表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巫女、魔女、ただの私。誰が世界を救うのか  作者: 月嶋ソウ
その日、私はドッペルゲンガーに会った
1/2

その日、私はドッペルゲンガーに会った

その日の空は、どこか重苦しくて、胸の奥がざわつくような気配をまとっていた。


それでも、放課後の空気は、いつもと変わらない穏やかさを装っていた。 友達と別れて駅に向かう途中、あたしは見覚えのある顔とすれ違う。

……いや、見覚えがあるなんてものじゃない。

あれは、完全に“あたしの顔”だった。

ここ数日、誰かに見られているような感覚があった。 ガラス越しに、自分とよく似た誰かを見たような気がしていたけれど、ただの錯覚だと自分に言い聞かせていた。

だけど、その日は違った。

黒いワンピースに編み上げのブーツ。制服じゃない。 髪の長さも、目の形も、口元までも私と同じなのに、その子の存在にはどこか現実味がない。

まるで、違う世界からそのまま抜け出してきたみたいだった。

その子はふと足を止めて、こちらをまっすぐに見つめてくる。

背筋に、ぞわりと冷たいものが走った。

“ドッペルゲンガー”という言葉が、唐突に頭をよぎる。

「自分と同じ顔の人に出会うと死ぬ」

そんなことを聞いたことがある。 ただの迷信。根拠なんて、どこにもない。

それでも、気味の悪さは拭えなかった。

あたしは早足で駅へと向かう。 心臓の鼓動が、妙に大きく響いてくる。 背中には、じわりと冷たい汗がにじんでいた。

あたし、いま――なにを見たんだろう。

振り返ったときには、もうその子の姿はなかった。 残っていたのは、街のざわめきと、薄く濁った空気だけ。



数日後、夕方の帰り道。 あたしは、また“あの子”に出会った。

今度は校門の近く。すぐ横の歩道に立っていた。 ワンピースでも制服でもなく、薄いローブのような布をまとっていた。 手の甲には入れ墨のようなものがあって、街の風景にまるでなじんでいなかった。

立ち止まるあたしに気づくと、その子は口元に笑みを浮かべたような気がした。

怖いというより、嫌な感じだった。 体の奥がずんと重くなるような、あたしだけ空気が変わったみたいな、そんな感覚。

急いで家に帰って、シャワーを浴びても、心のざわつきは取れなかった。

“あの子は何?” “どうしてあたしと同じ顔をしてるの?”

いくら考えても、答えなんて出るはずもないのに。



そして――三度目は、もっとはっきりと現れた。

その日は、いつもより少し遅くなって、一人で住宅街の裏道を歩いていた。 通りに出る近くの角を曲がったときだった。

風が、止んだ。 いや、空気そのものが固まったみたいだった。

目の前に立っていたのは、まぎれもなく“あたしの顔をしたあの子”。 でも、これまでと違っていたのは――

その子が、右手をすっとこちらに向けた瞬間、空気がピンと張りつめた。

指先から小さな火花が弾けて、アスファルトの端に赤いきらめきが走った。

目の錯覚? そう思いたかった。

でも、風も、音も、その瞬間だけ消えていて、熱だけが残った。

そして、その子は口を開いた。


「本当に、同じ」


その声は、あたし自身の声にそっくりだった。 でも、言い回しや抑揚が微妙に違っていて、まるで別の国の言葉を話す誰かみたいだった。

あたしは一歩、後ずさった。 身体が冷えていく。 頭の奥で、どこかが叫んでいた――逃げなきゃって。

でも、足が動かなかった。 靴の裏が地面に張り付いたみたいに、膝が震えていた。

その子が、また一歩、近づいてきた。

そのときだった。


「下がれ」


低い声とともに、背後から風が吹いた。 誰かがあたしの前に立ちふさがった。

灰色のコート、鋭い横顔、淡々とした所作。 その人は、当然のように、ただ手を伸ばした。

その子がぴたりと動きを止めた。


「ここはお前の世界じゃない」


男の子の声は冷たく、静かだった。

その子――あたしの顔をした存在は、しばらく黙ってあたしを見つめたあと、ふっと笑って、そして霧のようにその場から消えた。

あたしは、何も言えなかった。 膝が震えて、その場にしゃがみこんでしまっていた。

男の子は、あたしを見下ろすようにして、ほんの少しだけ眉をひそめた。


「……立てないなら置いていく」


言い返したかった。でも、喉が詰まって声が出なかった。 怖いとか、それ以前に、頭の中が真っ白で。 足も手も、どうやって動かすんだっけって、本気でわからなくなってた。 だけど、なんとか立ち上がる。


「場所を変える」


男の子はあたしに背を向け、何の説明もなく歩き出した。

なんであたしがついて行くと思ってるんだろう。ついて行くとも言っていないのに、その背中は一度も振り返らなかった。 あたしの意思なんて関係ないみたいに、まっすぐ前だけを見ていた。

