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第七話 娼館生活



 フロラス町から王都の娼館へは丸一日かかった。


 娼館に着くと、連れていかれたのは娼館の主の部屋だった。


 この娼館は女主が営んでいる。大柄で豊満な肉体、年齢は経ているものの口元を彩る真っ赤な口紅が且つての彼女の美しさを彷彿とさせた。


「なんだい、あんた怪我をしているのかい? これじゃあ、暫く使い物にはならないじゃないか」


 女主は契約書をテーブルの上に投げると大きな溜息をつく。


「まぁ、いい…怪我が治るまでの間、ただ飯なんて食わせるつもりはないよ。下働きでも何でもしてもらうからね」


 青褪め俯いているファビオラに女主は苛立ったように聞いた。


「あんた名前は?」

「…ファビオラです」

「ふぅん…たいそうな名前だねぇ。あんたさ、娼館になんて売られたことが地獄のように感じているんだろう?」


 女主は椅子に座ると優雅に足を組んだ。


「でもねぇ、ここは地獄の中でも最も待遇の良い地獄だよ。客は貴族や資産家、実業家、身元のはっきりした方々ばかりだ。だから相手の娼婦にもそれなりの品位や知性を求める。見初められれば見受けされてここを出ることだって可能さ。薄汚い男共に、はした金で買われなくちゃならない他の店に比べれば、ここは天国。あんた貴族の御令嬢だったんだろう? だから私に買われたんだ。貴族であったことに感謝するんだね」


 地獄に天国なんてあるものか、地獄は所詮地獄だ。ファビオラは唇を噛んだ。でも、今ここから逃げ出すことは難しい。王都はフロラス町よりも貧困の差が大きく治安も悪い。例え逃げ出しても路上で野垂れ死ぬのが目に見えている。


 生きていなくてはカイトに会えない。


 カイトに連絡を取る方法を考えながら、ここで生活をする方が良いのは明らかだ。怪我が治るまでの間にどうにかしてカイトと連絡を取れれば…僅かな可能性に賭けるしかなかった。

 ファビオラは真っ直ぐ女主を見据えハッキリと答えた。


「ここに置いてください。下働きでも何でもします」


 野垂れ死ぬより、ここが地獄であろうとも、何としてでも生きてカイトに会いたい。それだけが彼女の心を支えていた。



 翌日からファビオラの生活は一変した。

 彼女に与えられたのは小さなベッドが置かれた屋根裏部屋だった。


 陽の上がる前には起きて足を引きずりながら井戸に水を汲みに行き、お客の帰った部屋からタオルやガウン、シーツを剥ぎ取り洗濯と掃除が始まる。

 娼婦達は昼頃起きて朝食と昼食を一緒に済ます。


 忙しく動き回っているファビオラに一人の娼婦が声をかけた。


「ねぇ、あなた。ついこの間入った新人さんでしょ? ちょっと話があるの、いいかしら?」

「あ、はい…」


 何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか、ファビオラは緊張しながら彼女の部屋へ入った。


「あなた、文字の読み書きは出来るの?」

「…はい」

「頼みがあるの…手紙の代筆をお願いできないかしら。勿論、ただでとは言わないわ」

 

 この娼館には没落貴族の令嬢や、裕福な商家の出だが諸事情あり娼婦になった女性達ばかりだ。それなりに教養のある女性達が多かったので、勿論文字の読み書きも出来ると思っていた。


 困惑気に事情を聞くと、彼女は貴族の家に生まれたものの領地経営に失敗した家族に食い扶持を減らす為、幼い頃に養女に出されたのだという。養女に出された先では娘としてではなく小間使いとして使用人に育てられた。文字を勉強することもなく育ったのだという。簡単な単語は読めるが自分で文章を作ることは出来ないらしい。


「ここでは文字が書けるのは当たり前で…書けないなんて恥ずかしくて、ずっと隠してきたの…でもね、懇意にしているお客様が王都を離れることになって」


 ベッドの下に隠された箱の中から束になった手紙を取り出す。


「彼は手紙を何通も送ってくれているの。でも簡単な文字しか読めなくて…返事も書けなくて」


 彼女が懇意にしている客は軍の将校で貴族家の次男らしい。互いに想い合う仲なのに、このまま返事を出せなければ関係は終わってしまう。彼女は真剣だった。


「報酬をいただけるのならば…代筆します。仕事として請け負うからには最高の恋文をお返しできるよう最善を尽くします!」


 カイトに連絡を取る方法は未だにわからないが、タンドル先生の所に自分が今どこにいるのか手紙を書ければ、町に戻ってきたカイトに伝えてもらえるかもしれない。山小屋に自分がいなければ、カイトは唯一の知り合いであるタンドル先生の所を訪ねてくれるに違いないと考えた。

