謎解きはお味噌汁を作る間に~隣人は名探偵?~
某『小説家になろうラジオ』の一コーナーで読まれた物の設定を元に書き起こした短編となっています。通称『謎味噌シリーズ』。
どうか、お楽しみ頂ければ幸いです。
20XX6月十或町の公園にて 。
私は二四節蒼(33)。
元会社員、現無職、絶賛療養中の30代前半独身の一般男性。
現在、平日午前11時の公園のベンチで梅雨の切れ間の珍しい日向で日光浴をしている最中である。
元会社員の三十代前半独身の一般男性が何故そうなったか?
少しばかり自分語りをさせて貰うと、『会社で殴り合いになって重傷を負って入院し、その間に会社を解雇されて現在に至る』という具合だ。
数日前まで手の骨と足の骨が折れて入院生活。筋力はすっかり衰えて、今まで5分で辿り着いた自宅アパート近くの住宅街に囲まれた公園に15分をかけて、息切れして汗をかきながらやっと来れた。
正直、今もベンチに座っている理由は日向ぼっこというよりは家に辿り着くための休憩と言った方が正しい。
目の前には砂場と遊具があって、小さな子ども達が親に見守られながら楽しそうに駆け回っていた。
赤いポロシャツに短パンの男の子が砂場で山を作っているとその子より少しだけ背の大きい女の子が白のワンピースが汚れるのも構わず山にダイブ。ポロシャツの子どもは砂が顔にかかったのか大泣き。そしてそれを見ていた緑色の半袖シャツを着ていた子どもが怒った様にすべり台からやってきて、女の子を両手で押す。
大泣きの二重唱が始まり、半袖の子の親らしき白い日傘をさした女性が半袖の子に厳しい顔をして何かを言っている。
そして大泣きが三重唱に変わった。
閑静な住宅街にいい歳をした男が一人、わんぱくな子ども達を見ていたら親御さんは不安だろうと視線を泳がせる。
偶に通る車に目をやる。白い軽トラ、黒のワンボックス、黄色い軽自動車、スクーター……ああ、色が帯になっていく、数字と漢字、ひらがなが頭の中でグルグル動いて目が回る。
逃げる様に公園に貼ってあった防犯ポスターに目を移す。小学生が描いたであろう絵具がベッタリと塗られて白紙の無いポスターの中では親子が笑っていて、子どもが急に怖い何かに見えてきて……だめだ。
公園に僅かに植えてある木々を見てみる。駄目だ、目がチカチカして頭が回ってくる。
ああ、これからどうしようか?あんな事をやってしまった後で雇ってくれる所なんてあるだろうか?あったとして、そこで前と同じ様な事をしでかしたらどうしようもない。
未だ少しだけ痛む手足を見て思い出す。
上司を殴った時の感触を。
蹴り上げた時の感触を。
体の痛みを。
そして怯える顔と………思い出すと心臓がドクドクと音を立てて鳴り響いてそれに呼応する様に、頭痛が少しだけした。
「大丈夫かい?」
頭痛で頭を抱えていると、声が聞こえた。
少しぶっきらぼうな、しかし優しさと落ち着きのある老年の女の人の声だった。「病気……にしては顔色が良いね。ケガかい?」
顔を上げると、右手に杖を、左手にブックカバー付きの文庫本手にした藍色のジーンズにポロシャツ姿のお婆さんが立っていた。
「あぁ、すいません。直ぐに退きますね。」
未だ少しだけ心臓は先刻の悪い余韻を残して、体は相変わらず重石が入ったかの様に重い。それでも、動かない訳じゃない。
「謝ることなんて無いさ。このベンチはアタシみたいな婆専用じゃない。子どもも大人も座る為に税金でこさえたもんさ。二人座れるんだ、隣、構わんだろ?」
「いえ、でも……」
少しだけ、自分が社会の誰かと繋がろうとすると躊躇う自分が居た。
「失礼するよ。」
私が戸惑っている間に、お婆さんは隣に腰掛けていた。
「よいせっ!あぁ、アタシは適当に動く置物だとでも思っといて。」
あっという間に、我が家の軒先に座る様に、杖をベンチの端に掛けて文庫本を開いて読み始めた。
心臓は未だ騒ぐのを止めない。なんでだろう?今までこんな事は無かった。なのに……。
「どうかしたのかい?」