ほんの少しだけ、悔しい。 だけど、それより――自分と同じ顔をしたあの子の正体を、この人は知っている気がした。



たどり着いたのは、駅から少し外れた古びた通り沿いにある、一軒のカフェだった。

木の看板には《カフェ リーベ》と、洒落た書体で書かれている。

店の前で立ち止まると、男の子がようやく振り返った。

言葉はなかった。ただ、ちらりとこちらを見ただけで、彼は扉を開けて中へと入っていった。

あたしも、ためらいながらそのあとに続いた。 扉についた小さな鈴が、控えめな音を立てる。

中は思っていたよりもずっと落ち着いた空間だった。 古い木の床、壁際に並ぶ本棚、ほんのり漂うコーヒーの香り。 カウンターの奥に立っていた店主らしき男性が、こちらに気づいて顔を上げた。

無精ひげに、くたびれたシャツ。

一瞬、あたしと目が合った彼は、ふっと目を細めた。なぜだか懐かしそうな表情にみえた。


「いらっしゃい」


その声は穏やかで、けれど、どこかすべてを知っているような響きを含んでいた。

男の子は何も言わず、店の奥のテーブル席へ向かって歩いていく。 あたしはその場に一瞬立ち尽くしていたが、カウンターの奥にいたマスターが視線で促すように小さくうなずいた。

声をかけられたわけでもないのに、不思議と断れなかった。

店内は静かで、時計の針の音すら聞こえてきそうなほどだった。

外の喧騒が、まるで別世界のもののように遠ざかって感じられる。 壁にはクラシックのレコードジャケットが飾られ、カウンターの上には豆を挽く手動のミルが置かれていた。 どこか懐かしいというより、“時間が止まっている”ような場所だった。

男の子の前に立ち、ふとその顔を見た。

端正な顔だ、と思った。目元も鼻筋もきれいで、どこか中性的な雰囲気をまとっている。 こんな状況でそんなことを考えるなんて、自分でもバカみたいだと思う。 でも、思ってしまったものは仕方がない。

それなのに、その整った顔は終始無表情だ。


「……座れば?」


淡々と告げられ、反射的に椅子を引いてしまった自分に、ほんの少しだけ自己嫌悪を覚える。

あたしはそろそろと椅子を引き、彼の向かいに座った。

落ち着いた照明。古びてはいるけれど、手入れの行き届いた木の机。 映画の中に迷い込んだような静けさ。

――だけど、頭の中はまるで追いついていなかった。

自分と同じ顔の子に襲われて、知らない男の子に助けられて、今は見知らぬカフェの席に座っている。

ねえ、これ、本当に現実?

思わずテーブルの木目を指先でなぞった。

冷たくて、しっかりと硬い。 だからこそ、これが現実なんだと突きつけられている気がして、余計に怖くなる。


「――名前は?」


突然、男の子が口を開いた。

その声に、あたしはびくりと肩を揺らした。


「えっ……」


「名前」


ぶっきらぼうに繰り返されて、戸惑いながらも答えた。


「……瀬島、葵」


男の子はほんのわずかに目を細める。何かを確かめるような目だった。 でも、特に何も言わず、ただ水をひと口飲んだ。


「どういうことなのか、説明してくれる?」


そう口にした自分の声が、自分でも驚くほど小さく頼りなかった。 本当は、あなたも名乗りなさいよ、と言いたかったけれど、言葉にはできなかった。

それでも、黙っているわけにはいかなかった。

男の子はしばらく黙ったまま、窓の外に視線を向けていた。


「……お前が“あれ”に出会ったのは、偶然じゃない」


短くそう言ったきり、再び黙る。


「“あれ”って、あたしにそっくりな……あの子?」


「そっくり、じゃない。同じ、だ。 それがどういう意味か、そろそろ理解したほうがいい」


語気には苛立ちがにじんでいた。


「理解って言われても……こっちは何も知らないのに」


こみ上げてくる不安をなんとか押しとどめながら、言い返す。

男の子はため息をつき、ようやくこちらを見た。


「……あれに出会った時点で、もう“何も知らない”じゃ済まされない」


言葉に詰まる。 あの子と、あたし。顔は同じだったけど、それが何を意味するというの?