 でも手紙を送るにも無一文の自分は切手を買うことすら出来ない。何としてでもお金を稼がないと。


「嬉しいわ! じゃあ、彼からの手紙を読んでもらえる? それから代筆。報酬は弾むから! 早速、お願いっ」


 娼婦達が身を粉にして得た金は売られてきた時の代金として殆どが消えてしまう。だが、そんな彼女達にも、お小遣い程度だが手元に渡る金があった。月に一回あるかないかの休みに街に買い物に出るのが唯一の楽しみなのだ。


 その日からファビオラは恋文を読み、彼女が言葉にした内容を代筆することを繰り返した。


 客を取ることも出来ないファビオラの仕事は山のようにある。雇われていた使用人が急に辞めてしまい人手が足りなかったのも影響しているようで、一日中足を引きずりながら鼓舞奮闘した。

 

 洗濯と同時に娼婦たちが着る寝夜着の繕いも仕事になった。透け感のある薄い布地が破れているのを見て、捨てるのはもったいないと思ったファビオラは、裁縫道具を借りると破れている部分を繕い更に赤い薔薇の刺繍を施した。


 それが娼婦達の間で評判になり、透け感のある官能的な寝夜着に刺繍を施すことが娼婦達の中で流行り始めると、ファビオラは更に忙しくなった。


 彼女達の中にも刺繍の手習いなら受けてきた者は少なくないが、如何せん体力勝負の仕事だ。昼間は寝て、夕刻までには客を受け入れる準備に追われる。とても刺繍を刺す時間や余裕などないのだ。

 

 ファビオラは寝る間を惜しんで刺繍に励んだ。この刺繍は、僅かではあるが代筆と同様ファビオラの貴重な収入源になった。


 そして、娼婦達とも打ち解けたファビオラは昼時になると彼女達と共に昼食を摂るようになっていた。


 話題は、この前、見受けされ娼館を出て行った先輩娼婦の話だったり、時には生娘であるファビオラには刺激の強い内容も含まれていた。


「ファビオラには、まだ刺激が強いかもね。いかにも生娘って感じだし。そうでなければこの娼館に買われなかったでしょうけど。でも、恋愛経験もなくて男を好きになったことがないような子は…大概、お客に恋して、のぼせ上がって自滅する子も多いのよ? 気をつけなさいよ」


「お姉様達! 私だって…恋くらいしています」


 娼婦達は顔を見合わせ新入りの恋の話に興味深々となった。


 赤くなりながらカイトのことを話すと彼女達の顔が一様に曇った。


「ファビオラの彼を想う純粋な気持ちはわかるけれど…ええと…何て言うか…ねぇ?」


 互いに視線を送り合う。


「そりゃあ、あなた…捨てられたんじゃないの?」

「え?…」


 ファビオラは想像もしていなかった言葉にポカンと彼女達を見つめる。


「だって…どこに行くかも、いつ帰って来るかもわからず、連絡先も知らないのでしょう?」

「はい…」

「それって、どうなのかなって。結婚したいくらい好きな子だったら連絡先くらい伝えるか、長期間会えないなら相手の方から手紙くらい寄こしても良さそうなものじゃない?」

「で、でも…仕事、忙しいみたいで急に帰ることも多いし。カイトも忙しいから手紙を書けないだけで」

「いつも忙しそうで、急に帰ることも多いの? それも怪しいわよね」

「…そんな」

「まさか、お金を渡したりなんてしていないでしょうね?」

「それはないです!」


 そもそも渡せるお金なんて持っていないし、逆に報酬とか言われてワンピースを買ってもらったくらいだ。


 確かに、自分はカイトが戻ってくることが前提で話をしている。

 小銭を溜めてタンドル先生に手紙を送れたとしてもカイトが戻ってこなかったなら、自分を探してくれなかったら、この先永遠に会うことは叶わない。

 

 自分がカイトのことで知っているのはパータイル国の人間で兄弟と商会を営み、ここミタリア国に販路拡大の為に来ていることと両親を早くに亡くしていることくらいだ。


 もし、それらが全ても嘘だとしたら?

 急に怖くなりフルフルと頭を振った。


 そんなこと、あり得ない。だって、カイトが私に嘘をついて騙すことに何のメリットもないのだから。


「ファビオラ、そんな顔しないで。私達はこんな仕事をしているから男女の辛い別れもドロドロした場面も見てきているの。だから…心配になってね、ほんの老婆心よ。ファビオラとカイトさん? 二人の関係は二人にしかわからない部分もあるしね」


 最後には慰められたものの、カイトを疑う思いが微塵もなかったファビオラは客観的な意見を投げかけられ激しく動揺した。


 次第にファビオラの心の中には仄暗い感情が芽生え始めていた。





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