ページがペラペラと何度か捲られる頃、お婆さんが心配する様に口を開いた。
今思えば、蒼い顔をして冷や汗をかいている様は確かに死にそうに見えただろう。
「いえ、大した事はありません。」
そう、大した事なんて無い。無いんだ。
「婆一人の経験と、昔会った学者先生が言ってた事をすり合わせると、『大丈夫』とか『全然平気』とか『まだやれる』とか『大した事ない』って言う奴は必ずと言っていいほど一線を越えた危機的状態にあるんだよ。
こんな婆で良ければ話してみないかい?勿論、無理にとは言わんし、話したら話したで秘密は墓場まで持ってく。
若者は墓場まで持ってくのは大変だろうが、アタシなんて墓場まで直ぐだからね。簡単さね。」
ケラケラと笑い飛ばす。達観したが故に生まれた余裕というやつだろうか。
「ふーぬ……所謂えぇと、何て言ったか……なんかの会議……ま、暴行って奴だね。」
最初は帰ろうと思っていた。実際、立とうとしたが、立てなかった。代わりに、自分の心の中で燻って蠢いている何かが暴れて、心臓の音がまた速くなった。
沈黙を貫く意志もなく、ぽつり、ぽつり、ぽつりと、要領を得ない話を一部始終してしまった。
午前12時30分。先程まで聞こえていた泣き声はいつの間にか消え、子ども達も居ない。親に連れられて何処かに行ってしまったのだろう。もう昼食だろうか?
代わりに茶髪の20代くらいの若者が遊具の前でうろつき始めた。前髪が気になるのか、スマホを見ながら頻りに目にかかる前髪を整えていた。 が、袖が長いのか上手く整えられずに袖を少しだけまくって苦戦していた。
黒いスーツに軽そうな黒のカバン を持って誰かと待ち合わせでもしているのだろうか?
「で、どうしたんだい?」
いつの間にか本を閉じていたお婆さんはこちらを見て言った。先刻までと違い、少しだけ神妙な面持ちなのは気のせいではなさそうだ。
「いえ、ですから今、私はこうしてここに……」
一部始終を説明した心算だったが、抜けがあっただろうか?
「?じゃぁ特にお咎めは無かったって事かい。何やってるのかねぇ?」
腕を組んで不機嫌になってしまった。
「申し訳無いです。」
「いや、謝ることなんて無いさね。あまり説教臭いのは好きじゃ無いんだけど……」
急ぐ足音がした。そして、何か重いものが地面に落ちる音が聞こえた。
音がした方を反射的に見ると、先刻まで遊具の前で待ち合わせをしていた人が公園の入り口からこっちへ走ってきていた。
左手には少し重そうなカバン、右袖からスマホが僅かに覗き、妙に静かにベンチの前を駆け抜けようとしていた。
スーツの間から覗くワイシャツの一番上まで留まったボタンに目が吸い寄せられた。
何か奇妙な感じがして、違和感の正体に迫ろうとして頭の中を巡らせようとして、今度はスーツのしつけ糸が取れていない事に気が付いた。
「あ、あの…」
急過ぎて声が出なかった。スーツも靴も黒く、だからこそ背中で×を描く白い仕付け糸は遠ざかっていくのに目立つ。伝えたかったが、もう遅かった。
「…………」
何かが、引っ掛かった。
仕付け糸は勿論気になったが、それ以外にも幾つか気になった事があった気が………。
「何かが気になるって顔だね、どうしたんだい?今の子、何が気になったのかい?」
頭の中で渦を巻く色々なものが圧迫し始めた頃、お婆さんに声を掛けられた。
「いえ、仕付け糸が、今走っていった人のスーツの仕付け糸、それが付いたままだったんです。
新人さんや就活生にたまにあるのですが、何か気になってしまって……。」
他にも気になる事は幾つもある。でも、それが頭の中でぶつかって、弾きあって、渦を巻いていて、正体がなんなのか掴めない。
「妙だね。」
渦に呑まれそうになって、また引き上げられた。
「6月にもなって仕付け糸が取れてないってのは妙じゃないかい?『新人』というには時期が半端だ。
他から嫌われて仕付け糸付けっぱなしなのを教えられないで2ヶ月そのまま……なんて事でもない限り誰かが教えるだろう?
