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第四話 提案



 薬草の入った大きな袋を調剤室の中まで運んだカイトを見てタンドル医師は、おやおやと言うように目を細めた。


「お友達ですか? それとも素敵な恋人といったところでしょうか?」

「こ、恋人とはっ。ち、違いますよ!」


 動揺し思わず大きな声で否定すると、カイトはこちらを振り返り大きな溜息をつく。


「俺はいつ恋人になってもいいと思っているけど?」


 カイトの言葉は本気なのか冗談なのか、恋愛経験ゼロのファビオラは計測不能だ。

そのうえ不器用な彼女は、彼の言葉にどんな態度を返して良いのもかわからない。

 ただ、真っ赤になりながら口をパクパクと金魚のように動かすだけだった。


「紹介してくれないの? ファビがお世話になっている人ならご挨拶したいんだけど」

「え、ああ…あの。タンドル先生、こちらはカイトです」

「はじめまして。カイト・アーガイルです」


 姿勢を正すと胸に手を置き、頭を下げるカイトに十五歳という彼の年齢を忘れそうになる。


「はじめまして、カイトくん。私はエリック・タンドルだ。ファビオラ様にこんな素敵な恋人がいるなんて知らなかった」

「先生、恋人じゃないですし…私に様などつけずに名前で呼んでください。もう、領主でも何でもありませんから」

「でも、今でもれっきとした子爵令嬢ですよ。昔から子爵家の皆さんを良く知る者としては…」


 一瞬暗い表情になるタンドル医師にカイトは明るい笑顔を向けた。


「タンドル先生。俺ががファビと呼んでいるのですから、先生もそう呼んでいただかないと俺が不敬になってしまいますよ」

「ファビオラ…さん、では来週もお願いしますね」


 たどたどしいながらも、どうにか絞り出すようにファビオラの名を呼ぶタンドル医師にカイトとファビオラは顔を見合わせて小さく笑うと診療所を後にした。


 小麦粉や穀物の入った大きな袋が並んでいる一角を見つけた。既に何人かの客を相手にしていた店主の女はこちらにチラリと視線をよこすと、片目を歪め露骨に嫌そうな顔をした。


 ファビオラは委縮して、小さな声で店主に声をかけた。


「小麦粉を五百グラムください」


 小さな声とはいえ聞こえた筈なのに店主は聞こえていないかのような態度をとった。

 ファビオラは悲しい顔をしながらも、もう一度呼びかけた。この町で小麦粉を扱う店はここしかなかったからだ。


「あの、小麦粉を五百グラム…」


 チッと舌打ちした店主は汚い物でも見るように顔を顰めた。


「うるさいねぇ。汚いなりをしたあんたが店の前にいると商売の邪魔なんだよ。そんな汚い成りをしていても、まだ金があるとはねぇ。贅沢をするために領民から搾り取った金がまだ残っていたのかい?」


 鼻の奥がツンと痛くなった。こんなことには三年で慣れたつもりでいたがカイトの前で言われたことが恥ずかしく、なにより自分を惨めにさせた。


 ファビオラの後ろに立っていたカイトがファビオラの肩を掴むと彼女の前に出た。


「この店では、店主が客を選ぶのか? しっかり代金を払えば見た目なんて関係ないだろ。それに、代金はファビがちゃんと働いて得た金だ。恥じる様な金じゃない。それでも売らないって言うのなら俺が金を払う、それならいいだろう?」


