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第八話 お客様は美男子



 娼館内が妙な高揚感に包まれ騒めく。


「お姉様達ったら何を色めき立っているのかしら」


 異様な空気に首を傾げたファビオラは騒めく玄関ホールをドアの影から除いた。

 上品な仕立てのフロックコートを着た二人の男性が目に入る。

 一人は中年の男性で整えられた口髭がピンと上を向いている。もう一人は若い男性だ。肩までの濃紺の髪に、透き通ったエメラルド瞳を持つ美男子だ。


「綺麗な男の人ね。お姉様達が浮足立つのもわかるわ」

「あら、ファビオラでもそんなこと言うのね。今日は誰を指名するのかしら。ああ、レオン様! 私ならまだ空いているのに~」


 レオンという名のこの美男子は時折、上司と共に娼館にやって来るらしい。彼の上司は宰相補佐官という役職についており、そのうえ貴族で大層なお金持ちなのだという。そして、決まって娼館の一番人気エレンを指名する。だが、美男子は固定の娼婦に入れ上げてはおらず、その時の気分でお相手を変えているそうだ。


「絵本で見た妖精の王子様みたい…」

「あら、やだ。ファビオラったら可愛いこと言っちゃって」


 ふふふと笑みを漏らしながら額を指で押された。



 その日、レオンはこの娼館の二番人気の女性を指名した。


 二人の男性がそれぞれ部屋に入ってしまうと、平常を取り戻した館内。時刻も遅くなり帰りの客の見送りが済むと、残るのは宿泊客だけで館内は静かな時間を迎える。


 ファビオラは客の帰った部屋の洗濯物を回収し掃除を済ませると静かにドアを閉めた。それと同時に、隣の部屋のドアが開き部屋から出て来た男と鉢合わせてしまった。慌てて頭を下げ立ち去ろうとすると男の長い腕が伸びる。


「見ない顔だね。こんな可愛い子がいるなんて知らなかったな。今度は君を指名しようか」


 見上げると、エメラルドの瞳の美男子レオンと目が合う。レオンは汗ばんだ額に張り付いた濃紺の髪を無造作にかき上げた。


「私はっ、ただの下働きです」


 シャツがはだけて露わになった彼の胸元は意外にも逞しく見える。

 情事の後の気怠い雰囲気を纏う男性を見たのは初めてだ。色気たっぷりの女性達を見慣れてきた筈なのに、男性にも色気があるなんて今まで知ることのない人生だった。


 美男子の色気に当てられて頬を染め呆けていると、レオンは小さく笑った。


「わかっているよ…君の様な擦れてない純真無垢な可愛い子ちゃんには夜のお相手は無理そうだからね」


 王都にある高級娼館だけあってこの館は一見、娼館には見えない。貴族の別邸のように豪華であり且つ品の良い建物だ。館の中心には手入れの行き届いた中庭がある。


 真っ赤になりながら睨み返すファビオラに余裕たっぷりの彼は微笑んだ。


「ごめん、ごめん。ちょっと揶揄っただけだよ。夜風に当たりたくて出てきたんだけれど、どこか良い場所はある?」

「それでしたら、中庭を抜けた先に人目つかない場所がございます。そこでしたら、ゆっくり出来ると思います」


 ファビオラが指さすと男は当たり前のように言った。


「じゃあ、案内してよ」


 お客様に逆らうことは出来ない。まだ仕事が残っているのにと思いながらもファビオラは頷き彼を案内した。


 中庭を抜けた先は建物の死角になり人目に着かない場所だった。隅に置かれた小さな石のベンチに腰を掛けるとレオンは自分の横をぽんぽんと叩きファビオラに座るように促した。


 仕事戻るからと断るファビオラにレオンは寂しそうな顔をして首を傾げる。


「ちょっとだけ付き合ってよ。お願いだ」


 美男子のお願いに、それ以上断る術もなくファビオラは大人しく横に座る。


「君はどうしてここで下働きをしているの?」


 一瞬どう答えて良いものか言葉に詰まるも、正直に話す以外思い浮かばなかった。


「本当は下働きとして雇われた訳ではなくて。その…売られてきたんです。ここにいる殆どの女性が売られて来ていると思うのですが、私の場合は身に覚えのない契約書にサインしたことになっていて…騙されて…無理矢理連れて来られました。でも、怪我をしていたので怪我が治るまで下働きをすることになって」


 至近距離で美男子に見つめられ、しどろもどろになりながらもどうにか言葉を紡いだ。


「ふーん。じゃあ、怪我が治ったら君も娼婦になるんだね。まぁ、ここは娼館の中では待遇が良い方だろう。君、可愛いし頑張って身持ちの良い男でも捕まえれば、ここから抜け出せるんじゃない?」


