に当たり水温が僅かに上昇する。
だが、後どのぐらいこの状況を耐えればいいのだろうか。
終わりの見えない地獄。
そうだ!ポケットに入れていたスマホが使えるかもしれない。
ダメ元で、ポケットからスマホを取り出し
仰向けのまま何とかスマホカバーを開く。
スマホの画面が表示された。
時刻は18:55。
奇跡的にスマホが生きていた。
何とか119をかけれたら…
ロック画面を解除しようとするが、何にも掴まらずに仰向けで
浮いているせいで体が安定しない。
海水が口に入る。
海水が口に入らないように、頭を上げる。
だが、そのせいでバランスが崩れロック画面が解除できない。
ダメだ。このままでは溺れてしまう。
一旦ポケットにスマホをしまう。
『あぁーーーーーーーー』
波に流されながら海の真ん中で叫ぶ。
誰かに聞こえる筈もなく、俺の声は波に掻き消されてしまった。
やはり、俺はここで死ぬ運命なのか。
呆気ない人生だった。
これで、奇跡的に生き残ったら不死身でも名乗るか。
と絶望的状況で奇跡が起きる事に期待した。
精神的には、もう限界を超えている。
体は冷え込み3時間以上仰向けの状態。
助かる筈がない。
それでも、僅かな希望に縋りたかった。
もう一度、スマホを開こうと試みる。
溺れそうになりながら、何とか4桁のパスコードを打ち込んでいく。
打ち間違えを何回かした。
それでも、諦めずに打ち続けた。
俺が助かる可能性があるのは、このスマホで119に通報する事だから。
やっと、スマホが開けた。
次は、電話を開く。
これもまた、かなり難しい。
ロック画面の解除で、苦戦していたのに
次は、電話アプリを開き119に電話をかけなくてはいけない。
普段のスマホ操作とは、レベルが違う。
不安定な体勢で、精密な操作。
忍者なら容易かもしれないが、俺は極普通の一般人だ。
しかし、現状を打破するにはやるしかない。
水中でスマホと格闘する事 約10分
何とか119に電話をかける事が出来た。
のだが、耳は水中に浸かっている。
向こう側の声は、一切聞こえない。
スマホを顔の上に掲げながら
俺は、必死に一方的に発言する事にした。
『○○の海で遭難中 助けてください 溺れる』
これを、何度も繰り返した。
相手側に聞こえているかは分からない。
だが、俺にはこの言葉を繰り返すしかなかった。
電話はかけれたが、3時間以上もプカプカと浮かんでいたり
何度も溺れかけている。
パニックに陥っていた。
すると、スマホから微かに声が聞こえた。
水中で耳に当てても、声が聞こえるか分からないが
当ててみる事にした。
すると、声が聞こえたのだ。
だが、一部聞き取りにくい部分もあった。
更に、スマホに意識を向けすぎると体が沈む危険性もある。
水中には、俺の姿をした何者かも居る。
考える事が多すぎる。
本当に、生と死の狭間に居るような感覚だ。
電話が繋がった事で、一縷の希望が見えたのも事実。
救急隊の質問に、何とか答える。
『今は、水の上ですか』〔水の中です〕
『周りに何か掴まれるものはありますか?』〔ありません〕
『お名前は、何ですか?』〔如月 海人です〕
『何故、水中に入ったのですか?』〔死のうと思って…でも今は生きたいです。助けてください〕
『今、消防隊が向かってます』
『陸の方に赤いランプは見えますか?』〔どの陸か分かりません〕
『周囲に船は見えますか?船の音は聞こえますか?』〔ありません〕
『現在の服装を教えてください』〔上が赤茶で、ズボンは黒です〕
海水が、口に入らないように必死に仰向けで質問に答える。
時折、周りを見る為に水中で立たなくてはいけなかった。
その度、溺れそうになる。
更に、立つ事で水中から引っ張られ沈みそうになる。
片手にはスマホ。体の自由が利かなくなる。
生きたい・死にたくない・家に帰りたい
この気持ちだけで必死にもがき続ける。
声の聞こえが悪いせいで、何度も電話を切られかけ直しをされる。
電話に出るのは、死にそうになるからやめて欲しい…
入水自殺をしようとした、俺が悪いのだが
息が荒くなり本当に見つけてもらえるのか、不安しかなかった。
だが、こんな状況でも頭は冷静だった。
今の場所は、海の真ん中あたりだろうか。
かなり、沖に流されてしまった。
陸に近づこうともがいても、進んでいる感覚がない。
圧倒的、絶望の状況で119をかけた冷静さは驚くものであった。
『今、捜索しているのでもう少し頑張ってください』
もう少しとは、どのぐらいなのか。
感覚が分からない。
俺は、ここで死ぬのか?
やりたい事が沢山あったのに、未練ばかりの人生だった、、、
『何か光るものは持っていますか?』〔スマホのライトを点けます〕
『出来るだけ高く上げてください』
腕を精一杯、高く上げる。
腕を上げた事により、沈みそうになる。
何処から、船が来るか分からないので出来るだけ回転する事にした。
全方位から見つけてもらえるように。
少しして、白い明かりと声が聞こえてきた。
助けが来たのか?
だが、光は遠い。間に合うか分からない、、、
しかし、見ていた方とは別の方向から船が近づいてきた。
『遭難者発見。後少し頑張って、これに捕まって』
浮き輪を海に投げ入れてくれた。
ドラマとかテレビで見るやつだと思いながら浮き輪に掴まる。
『顔と腕を浮き輪に通して』
指示に従うが、腕の力は既に限界だった。
それでも、何とかしがみつく。
後少しの辛抱だから。
次に、U字型のライフガードチューブを投げ入れてもらった。
『次は、これに掴まって。浮き輪は、離して大丈夫』
先程と同じように、頭と腕を通す
〔こんな感じですか?〕
まさかの、喋る気力が残っている。
これには、俺自身も驚いた。
『ゆっくり上げるけど痛かったらごめんね』
落ちないように、しっかり掴まりながら引き上げられる。
まるで、水揚げのようだ。
船体に、お尻が擦れているが助かるならこの程度なんてことない。
無事に引き上げてもらい、船上で横にしてもらう。
体が寒い。ブルーシートのようなもので包んでもらった。
『遭難者 無事救出 時刻は21:10』
約5時間30分も海にプカプカと浮いていた事になる。
よく生きていたなと、安堵する。
息が荒い。口内が乾いている。ほんとに、助かったんだな。
引き上げてくれたのは、海上保安官だ。
感謝してもしきれないほど。
これで、生きているとか不死身かよと内心鼻で笑ってしまった。
現実なのだが、現実感がない。
少し前までは、溺れるかもしれない恐怖に襲われていたからだ。
夢だったんじゃないかと思ってしまう。
その後は、陸に船をつけてもらい
小鹿の様に、手すりを掴んで歩きながら
服は濡れているので、パンツ一枚のみでストレッチャーに横になった。
救急隊の方に、興味本位で聞いてみた。
〔一般的には、水中で、どのぐらい浮いていられるものなんですか?〕
『僕でも、5分が限界だよ。服のおかげで浮いていたとしても
5時間30分も浮けないよ。根性は凄いね』
え、俺化け物では!?
後から、耳にした話なのだが
あの海には、入水自殺で亡くなった人の怨霊が住み着いていると言われており
仲間を増やすために、その人の姿や声を投影し引きずり込もうとしているのだとか。
季節が夏という事で、海をテーマにしたホラー作品にしました。
海は、身近なものですが同時に危険でもあります。
絶体に、足が付かない深さまで行くのはやめましょう。