食堂オシノビ
短編版です。
そのうちシリーズ化できたらしたいと思っています。
カーテンを開けた店内に朝日が差し込んで一気に明るさを取り戻した。今日も多様な人種が入り混じるこの大陸、セントリアの街角にある《食堂オシノビ》にも一日の始まりが訪れた。
店内では、無精髭の男―――ギノが、帳面片手に調理台の上に広げた野菜の山とにらめっこをしていた。食材の数と質を確認するように目を走らせる。
「人参は三本か。葉物は今日のうちに使って……そろそろ魚介系の新メニューも開発したいんだが……」
歩くのに合わせて無造作に結ばれた髪が揺れる。ギノの視線が厨房の隅に置かれた木箱に止まった。中には今朝届いた干し肉や野菜、昨日使いきれなかったキノコがいくつか重なっていた。
「パーシ、キノコはこれで全部か?」
声をかけると奥からパーシが現れた。銀色の髪を顎の辺りで切りそろえた物静かな女性だが、かつては双剣使いとして名を馳せていた冒険者だという。そのためエプロンの下には顔に見合わず筋肉質な体躯が隠れている。
「今朝近くの森で採ってきたものです。陽が高いうちにもう一度行きますか?」
「あとで香草類を取りに行く。その時一緒についてきてほしい」
「分かりました」
パーシは小さく頷いた。
セントリアはいくつかある大陸のうち中心に位置し、最も大きく栄えている交易と交通の要衝である。セントリアの周りには大小さまざまな島国が点在し、極東にある島にワグニがある。
ギノはそのワグニの出身だ。
彼の生まれ育った国では、素材の持ち味を引き出すことを何より大切にし、素朴ながら奥深い伝統料理が今も多く受け継がれている。農業・漁業・畜産がすべて国内でまかなえる環境にあり、国内での食材流通も安定している。
だが、ワグニを特別な国たらしめているのは、何より食への飽くなき探究心だった。
稲作が盛んなこともあり、どんな異国料理も「どうすれば米に合うか」と工夫を凝らし、強い毒を持つ食材ですら「無毒化すれば食える」と実験を重ねてきたという。
昔話の中には不老不死を目指し人魚を食べたという逸話すらあり、実際にセイレーンの一部は今もワグニを忌避しているらしい。
そんなワグニの血がギノにも色濃く流れている。
彼がこの地に食堂を構えたのは、郷土の味を広めるためではない。未知の食材を味わい、活かし、食べ尽くす。その情熱ひとつでこのセントリアで店を開くことにしたのだった。
「そろそろコメの買い付けを―――」
そのとき、扉のベルが派手に鳴った。
「マスター、ただいまーっ!」
泥まみれの青年が、勢いよくドアを押し開けて入ってくる。
元気と粗忽さをそのまま絵に描いたような冒険者。常連客のひとり、アポロだ。
「おかえり。だが今日は夜からの営業だぞ」
「すみませんー。でもこいつどうにかできないかと思って」
彼の手には蔓状の植物が握られていた。
「ギルドの依頼で“グリーンモンスター”ってやつを除去してきたんですけど、あちこちに絡まってて……。ギノさんなら美味しくできるかと思って」
ギノは眉をひそめ、蔓の先端を手に取った。産毛のようなものが生えており、根元に近くなるにつれて硬くなっている。そして所々になる豆のような膨らみ。
「……アポロ、これはどこで採れた?」
「東の森です。けど最近河原の方にも生え始めたらしいです。ギルドの依頼じゃ、根っこまで掘ってくれって言われたけど……太いわ長いわでほんとに厄介で」
「……やはり、ワグニの“クズ”に似ている」
ギノはしばし考えたあと、帳面を閉じた。
「香草を採りに行くついてだ。パーシ、東の森でのグリーンモンスターの採取を手伝ってくれないか」
「かしこまりました」
「柔らかい芽と、豆……できれば根も掘りたい」
「ええっ! なら俺もまた行きます!」
手を挙げて高らかと宣言したアポロだったが、店の中に大きな腹の虫の声が響いた。
「その前にお前は腹ごしらえをしないとだな」
「面目ないです……」
アポロは恥ずかしそうに頬をかいた。
軽く腹ごしらえを済ませたアポロに先導されて、ギノとパーシはギルドへと足を運んだ。
セントリア中央通りにある冒険者ギルド《アステリオス》は石造りの頑丈な建物で、この街では一番大きな建物となっている。表には掲示板がずらりと並び、様々な依頼書の紙が張り出されている。行き交う冒険者たちが依頼書を片手に、時には笑い声を上げながら忙しなく出入りしていた。