だとしたら、そりゃあスーツを着始めたばっかりで知らなかったんだろうね。」
『着始めたばかりで知らなかった』
その言葉が頭の中の渦を加速させ、そして気になっていた何かを解いていった。
「そう言えばサイズ、サイズも変でした。」
「サイズ、服の大きさの事かい?」
「はい。今走っていった人、黒のカバンとスマホを持っていたのですが、手が袖に完全に入っていたんです。
例えば、大きめのサイズを選んだとしても、そこまで大きいなら、直しを入れている筈です。
……そういえば、おかしいことが未だあった、あの人、スニーカーを履いていました。」
駆け抜けていった時、足音が妙に静かだった。本来、革靴で走れば大きな音が鳴るのに、それが無かった。
スーツにスニーカー。アンバランスだ。
「スーツに鞄、なのに何故、スニーカーなのでしょう?」
渦を巻いていた大きな疑問が紐解かれていく。
「そりゃあ、走るためだろうね。
今そこを走っていったのは、さっきまで向こうで待ってた子だろう?」
「そうです、確かそうでした。」
「その子が持ってた鞄、最初は矢鱈軽そうに見えなかったかい?」
思い出してみる。確かに、髪の毛に触れながら手に持っていた鞄はやけに軽そうだった。けれど、あれ?
そうすると矛盾が起きる、何でここを走る前に重い鞄を落としたような大きな音がしたんだ?
駆け抜けた時のスーツの人は確かに鞄を重そうに持っていた。
話をしている僅かな間に荷物が重くなった?
「着慣れていない服に走り易いスニーカー。おまけに短時間で重くなる荷物……」
なんだ、なんだ、なんなんだ?頭の中の渦が軽くなっていく、同時に渦の中心が騒ぎ出す。
私はその光景の答えをつい先刻見た。そんな気がした。しかし出てこない。
「あれ、じゃないのかい?」
そんな私を見たお婆さんが示したのは先刻目を逸らしたポスター。
恐る恐る描かれた怪物を目が捉えて…………あれ?
怪物は、居なかった。
親子だと思っていた絵はニコニコ笑う老人と若者になった。
老人は若者に何かの包みを手渡し、若者はそれを受け取っていた。
そして、若者の背中には矢張り何かが貼り付いていたのだが、それは子どもの考える若者の顔に角や尻尾を付けて怖くした、つまりは『悪い人』のイラストだった。
『孫と受け子、信頼するのはどっち?』
これは、詐欺撲滅のポスターだ。
サイズ違いの服は変装用。スニーカーはいざというときに走るため。荷物の中身は、多分現金。
幾つかの渦巻きが消えていく。
「慣れない合わない服を着て、この時間帯に住宅街で勤め人の風体を真似た輩。
それがスニーカーで走ってるとなれば、間違いないだろうね。」
お婆さんはそれを当然の事として落ち着いている。
「どうして落ち着いているんですか!?というか、何で気付いていながら黙っていたんですか?」
こうして淡々と言っているという事は、知ってて黙っていたということになる。
「気付いていながらって……私は今、アンタから聞いた事を纏めて考えただけさ。
やれ仕付け糸があるだの、スーツの袖だの、スニーカーだの、カバンだの、見付けたのはアンタさね。
アタシはアンタから聞いた事を纏めて話しただけさ。
第一、婆の視力じゃそんな物、見える訳が無い。
婆の老眼と動体視力を舐めて貰っちゃ困るよ!」
言われて、思い出す。
確かに、目の前のお婆さんは推理をした。でも、それに繋がる情報を見て伝えたのは……。
「それを見付けて気付いて、真実に導いたのはアンタの手柄さ。
さ、行くよ、立てるかい?」
お婆さんが立ち上がって手を差しのべる。
「行くって何処に?」
「刑部…お巡りさんの所さ。今なら未だ間に合うだろう。急ぐよ。」
いつの間にか止まっていた胸騒ぎが止んでいた。
「受け渡したという金が、無いんですよ。」
大柄なお巡りさんが渋い顔をしてそう言った。
「金が無い?刑部!アンタそりゃどういう事だい!?」
今にも殴りかかりそうなお婆さんにお巡りさんが戦々恐々している気がした。
私達が交番に到着すると、そこには4人の人が居た。
内2人は若手とベテランらしき制服の警察官、1人は横のお婆さんと同年代位のお爺さんで、もう1人、座っているのは茶髪に黒のスーツとスニーカーの若い男だった。
「刑部!霜月さん、どういう事だい?」
