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巫女、魔女、ただの私。誰が世界を救うのか  作者: 月嶋ソウ
その日、私はドッペルゲンガーに会った
2/2

カフェ・リーベ

「……お前の顔が気に入らない」


その一言のあと、テーブルの上に重たい沈黙が落ちた。


あたしは返す言葉も見つけられず、ただじっと彼を見つめた。そして、ようやく口を開く。


「……名前、まだ聞いてないんだけど」


彼は視線を横に逸らし、少しだけためらってから、短く名乗った。


「カイ・レーヴェンシュタイン」


「かい……れーぶぇんしゅたいん……?」


戸惑いながら繰り返すと、彼は小さくため息をつく。


そのとき、カウンターの奥にいたユリウスさんが、穏やかな声で口を挟んだ。


「もうちょっと愛想よくしたらどうだ、奏」


「“奏”って呼ぶな」


「こちらでは“黒瀬奏”だろ? 馴染まないといけないのは君のほうさ」


「……カイ? くろせかなめ?」


あたしが混乱気味に首をかしげると、ユリウスさんはくすっと笑った。


「こっちの世界では“黒瀬奏”として暮らしてるんだよ。もっとも、本人はあまり気に入ってないみたいだけどね」


「うるさいな」


「黒瀬くん、ってこと?」


確認するようにそう言うと、彼――黒瀬くんは仕方なさそうにうなずいた。


「好きに呼べばいい」


「……ふーん」


名前、二つあるんだ。

また一つ、わからないことが増えた。


その空気をやんわりと変えたのは、玲奈さんの笑顔だった。


「女の子にはもう少しやさしくしてあげるものよ」


やわらかな声に、不思議と場がなごむ。


「ごめんなさいね、葵ちゃん。この子、不器用なのよ」


「い、いえ……」


敬語になってしまうくらい、玲奈さんの雰囲気は落ち着いていて、それでいてやさしかった。


「初対面の相手に“顔が気に入らない”なんて言われたら、誰だってびっくりするわよね」


あたしは曖昧に笑うことしかできなかったけれど、その気遣いが少しだけ心をほどいた。


「……でも、それだけあなたが“特別”ってことでもあるのよ」


”特別”

また、その言葉。


あたしは思わず黒瀬くんの方を見た。


「特別って……どういう意味?」


彼はしばらく黙っていたけど、やがてぽつりと呟いた。


「”あれ”がここに来たってことは、世界の存在に気づかれたってことだ。だったら、知らないままでいられる時間も、もう長くない」


その言葉の意味を、あたしはすぐには理解できなかった。


玲奈さんは黙ってそれを聞いていた。


何も言わず、ただ静かに、あたしと黒瀬くんを交互に見つめていた。


その視線が、あたたかいはずなのに、ひどく居心地が悪く感じるのは、きっと自分が何も知らないせいだ。


「こっちでの名前が黒瀬奏で、向こうで“カイ”って呼ばれてたって言ったよね。だったら……あなたも、あの子と同じ世界の人なの?」


「いや、僕は――」


黒瀬くんは言いかけて、言葉を切った。

そのまま目をそらすように視線を落とす。


「あたしが見た、あの子。あの子は何者なの?」


今度はユリウスさんが、カウンターの奥からゆっくりと歩み寄った。


「彼女は、マギーヴェルト――魔法世界の存在だよ」


「……マギーヴェルト?」


聞き慣れない響きに、思わず復唱してしまった。


「ドイツ語さ。マギーは“魔法”、ヴェルトは“世界”。Magiewelt。魔法世界って意味だよ。」


「……え、ドイツ語? でも、なんでそんな言葉……」


「正式名称なんてそんなものさ」


ユリウスさんはそう言って、玲奈さんの隣に腰かけた。


「じゃあ……あの子は、その“魔法世界”の人間……?」


「間違いない」


その答えは、カイが出した。

腕を組み、あたしを見ずに言い切った。


「しかも、あの火の力。あれは完全にマギーヴェルト特有の術式。ヴィッセンシャフツヴェルトでは、あんな現象は理論的に不可能だ」


「ヴィ…?」


またもや耳にする聞きなれない言葉を口にする。機械的にも聞こえる不思議な単語にあたしは、すっと背筋が冷えるのを感じた。


「ヴィッセンシャフツヴェルトは科学世界のことだよ。カイはそこの人間だ」


ユリウスさんが説明してくれたけど、正直あたしは何も理解できていない。


「でも……それって、どうやってこっちに来たの?」


「それができるのは、“Key”が存在するときだけだ」


ユリウスさんが言葉を継いだ。


「Key……」


「世界をまたぐために必要な“鍵”のような存在。君が“Key”かどうかは、まだわからないけれど……少なくとも、君はもう、自分の“対”と出会ってしまった」


「対……?」


「君と同じ顔をした少女は、明らかにマギーヴェルトの存在。彼女がこちらに現れたということは、彼女がKeyになったということだ。そしてそれは、ヴィッセンシャフツヴェルトが最も恐れていたことでもある」


黒瀬くんは腕を組んだまま、目を閉じる。

その眉間には深いしわが寄っていた。


「……マギーヴェルトの存在が、現実に現れるなんて、普通じゃ考えられなかった」


「でも、現れたじゃない……!」


気がつけば、声が少し大きくなっていた。


「あたし、襲われた。燃えそうになった。現に、あのとき空気が止まって……!」


「落ち着いて、葵さん」


ユリウスさんのやさしい声が、遮るように割り込んだ。


「信じられないのは当然だ。だが、現にそれが起きてしまった以上、君はもう“こちら側”の常識では測れない場所に立っている」


あたしはぎゅっと拳を握った。


「それって……あたし、どうなっちゃうの……?」


ユリウスは何も言わない。


代わりに、カイが静かに口を開いた。


「……まだ決まってない。けど、これからどうするかは“アンタ”次第だ」


「あたし次第?」


「Keyの資質があるとすれば……ヴィッセンシャフツヴェルトが黙ってない」


その言葉の意味は、完全には理解できなかった。

でも、何かが、自分の手の届かない場所で動き始めている。

それだけは、はっきりと感じていた。


玲奈さんが、そっとカップを差し出してくれる。


「とりあえず、今日は温かいものを飲んで。混乱してるでしょう? 」


カップから立ち上る香りが、鼻腔をくすぐる。


「あ、ありがとう……ございます」


「マスターのコーヒー美味しいわよ」


玲奈さんの微笑みに、小さくうなずいた。


口にしたコーヒーはお砂糖もミルクも入っていないから、本当は苦かったけど、美味しいです、と言った。


それでも、頭の奥には“Key”という言葉が、焼きついたままだった。

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