男の子は指先で軽くテーブルを叩いた。


「あんたとあれは、ただ似てるだけじゃない。根本的に、同じ“何か”なんだ」


「……何かって?」


「今、話しても混乱するだけだろ」


男の子はそれだけ言うと、またうんざりしたようにため息をついた。


「どうせ言っても理解できないだろ。ユリウスさん、代わりに説明してよ」


ぶっきらぼうな口調でそう言い、彼はカップを持ったまま、あたしから視線を外した。

マスターは変わらず静かにコーヒーを淹れている。 その落ち着いた所作が、逆に不安を掻き立てる。

この空間で、あたしだけが何も知らない――そんな気がして仕方なかった。

ユリウスさんと呼ばれたマスターは、ゆっくりとカップを差し出してきた。外国人・・・には見えないけど、ユリウスさんなんだ。


「落ち着いたかい?」


その声は変わらず穏やかだったけれど、どこか観察するような響きを含んでいた。


「……いえ、まったく」


素直にそう答えると、ユリウスさんは微笑んで、向かいに腰を下ろした。


「まずは、きっと一番混乱しているだろうことから話そう。君が見た“自分と同じ顔をした子”についてだ」


背筋が自然と伸びた。思い出しただけで、胸の奥がざわつく。


「その子は、確かに君と同じ顔をしていただろう。でも、君じゃない。名前も、過去も、生きてきた時間も違う。 ……別人だ」


「じゃあ……なんで、顔が同じなの?」


ユリウスさんは少し考えるように間を置き、ゆっくりと言った。


「偶然じゃない、ということさ」


その穏やかな語り口に、かえって背筋が寒くなる。


「同じ顔、同じ声……偶然にしては、一致しすぎているだろう。 でも、それが核心というわけではない。焦らずに、順を追って話すよ」


この人たち、やばいことを言ってる気がする。

でも、冗談や芝居のような空気は、どこにもなかった。


「君の顔と同じ人物は、他にも存在している」


「……え?」


「普通なら、同じ人間が複数いるなんてありえない。 でも、そうじゃない場合もあるんだ」 


その言葉が、妙に現実味をもって響いた。


「君が巻き込まれたのは、たまたまじゃない」


「じゃあ……あの子って、一体何者なの?」


ユリウスさんは答える前に少し沈黙し、それから静かに言った。


「簡単に言うなら、“君と対になる存在”だ」


「対……?」


「すべてのものには、バランスがある。光と影、表と裏。 君が“こちら側”にいるなら、彼女は“向こう側”にいる」


唇を噛んだ。 ふわっとした話に、ついていけるはずがない。


「なにそれ。意味わかんないし」


その言葉に、男の子が口を挟んだ。


「出会ったのは偶然じゃない。 あんたの存在が見つかったから、面倒なことになったんだ」


冷たい声だった。


「……つまり、あたしが狙われる理由があるってこと?」


「向こうにとって、あんたの存在は“好都合”なんだ」


それ以上は語るつもりがないのか、男の子は視線を逸らす。

その続きを、ユリウスさんが引き取った。


「安心してほしい。君が“普通”だから巻き込まれたわけじゃない。 むしろ、“特別”だからだよ」


「……はあ?」


思わず声が漏れた。


「特別って、なにが?」


その時、男の子が不機嫌そうに舌打ちをした。


「説明が回りくどいんだよ、ユリウスさん」


「葵さんが混乱しないように配慮しているつもりなんだけどね」


「配慮してるうちに手遅れになったら意味ないだろ」


明らかに苛立ちがこもった声だった。


「向こうが動き出した今、こっちも急がなきゃいけない」


「……たとえば?」


「世界は一つじゃない、ってことだ」


その一言で、思考が限界に達しそうだった。

何を言ってるの、この人たち――。

頭がざわついて、視界がぐらぐら揺れているような気がした。 現実の感覚が、するすると崩れていく。


その時、カラン、と扉についた鈴の音が店内に響いた。

反射的に顔を上げる。

現れたのは、ひとりの女性だった。

黒髪をすっきりとまとめ、落ち着いた色のスカートとブラウスを身に着けている。 知的で、気品のある雰囲気。 でも、一番印象に残ったのは、その目だった。

視線がぶつかった瞬間、彼女は一瞬だけ表情を止め、それからやわらかく笑った。


「こんにちは、マスター」


「こんにちは、玲奈さん」


ユリウスが穏やかに応じると、彼女は窓際の席へと向かう。 途中で立ち止まり、こちらを見て微笑んだ。


「……あんまり女の子をいじめちゃダメよ」


その一言に、ユリウスさんがくすりと笑い、男の子は面倒くさそうにため息をついた。

女性は軽やかに腰を下ろし、足を組んで優雅に微笑んだ。


「こんにちは。私は結城玲奈っていうの。……あなたは?」


「瀬島、葵です」


名前を口にした瞬間、彼女の顔にふわりとした笑みが浮かぶ。

綺麗な人だな、と思った。 知的で、大人っぽくて、余裕があって――見とれてしまいそうだった。


「ここ、落ち着くでしょ。マスターのコーヒー、美味しいのよ」


「あ、はい……」


曖昧に笑いながら返す。 それでも、さっきまで張り詰めていた心が、少しだけほどけた気がした。

言いかけたあたしの言葉を、男の子のため息が遮った。


「ねぇ……さっきからなんでそんなに嫌そうなの? あたし、あなたに何かした?」


その問いに、男の子は沈黙した。 しばらく伏せていた視線を、ゆっくりとあたしに向ける。


「……お前の顔が気に入らない」


その一言に、ユリウスさんと玲奈さんは顔を見合わせた。笑っていいのか、ダメなのか考えているような、微妙な表情で。




あたしだけが、何もわからないまま、その場に取り残されている気がした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