刑部と呼ばれて委縮するベテラン警官と霜月さんと呼ばれたお爺さんは口を開き始めた。
曰く、霜月さんの家に今朝、孫を名乗る電話があったらしい。
『会社の金を入れたカバンを失くしてしまい、会社をクビになりそうだ。一時的で良いから金を貸して欲しい!』と切羽詰まった涙声だったらしい。
慌てた霜月さんは金庫の中の現金掻き集めて三百万円程をやって来た孫の部下を名乗る男に渡したらしい。
金を渡している間に電話が掛かってきて、用意した金を部下に渡して慌てて受話器を取ると、『休日だからこれから遊びに行くよ』という明るい声で電話が掛かってきた。
電話の主は先程クビになりそうだと言ったばかりの孫だった。
前の電話が偽物だと気付いた霜月さんは慌てて警察に電話、自宅に来た部下の特徴を伝え、巡回をしていた警察官の刑部さんが近くを歩いていた風貌に合致する怪しい会社員風の男、つまり目の前の民野さんに職務質問。慌てて逃げた所を取り押さえられて交番に来たという話だった。
そして、問題なのはここからだ。
刑部さんが民野さんを職務質問した時、民野さんは何も持っていなかったのである。
持ち物に現金はあったものの、霜月さんが渡した額には到底足りない。
霜月さんが警察に電話をしてから民野さんが取り押さえられるまでの時間は短く、取り押さえられた場所は公園の近くで、道中に何かを隠す場所は無い。刑部さんの部下の平野さんにも辺りを探させたものの、現金とカバンは見当たらなかった。おまけに民野さんの住所は隣町。途中の自宅に隠したという線も薄い。
男が霜月さんから奪った金はカバン共々何処かに消えてしまったのである。
「はー、おまわりさん、もういいですか?俺が何をしたって言うんですか?無実なんだからさっさと解放してくださいよ。」
民野さんは横柄な態度を隠そうともせずにヘラヘラと笑いながらお巡りさん二人と霜月さんに目をやる。
「無実なら何故俺が職務質問をした時に逃げたんだ?」
「いきなり怖い顔したお巡りさんが鼻息荒くしてやってきたら、ボクみたいな善良な一般人は逃げますよ、普通に怖くて。」
挑発する様に答えるが、解らない訳ではない。身長180㎝は優に超える制服に身を包んだ大男が職務質問をしてきたらと考えると、自分なら怯えてしまう。
けれど!けれど。けれど、けれど…………
「何か引っ掛かる事があるみたいだね。」
「はい…幾つかあります。」
さっきまでの渦がここに来てからより大きくなった。
不自然というか、勘違いをしているというか、的外れな事をしている様な、何かが噛み合っていない気がする。
「少し当ててみよう。
職務質問に逃げ出す様な小僧がここでこうしてふんぞり返っているのが先ず妙だ。
小僧は今、詐欺の犯人にされかかっているのに、それを恐れていない。まるで自分が捕まりっこないと確信している様に。」
「……当たりです。」
「そしてもう一つ。『何故この小僧は歩いていたのか?』だろ?」
「……そうです。
僕らが見た時、カバンを持って走っていた人が何故、お巡りさんの近くで歩いていたのでしょう?何故その後で逃げたのでしょう?
カバンが無くなっていたのですから、隠し終えている事になります。わざわざ捕まる様な事をする意味がありません。職務質問を受けて、自分が奪った金を持っていない事を見せて証明すれば良いだけの話です。」
そう、まるでわざわざ怪しまれて捕まる様に動いている様な……ッ!
「霜月さん、で宜しいですよね⁉訊きたい事があります!」
「オ?オゥ。そうだが、どうしたんだ?」
急に呼ばれた霜月さんを少しだけ驚かせてしまったらしい。
「あの、あなたの家に来た『部下の人』は間違いなく民野さん、この人で間違いないでしょうか⁉」
「……そうじゃないのか?黒スーツで、茶髪で、走りやすい靴を履いてた、と、思うが……」
考え込んで目を瞑ってしまった。
「私達は見ていないのです。霜月さんの家に来て、お金を受け取った人の顔は見ましたか?声を聞きましたか?背丈は?耳の形は?歩き方は?間違いなく、この人だったのですか?」
黒のスーツにスニーカー、茶髪。特徴的な姿ではあるが、唯一無二という訳ではない。
たったそれだけの特徴の人間なんてこの近くにだって何人も居た筈だ。
「あー、えーっと……そういや、ボソボソ話してたし、前髪が長くて、顔は、その…よくは、見てなかったかなぁ?
