160話 記憶の改ざん
ヒナを買い取った貴族は、ヒナをベッドに寝かせると、抵抗するヒナの衣服を無理やりはぎ取った。
ヒナは泣きながら許しを請いたが、それが余計に貴族の興奮を駆り立ててしまった。
・・・ヒナは再び、あの辛い経験をしなくてはいけないのか?
これは過去に起きた事実の記憶だ。
前回の記憶の修復時に俺も共感してしまったが、肉体的な苦痛もさることながら、精神的なダメージは計り知れない。
魔物の襲撃以前のヒナは、普通に恋愛や結婚を夢見る少女だったのだ。
ユナともよく、どういう男性と恋人になりたいとか、どういう結婚式をしたいとか、そういった話をしていたのだ。
それが性欲むき出しの下品な年配の貴族におもちゃにされるのだ。
自分を愛しているわけでもなく、ただ欲望の処理のためだけに道具として扱われる。
それを共感した時に感じた、強烈な嫌悪感と恐怖、悔しさと悲しさ、それから喪失感と絶望感、それらは、俺でさえ我慢できないくらいひどいものだった。
ヒナの精神はこの時に、大きく削り取られてしまったのだ。
今まさに、俺の目の前でそれが再び行われようとしている。
・・・これは本当に必要な事なのか?
俺の脳裏には疑問が湧いていた。
これは過去に実際に起きた事の記憶であって、今更過去は変わらない。
でもだからこそ、記憶の中だけでも嫌な事を無かった事にするのは悪い事なのか?
貴族はヒナの膝に両手をかけて無理やり開こうとしているところだった。
・・・俺はその貴族の鳩尾に、思いっきり拳をぶち込んでいた・・・
・・・やっちまった!・・・
思わず体が・・・実際には精神だが・・・動いちまった。
貴族がいきなり白目をむいて気を失ってしまったので、ヒナは唖然としていた。
何が起きたのかわからないのだろう。
周りを見回し、何が起きたのか確認しようとしていた。
一瞬、俺と目が合った気がしたが、気のせいだろう。
俺は実際には存在しないのだ。ヒナが認識できるはずがない。
ヒナは服を着直して、部屋から出ていった。
貴族は、自分が発作を起こして倒れたのだと思った様だ。
ヒナもその様に証言していた。
貴族は次の日も同じ様にヒナを襲おうとした。
俺は同じ様に、貴族を殴って気絶させた。
それから毎晩同じ事を繰り返した。
さすがに様子がおかしいので、ヒナが何かをしたのではないかと疑われた。
そこで貴族は側近と主治医立会いの下で、ヒナと行為に及ぼうとしたのだ。
そこまでしてやりたいのかと思ったが、彼らの見ている前で、俺が貴族を気絶させたので、ヒナが何もしていない事が証明された。
ただし、原因のわからない怪奇現象となってしまった。
結局主治医の見立てで、貴族は興奮すると気を失ってしまうので、死にたくなかったらそういう行為をしない様にと指導が入ったのだ。
貴族は泣く泣くヒナと行為に及ぶ事は諦めて、奴隷商に売りつけたのだ。
実際にはヒナを散々弄んだ挙句、精神が壊れて、何も反応しなくなってしまったヒナがつまらなくなってしまって売り払ったのだが、結果的に同じ流れに戻ったので良しとしよう。
その後もヒナは、何人もの買主に買われて行ったが、全て俺が阻止してやった。
こうなったら責任を持って最後までヒナを守ってやる!
実際に過去に起きた事実は変わらないし、ただのオレの自己満足に過ぎないのだが、折角意識を取り戻すのなら、嫌な記憶はない方がいいと俺は勝手に思う事にしたのだ。
とりあえず、ヒナの買主も変わってないし、記憶の繋がりに致命的な問題は無いはずだ。
やがて、この氷雪の国から使者が来た。
さすがにこれを邪魔すると記憶の整合性が無くなってしまうので、阻止するわけにはいかない。
そしてヒナは『柩』の中で眠りにつく。
しかし、前回とは異なり、ヒナは目が覚めた時にはユナに会えると確信して意識を手放していったのだ。
その時の感情は『希望』に満ちていた。
本当は・・・この瞬間のヒナの感情は『絶望』の中に残った、ユナと再会したいというほんのわずかな『願望』だけだったのだ。
それが今回は溢れんばかりの『希望』と、それがゆるぎないものだという『確信』を抱いていたのだ。
ヒナの意識が消えていくと同時に、俺の意識も現実に戻っていた。
「・・・ゲン・・・やりたい放題やってしまいましたね」
意識が戻って来るなり、少し呆れ気味のシアに言われてしまった。
・・・まあ、当然シアにはばれていたよな?
「・・・やっぱりまずかったか?」
俺はばつが悪そうにシアに聞き返した。
「まさかゲンに記憶に干渉する能力があるなんて思ってもみませんでした。ゲンの性格からして、黙っていられなかったというのはわからなくもないのですが・・・・・それにしてもずいぶん大胆に記憶を改ざんしてしまいましたね」
「すまん・・・どうしてもじっとしていられなかった」
「・・・もう・・・それがゲンの良いところでもあるんですけどね!でも、遠慮なく変更してしまうので、記憶の整合性を合わせるのが大変でしたよ」
「すまん・・・偶然つじつまが合っていた訳じゃなくて、シアが合わせてくれていたんだな?」
「まあ、結果的にヒナさんにとっては良い記憶になったとは思いますけど」
「ちょっと!どういう事なの?ヒナはちゃんと目覚めるんでしょうね?」
俺達の会話を聞いて心配になったユナが聞いてきた。
「記憶の整合性は取り繕いましたので、ヒナさんは間もなく目覚めると思います。・・・ただ・・・」
「何かあるの?」
「人格形成には間違いなく影響が出てしまうはずです」
「どういう事ですか?」
「性格が・・・少し・・・いえ、だいぶ違ってしまう可能性があります」
「・・・どう責任をとってくれるのかしら?」
ユナが俺を睨みつけた。
「何かあったら出来る限り俺が責任をとる」
「出来る限りじゃなくて、きっちりとるのよ!」
「わかった、ヒナの事は俺が全ての責任を持つ」
勝手に色々やっちまったんだ、仕方がねえ。
「とにかく、そろそろヒナさんが目を覚ますと思います。ユナさんは引き続き声がけをお願いします。ゲンは何かあったらヒナさんを押さえつけて下さい」
「わかったわ」
「了解した」
「・・・・・んんっ・・・・」
その時、ヒナの口から声がこぼれた。
「ヒナ!気がついた?あたしがわかる?ヒナ!」
ヒナはゆっくりと目を開け始めた。
「・・・・・んっ・・・・・んんっ・・・・おねえちゃん?・・・」
ヒナは薄目を開けながらつぶやいた。
「ヒナ!あたしよ!」
俺の隣でユナが叫んだ!
ヒナの目がぱちっと開いた。
「おねえちゃん!」
「ヒナ!」
ユナを見つけたヒナの顔が笑顔になった!
屈託のない、かわいらしい笑顔だった。
そしてヒナは目線をユナの隣にあった俺の顔に向けた。
ヒナの顔は驚きの顔に変わった。
それから次第に涙を流しながら嬉しそうな顔に変わっていった。
「わたしの勇者様!」
そう言ってヒナは俺にしがみついたのだった。