「最近は討伐依頼はほとんど無くなったのか?」
「無くはないですよ。この間は畑を荒らす巨大ヤマイノシシを討伐しました! あ、今度追加報酬で野菜もらえるのでオシノビに持っていきます!」
「料理しろってことだろ」
「お願いします」
語尾を跳ね上げ甘えるように言うアポロに、ギノは呆れたようにため息をつく。
「調子のいいやつめ」
「俺が調子悪かったら心配するでしょ」
アポロがギルドの扉を押し開けると、カウンターの向こうで帳面を確認していたウサギ耳の受付嬢が顔を上げた。
「おかえりなさい、アポロさん。報告書は?」
「あ、それは後で書きます。これからこの二人と一緒に、あのグリーンモンスターを追加で伐採しに行こうと思って!」
アポロが後ろを振り返って「ジャーン」とギノとパーシを手で示すと、受付嬢は軽く目を見開いてから、すぐに微笑んだ。
「おふたりがオシノビの……。噂は聞いてます。グリーンモンスターの追加伐採でしたら、問題ありません」
「それとですね、伐採したやつって持って帰っていいですか? 食材に使いたくて」
「……あれを、食べるんですか?」
「もちろんです!」
アポロはピースサインを突き出しながら、得意げに胸を張った。
「相変わらずですね、アポロさん」
苦笑まじりに受付嬢がパーシを見る。パーシは軽く肩をすくめて応えた。
そのやり取りを黙って聞いていたギノが、受付嬢に一歩近づいた。
「ひとつだけ伝えておく。あの植物は根が深い。山の斜面では掘りすぎると地盤が緩む可能性がある。……崩れると厄介だ」
ギノの声は低く静かだったが、真剣さがにじんでいた。
受付嬢は驚いたように目を瞬かせ、すぐに表情を引き締めて頷いた。
「了解しました。ギルド長に報告します。今後の伐採には注意を促します」
それを聞いたギノは、軽く頷き背を向けた。
パーシが「行きましょう」と声をかけ、三人は再びギルドの扉を押し開けて、東の森へと向かった。
東の森は陽光を受けて、木々の緑がひときわ濃く映えていた。風にそよぐ枝葉の間から光が差し込み、足元の地面には斑模様の影が広がっている。
件の蔓植物“グリーンモンスター”は、あちこちの樹木に絡みつくように這い上がり、まるで森を飲み込もうとしているかのような勢いで繁茂していた。
蔓は太くねじれ、その下にはアポロの言うように深く根が張っているのが見て取れた。
ギノは腰を下ろすと、軽く土を手で掘り返しながら根の様子を観察した。指先に感じるのは、硬くてしっかりとした根だった。
「本当は、もう少し寒くなった時期に採れるのが一番いいんだが……」
彼の呟きに、隣にいたアポロが首をかしげた。
「寒くなってから?」
「ああ。暑い季節のあいだに蓄えたでんぷんが、寒くなると根にたっぷりと溜まるんだ。そのでんぷんを取り出して乾かせば粉になる。料理にも使えるし、冷やして固めれば菓子にもなる」
「なるほど!」
アポロは目を丸くして頷いた。
「ワグニでは昔からこういう植物を活用してきた。甘味が少ない時代は、これが贅沢品だったんだ」
「美味しそう……」
「では大きめの根がついているものを優先的に掘ればよろしいのですね」
パーシが淡々と確認を取ると、ギノはうなずいた。
「ここからは手分けして作業するぞ。まずアポロ」
「はいっ!」
「お前は、ギルドから任されている伐採任務の範囲を伐採してくれ。それが済んだら、茎の先の柔らかい部分と豆を採取だ。特に豆は多めにな。花がまだ咲いていれば、それもあるといい」
「了解ですっ!」
アポロは勢いよく腕をまくり、腰の小刀を確認した。その目はすでに仕事モード、というよりは食材ハンターとしての輝きを放っていた。
「パーシ、俺がこれから数ヶ所に目印をつけていく。そこの根を丁寧に掘り起こしてほしい。できるだけ形を崩さないように」
「お任せを」
パーシは手にしたクワを力強く握りしめた。
「マスターの腰を守るのも私の役目ですので」
「アラフィフのおじさんにはつらいから頼んだ」
ギノは任せたと言わんばかりの笑顔で親指を立てた。
「よーし、やるぞー!」