あの時は孫が大変だって聞いて動揺していたし……。」
歯切れが悪いが、自分の中の渦が少しだけ小さくなった。
「お巡りさん!急いでこの近辺を探して下さい!この人は霜月さんの所に来た人じゃありません!犯人は未だ居ます!」
「どういう事だ?」
「阿呆!この小僧は偽の受け子だよ!
金を受け取った受け子は別に居て、ここに居るのは受け子に似せた偽物さね!
受け子がバレて直ぐにアンタの前にノコノコ出て来て、犯人だと思わせてここまで引っ張って来させる為の時間稼ぎ要員ってことさね!
偽物が連絡入って直ぐに目の前に現れたのを妙だと思わなかったのかい?この間抜け!」
お婆さんが交番から飛び出す。
「あ、ちょ、待って!」
「すっとろい間抜け共じゃ捕まえられないよ!
霜月さん以外で本物を見たのはアタシらだけさ!さ、行くよ!」
見かけによらず異常に俊足なお婆さんに半ば強引に連れられて、交番を後にした。
ニヤリ
二人のお巡りさんに挟まれる形で座る民野さんがこちらを見て厭な笑いを浮かべた気がした。
瞬きをして改めて見ると、民野さんは天井を見てワイシャツのボタンを開けて何食わぬ顔で寛いでいた。
心の渦が強くなった。
息も絶え絶えで老人の後を追いかけるアラサーが居る。自分だ。
「あの、お婆さん、何処に、何処に向かってるんですか?
もう私達が見てからかなり時間が経過していますよ?」
迷い無く走っているその様は明らかに何処か目的地を定めて走っている人のそれだ。
「偽物が時間稼ぎをしてるとはいっても、あの格好のままでいるとは思えない。万が一バレた時にそれじゃあっという間に捕まる。
つまり、本物の受け子は偽物と少し距離を離したら着替える。
その時間を加味すれば未だ追いつける!
そして、このご時世、その辺でスーツを脱いで着替えてなんてやってたら確実に怪しまれる。
だとしたら、着替える場所を用意してある筈さ。
壁やら何やらで他人の目を気にしないで、しかもある程度スペースのある着替えられる場所をね!」
「成程、トイレ!」
「しかも、その辺のコンビニでそれをやったら店員に怪しまれるし、カメラで撮られる。
霜月さんの家からあの公園を通って行く場所。そんでもってカメラや人がなるべく少ないトイレ。つまり、ここさ!」
数分、息も絶え絶えになりながら走って連れてこられたのは公園だった。
最初に居たあの公園ではなく、住宅街の外れ。もっと言えば駅や主要道路に近い、あそこよりもっと大きい公園。
「あの公園にはトイレが無いけど、ここなら大きめのトイレがある。しかも監視カメラは無しで主要道路や駅が近い。小僧の住所が隣町だった事を考えて、本物も地元の人間じゃないだろうさ。
そう考えたら、着替えてそのままトンズラ出来るここは理想的じゃないかい?さ、探すよ、アタシら二人で!」
息も絶え絶えアラサーを放って、お婆さんは午後の公園へとずんずん進んでいった。
「あ、ちょ……」
「アンタのお陰でここまで来れたんだ、期待してるよ!」
公園内は未就学や小学校低学年位の子ども達が遊び、日向ぼっこや備え付けの健康器具や鉄棒を使って運動する中年の人々がちらほらと居て、制服姿の中高生も居て、子どもを連れてきたであろう大人も多数………
この中に居るかどうかも解らない、居たとしても数十人の中からたった一人、名前も変装していない姿も解らない人間を見つけ出すなんて……
肺が痛い、足が痛い、目がチカチカして、地面を直視する。渦巻きが加速する。
『さ、探すよ、アタシら二人で!』
『アンタのお陰でここまで来れたんだ、期待してるよ!』
少し荒々しいが、肯定する言葉が二つ、渦の中で光を帯びる。
その言葉が、視線を少しだけ上に、前に、してくれた。
探せ、ここに居るとしたら、変装を解いた受け子は一体どんな格好をしている?