 そう、怪我が治れば…足首の痛みは殆どなくなりほぼ完治している事実にファビオラは顔を曇らせた。


「生きていくには、ここで娼婦になるしかないって頭ではわかっているんです。娼婦になっても生きてさえいれば…また会えると信じて」

「会いたい人がいるんだね。想い人ってところかな」


 小さく頷く。


「娼婦になって彼に悲しまれても軽蔑されても良いから、生きて会いたいと思っていたの。でも、そう思っているのは私だけで、一方的な勘違いだったのかもしれない」


 カイトのことを考えると、途端に悲観的になる。


「だったら。もう、ここから逃げてその辺の路地で野垂れ死んでも良いのかもしれない」


 レオンは方眉を上げた。


「会いたい人に会えないくらいなら死んだ方が良いってこと? それとも裏切られたかもしれないから? 諦めるの早くない? 人生そんなに簡単に捨てちゃうのって、もったいないなぁ」


 レオンは苦笑いしながら長い足を組み替えた。


「死が目の前に突き付けられた時に、僅かでも生きたいと、こんな筈じゃなかったって思う瞬間がくるかもしれない。でも、その時にはもう遅いんだ。死んでも生きていても後悔するくらいなら生きていた方がいいんじゃない? いい意味でも悪い意味でも、人生何が起こるかわからないからさ」


 ファビオラにはわかっていた、そしてこの男も気付いているのだ。自分は娼館を逃げ出す勇気も、死ぬ覚悟も出来ていない。ただ、弱音を吐き出したかっただけだと。

 ファビオラは男に見透かされていることを恥じると、居た堪れなくなり立ち上がった。


「申し訳ありせん。お客様にこんな話…失礼します」


 頭を下げるとレオンを振り返ることなく、その場を逃げるように走り去った。




 数日後、女主に足の怪我の完治していることと背中の青痣も綺麗に消えていたのを確認された。


「明日、店に出てもらうから準備をしておくんだよ」


 人気のある娼婦は豪華な個室を貰い衣装や化粧道具も個別に用意されているが、その他の娼婦は大きな控えの間で衣装を整え化粧を施し、お客様を迎える準備をする。翌日、その中にファビオラの姿があった。


 彼女は心の準備が出来ないまま化粧台の前に座った。


「私達がお世話してあげるわ。ほら、化粧してあげるからこっち向いて」


 丁寧に化粧を施され、結い上げられた明るいブラウンの髪には小さなピンクのバラが飾られた。


「良かったわね、ファビオラのお相手は上顧客様よ」

「私のお相手ってもう決まっているのですか?」

「当たり前じゃない。オーナーが事前に目ぼしいお客様に声を掛けているのよ」


 指名さえなければ何事もないまま朝を迎えられると思っていたファビオラは青褪めた。


「見た事あるんじゃないかしら。宰相補佐官のラニエ卿よ。ファビオラから見ればかなり年上かもしれないけれど、変な性癖もないらしいし一安心ね。何より、お金持ちよ! 上手く気に入られれば、沢山稼げて、ここを出る近道にもなるじゃない」


 皆が、初めての自分の緊張を解す為に前向きなことを言ってくれていることも、自分を気遣ってくれているのもわかっていた。なのに、自分はいつまでも拗ねた子供のようだ。

 彼女達も今の自分と同じ状況に置かれた過去があり、今でもこの娼館で娼婦として働いている。辛いことも悔やむことも、諦めも色々あるだろうに…往生際が悪い自分が心底情けなくなった。



 玄関ホールが華やいだ雰囲気が夜がやって来たことを知らせる。


「ほら、いらっしゃったみたいよ」


 彼女の視線の先を見ると、そこには美男子レオンと、その上司が女主に迎えられていた。


「もしかして、ラニエ卿ってレオン様の上司の方…」


 数日前にレオンに弱音を吐いていたこともあり、もう係わることがないようにと願っていたが…こんな形でまた会わなくてはならないなんて。


 ファビオラは唇を噛んだ。


「ファビオラ、いらっしゃい。ラニエ卿にご挨拶を」


 ファビオラは竦んだ足をどうにか動かしラニエ卿の前に立つと、貴族の令嬢として身に着けた優雅なお辞儀をして見せた。


「ファビオラと申します」


 横にいたレオンの表情が明らかに陰った。


「ほぉ…」


 ラニエ卿は整えられた口髭を指でなぞる。


「ラニエ卿、ラウンジで一杯飲んでからにしませんか?」


 王都でも屈指の高級娼館には静かに酒が飲めるラウンジも用意されていた。レオンが上司を誘うと一瞬、間を開けてからラニエはそれに応じた。


「まぁ、可愛い令嬢を前に余裕をなくすのも大人気ないか」


 小さく呟くとラニエはレオンと共にラウンジへと消えていった。





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