アポロが両手を広げて元気よく声を上げる。森の静寂に響くその声が、一気に場の空気を明るくする。
驚いた鳥たちが一斉に飛び上がった。
「おーっ!」
アポロ自身が返事をして拳を振り上げた。
「……おー」
「お、おー……」
半分押されるようにパーシとギノが乾いた声で小さく相づちを打つ。
こうして三人はそれぞれの作業に取りかかった。
大きく木々が揺れる音と、鳥のさえずり、根を掘る音だけが、しばらくのあいだ彼らを包んでいた。
「おつかれさん」
店の裏口を開け、山盛りになった荷を抱えてギノが中に入る。遅れてアポロとパーシが続いた。
「お疲れ様ですっ!」
「お疲れ様です」
三人は調理場へと足を踏み入れた。静かだった厨房に活気が戻る。
厨房の一角に採ってきたグリーンモンスターを乗せながらギノが一息ついて言った。
「思ったよりも時間がかかったな。……パーシ、これらを天ぷらを頼む。まずは全部湯通ししてから衣をつけてくれ」
「かしこまりました」
パーシは即座に頷き、すでに水を張った鍋に火を入れていた。動きに無駄がない。
「アポロは豆を取り出してすり潰す。それからこの布で濾す。……できるか?」
「前に作ったポタージュでやったやつですね! 覚えてます、任せてくださいっ!」
アポロはやる気満々で、腕まくりをしながら調理台へと向かった。豆をすり鉢へさやから手早く取り出し始める。
ギノも調理台へ戻ると、まな板に野菜を並べる。手に取ったのは、人参、玉ねぎ、そしてきのこというシンプルな具材だった。
包丁のリズムが心地よい音を立てながら、テンポよく野菜が刻まれていく。
その横でパーシが採ってきた蔓の葉と若芽を手早く選別する。柔らかい部分だけを取り分け、沸かした湯にさっと通す。すぐさま氷水に落とすと、鮮やかな緑色へと変わった。
一方でアポロは、豆をすりこぎで必死に潰していた。時おり豆が弾けて飛び出す。
「逃がすなよ」
「はいっ、すみません!」
ギノは手早くスープ鍋を火にかけ、そこへ刻んだ野菜を順に投入していく。しばらく煮込んでからまだ味付けをしていないスープを一口掬う。
「……これだと豆乳を入れたら甘すぎるか……?貝柱を足してみるか」
ギノは呟き、棚から小さな壺を取り出した。壺を開けた瞬間、海の香りが厨房に広がる。乾物の凝縮された旨味と塩気が、甘さを引き締めるだろう。
干し貝柱を砕きスープに加える。少し火を強め、ぐつぐつと泡立つ鍋の音が響いた。
「パーシ、天ぷらはどうだ」
「いい感じに揚がってます」
パーシのつまんだ衣をまとった新芽や花が油に落ちると「じゅわっ」と音を立て弾ける。
揚げ上がった天ぷらを皿に盛りつけたパーシはわずかに塩を振る。香りを立たせ、素材の苦みと甘みを引き立てるためだ。
「抽出終わりました!」
「よくやった」
濾された液体はやや淡い白色をしており、そこへ水を加えて豆乳にする。
ギノはスープの仕上げに豆乳を加え、まろやかになったスープを静かに回す。湯気が上がる鍋の中に、淡い緑と優しい白が溶け合い、色とりどりの具が浮かぶ。スプーンですくってほんの少し口に運ぶ。
舌の上でそっと転がし、味を確かめる。
やわらかな甘みが舌にやさしく馴染んだ。出汁を加えることで味に深みが増しており、どこか懐かしい味わいに仕上がった。
「よし……」
ギノは満足げにうなづき火を止めた。
扉のベルが静かに鳴り、すっと入ってきたのは長い耳を持つ一人のエルフの女性だった。長い白髪をふわりと揺らしながら、彼女は穏やかな足取りで店内へと進む。
「マスター、ちょっといいかし……あら?」
森に住むエルフのミケだった。彼女は街に降りてきた際に店に寄ってくれる常連客だった。
「ミケさんこんにちは!」
声を弾ませて出迎えたのは、カウンターを拭いていたアポロだった。
「アポロの坊やは今日はここでお仕事?」
「いえ! タダメシ目当てです!」
悪びれもせず言い放つと、彼は胸を張った。
「素直ね」
ミケは可笑しそうに肩を揺らしてくすくすと笑った。
ギノが厨房から顔を出し、少し眉を上げる。
「開店前だが……どうした?」
「シンゲツグマの干し肉をもらったのだけど、私肉類は食べないでしょう?だから食べてもらえないかと思って」
そう言いミケは手にしていた包みを差し出した。受け取ったそれは見た目よりもずっしりと重い。