 カイトは懐から金貨を出した。


「カイト、いいから…」


 ファビオラは慌ててカイトの手を押さえようとするが無言でカイトに制される。


 グッと押し黙った店主は小麦粉の入った袋と釣銭をカウンターに投げるように置いた。


「呆れたもんだな、自分が売る商品を丁寧に扱えないなんて」


 カイトは商品を受け取るとファビオラの手を引いて店を出た。二人は黙って町外れまで歩くと、足を止めたのはカイトの方だった。


「ファビ、ごめん。俺…つい、カッとなって出しゃばってしまった」


 カイトは自責の念に苛まれ顔を歪めた。


「ううん…いいのよ。私の為に怒ってくれてありがとう。無事に小麦粉も買えたしカイトのお陰だよ」


 カイトの眉間に寄せられた皺を指でつつき微笑みかけると、ふっと硬い表情が緩む。


「ファビ、ここでちょっと待っていて。自分の買い物、忘れるところだった。直ぐに戻るから」


 カイトは周囲を確認しファビオラを人目に着かない木陰に座らせると、駆けて行ってしまった。


 市場での動揺を振り払うように周囲を見渡し風に揺れる木の葉を見つめていると、走って戻ってきたカイトの手には紙袋が握られていた。


「ごめん、待たせちゃって。行こうか」


 カイトは当たり前のようにファビオラの手を握り歩き出した。


 山小屋に着くとファビオラはカイトに小麦粉の代金を差し出した。


「代金はちゃんと貰って。カイトの言ったとおり、これは私が働いて得たお金だから嫌な顔せずに受け取って」


 カイトの手に硬貨を握らせた。


「…ああ」


 カイトは硬貨をポケットにしまうと、手に持っていた紙袋を差し出した。


「これ、ブラウが世話になったお礼…いや、棘を抜いてくれた報酬だ」

「報酬?」


 袋の中に入っていたのは紺色のシンプルなワンピースだった。

 今ファビオラが着ているワンピースは長年の着用で色褪せ、布地が薄くなった部分の補正を繰り返している代物だった。


「そんな、受け取れないよ。ただ棘を取っただけなのに報酬だなんて」

「ただ働きなんてするなよ…そんなんじゃ、ダメだ。強く、時にはしたたかにならないと」


 カイトの瞳には熱が籠る。


「ファビ。この国を出てパータイルに行かないか?」

「え…」


 度肝を抜く提案に言葉を失う。


「思いつきで言っている訳じゃないよ。ファビが怪我をした辺りから考えていたんだ…山での生活の術を学んで今までより食の面では豊かになれたかもしれないけど。気候の影響で薬草が採れなくなることだってある。そうなった時にの為にも山以外で働ける場所を探した方が良いだろう? でも、この町では君の働き先を見つけるのは大変そうだ」

「それは…」


 こんな生活を始める前には、知識を活かせないかと職を探したこともあった。

 子爵家の令嬢として教育を受けてきたファビオラは算術も出来るし文字も書ける。当然だがその辺りにいる庶民の子供達よりずっと高度な教育を受けてきているのだ。だが、世間知らずの貴族の令嬢を誰も相手にはしてくれなかった。正確に言えば、嫌悪感を抱く貴族に上等な職を紹介してくれるつもりなど更々なかったのだ。


「ファビはこの国の貴族の称号を持っているし。領地だった土地から離れたくないって言うなら無理にとは言わない…でも、ここを去ったからって逃げる訳ではないよ。新しい環境でやり直すだけだ」


 心のどこかで、領民を苦しめた子爵家の一員として虐げられても、ここに残らなくてはならないという妙な責任に雁字搦めに縛られていた。

 

 今までの自分は何もせぬまま諦め、甘んじてこの状況を受け入れてきた。

 これから先も、ここで餓死しない程度の食料を得て、ぼろぼろの服を着て、ずっとこのままの生活を送り老いていくのだろうか。


 現実を突きつけられて目の前が真っ暗になった。

 

 こんな人生を自分は受け入れ続けるのだろうか。

 カイトの言葉が諦めようとする弱い気持ちにストップをかけた。


「嫌だ…」


 ファビオラの微かな呟きは自分自身を突き動かす。


 自分はカイトと出会って欲張りになった。紺色のワンピースが入った袋を抱き締め、顔を上げるとはっきりと伝えた。


「カイト。私、パータイルに行きたい」


 言い終えないうちに抱き寄せられた。


「よしっ! 決まりだ」

「で、でも…パータイルに行くには出国許可証が必要だわ。そんなに簡単に許可証が貰えるかしら」

「ああ、そのことね。いくらでもやりようはあるよ。うちの商家の従業員として雇うことにすれば申請は通るだろうし。実際はパータイルに行ったら他の仕事を探しても良い。それか…手っ取り早く俺と結婚しちゃうとか」


 ファビオラは真っ赤になり目を見開く。


「結婚って、そんなこと軽く言わないで! それにカイトはまだ十五歳でしょう? 結婚は出来ないじゃない」

「俺、冬が来れば十六になるんだ。パータイルの法律では男も女も十六歳になれば婚姻可能だ」


 ニヤリと笑うカイトの本気とも冗談とも取れない言葉にファビオラは顔に集まった熱を隠そうと両手で顔を覆った。




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