「ちょうど良かった」
ギノは包みを一瞥し、顔をアポロに向ける。
「アポロ、肉飯は食べたいか?」
「もちろんです!」
「ひとくちサイズに切っててくれ。お前のひとくちじゃなくて、ミケのひとくちサイズだからな」
「はい!」
アポロは嬉しそうな足取りで包みを抱えて厨房へ向かった。
「ミケ、新作のスープがあるんだが食べていかないか?」
「あらありがとう。ごちそうになるわ」
そう言って、ミケはカウンターのいつもの席に腰を下ろした。
ギノは奥の棚から白い陶器の器を取り出し、そっとスープを注ぐ。薄乳色の湯気が立ち上り、そこへ香草をぱらりと散らす。丸く焼いた小ぶりのパンも添えて、スープ皿の隣に置いた。
「初めての香りね」
ミケはスプーンを取り、ゆっくりとひと匙をすくった。
口に含んだその瞬間、味を探るように目を閉じる。音もなくスプーンを置くと、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「ほんのり芋のような甘み……。これはいつもの豆乳スープよりも優しい味ね。気に入ったわ」
「よかった。野草から搾った豆を使っている」
ギノが言い添えると、ミケは再び匙を取った。
「洗練されてるいい味だわ。こういうの、忘れそうになるのよ。人の街にいると」
どこか遠くを見るような目でそう言うと、彼女はまた一口静かにスープをすくった。
「ギノさん! 肉切れました!」
アポロの声がし厨房へ向かうと木製のまな板の上に、ひと口大に整えられたシンゲツグマの干し肉が並ぶ。アポロは手についた脂を軽く拭いながら、誇らしげに声を張った。
「ああ。じゃあ次は皿洗いを頼む」
ギノが手元の調味料に目を走らせながら、淡々と指示を出す。
「ぴっかぴかに洗いますっ」
アポロは気合いのこもった声とともに、袖を肘までまくり上げ水場へ駆けていった。音を立てて蛇口がひねられ、洗剤の泡が立つ。皿が触れ合う音がリズムよく厨房に響き始めた。
ギノは切られた干し肉と残っていた新芽を鉄鍋に投入する。
アポロの口に合うように甘辛い味付けのタレを絡めた。肉のうまみが溶け込んだ香ばしい匂いが厨房全体を包み込む。
仕上げに熱々のコメをよそった丼に、炒め物をたっぷりと乗せれば、食欲をそそる一杯が完成した。
「アポロ、パーシ、準備はいいか?」
「皿洗い、終わりです!」
水を止め、手をぱんっと拭きながらアポロが振り向く。
「こちらも揚げ終わりました」
パーシが鍋の前から顔を上げる。網の上には、衣をまとってきつね色に揚がった天ぷらが整然と並べられていた。
料理が揃ってカウンターに並べられた。
「試作だが、食べてみてくれ」
「いただきまーす!」
アポロが目を輝かせながら、まずは炒め物丼に手を伸ばす。
「う、うまっ……! しっかりした味つけなのに、新芽のほろ苦さがすごくいいアクセントになってます!」
笑顔で次々と豪快にかき込む手が止まらない。
「……いい香りと、ほんのりした苦味ね。お酒が呑みたくなるわ」
ミケは口元を柔らかくほころばせる。
「スープ、甘くて美味しいです。また飲みやすいです」
パーシは匙を口に運びながらしみじみと呟いた。控えめな彼女にしては、かなりの高評価だった。
三人それぞれが、味わいながら、時に笑い合いながら、試作料理を平らげていく。
ギノは無言のまま、その光景を眺めていた。ふっと目元をゆるめ、カウンターを回って店の入り口へ向かうと、扉の脇にかけられた木製のプレートを「OPEN」に返す。
少し早いが夜の営業の開始である。
「そういえば、根っこはどうするんですか? 粉、作るんですよね?」
アポロが丼を抱えたまま、ふと口にする。
「ああ。かなり時間はかかるが、ちゃんと粉にする。できたら、デザート作ってやるから待ってろ」
「やったーっ! ていうか、グリーンモンスター、もっと持ってこようかな!」
アポロが椅子から飛び上がらん勢いで声を上げると、ギノがくるりと振り返り、低く呟いた。
「それより、たまってるツケを払ってくれ」
「うぐっ……今日まとめて払いますよぅ……」
店内に笑い声が弾ける。料理の匂いに包まれて、穏やかで賑やかな空気が満ちていた。
扉のベルが、軽やかに鳴った。
4人の声が、揃って響く。
「いらっしゃいませ!」