目の前に広がる人々。その中の一人を絞り込む。
先ず、小学生までの子どもは除外だ。幾ら何でも子どもと民野さんを間違える事は無い。
目の前の光景から子どもが見えなくなる。正確に言えば目に映っているが極限まで意識しない事で存在を薄く、目に映らない様にする。
次に、運動をしたり寛いだりしている中年の人達は除外だ。変装出来る体格だが、受け子ならわざわざこんな所で寛いで見付かるリスクを冒す意味が無い。
目の前から運動する中年が消えていく。
そして、荷物の無い人も除外する。変装道具を捨てると後々DNAが採取されるリスクがあるから何らかの形で持っている可能性が高い。何より変装道具を何処かに捨てたとしても、霜月さんから盗った現金は持っているから、何かしらを持っている筈だ。
これで、子どもと、明らかにこの場を離れようとしない人間と、荷物を持っていない人間を除外した。
………数人にまで絞り込めた。
しかし、未だに何かが足りない気がしてならない。
心の中の渦が強く渦巻く。
自分が見た受け子の人と絞り込んだ数人は全く違う。それは当然だ。渦の正体じゃない。
思い出せ、自分は受け子の人を見ている。未だ何かがあるんだ。
通り過ぎる一瞬だったが妙な印象が……あった筈だ。
思い出せ。
急ぐ足音がして、何か重いものが地面に落ちる音が聞こえて、そうしたら受け子の人が走ってきて、左手には少し重そうなカバンを持ってて、右袖からスマホが覗いてて、何か奇妙な感じがして、違和感の正体に迫ろうとして頭の中を巡らせようとして、最後にスーツのしつけ糸が取れていない事に気が付いた。
でも、違う!一瞬じゃない!
カバンの重さが変わっている事に気付いたのは何故か?自分はその前に受け子の人を見ていたんだ!
その前も思い出せ!その二つがあれば、何かが解る筈だ!
最初に見たのはお婆さんと話していた時の事だ。茶髪の20代くらいの若者が遊具の前でうろつき始めて、スマホを見ながら頻りに目にかかる前髪を整えていた。
それで、袖が長いのか上手く整えられずに袖を少しだけまくって苦戦していた。
それで、その時に気になった事はお婆さんが解決してくれた筈だ。なのに渦巻は一向に衰えない。なんで、なんで。なんで……!
三回目だ。
民野さんを最初に、交番で見た時に引っかかったもの。それまでと明らかに違っていた何かが、そこにはあって、民野さんが違う人だと辿り着いたんだ!
同じ人だと思っていたのに、明確に違うと思っていた何か、何か、何か……
笑っていた。民野さんは笑っていた。寛いで、ワイシャツのボタンを開けて、笑っていたんだ。
自分が偽物だと露見したのに、自分達が決して本物の受け子に気付かない自信があったんだ。
それが引き金だった。
頭の中で目に映った光景が幾つも幾つも重なり、渦の中に飲み込まれて、激しくうなり、うねり、拡がり、収束して、渦が消えて無くなり、一つの真実だけがそこに残った。
息を整えて、たった一人の元へと向かう。
偽者をわざわざ用意する用意周到さがあるのに、服のサイズが合わないのは何故か?そして仕付け糸が残っていたのは何故か?
自分の使っているスーツというものがそもそも無く、わざわざ合わない大きめサイズを買ったから。
前髪を気にしていたのは髪を整えていた訳ではなく、周囲に顔を見られるのを極端に嫌ったため。
霜月さんの元で顔と声を隠していたのは、見せればバレてしまうから。
そう、気付かない自信がある訳だ。
「霜月さんから奪ったお金を返して下さい。すぐに警察が来ますよ。」
私が呼び止めたのはトートバッグを肩に背負った女性だった。
「よく気が付いたね。」
あの後、呼び止めた相手が動揺して逃げようとしている間にお婆さんが加勢に加わり年齢差をものともせずに制圧。後からやってきた刑部さんが職務質問等を経て無事、本物の受け子こと間地さんは民野さんと共に逮捕された。
そうして、私とお婆さんは調書を取るべく少しだけ警察署に呼ばれ、あれこれ聞かれて帰りが結局夕方になった。
「ワイシャツが気になっていたんです。
交番で見た民野さんのワイシャツはこちらから見て右側にボタンが付いていたのですが、私が見た受け子の人のボタンはこちらから見て左側に付いていました。」
「成程ね、確かに、男物と女物はボタンの付いている箇所が左右違ってる。だから小僧を犯人だと思ってる連中は騙されると……。やるじゃないか!」
お婆さんに背中をポンと押された。
「オォ、兄ちゃん!」
こちらに駆け寄ってくる人があった。夕焼けで印象が変わっているが、先刻見た霜月さんだ。
「兄ちゃんのお陰で金が盗られずに済んだよ!助かった!有難う!」
こちらの手を握り、深く頭を下げてくれた。
「そ、そんなことありません。謎はこちらのお婆さんが解決してくれましたし、捕まえてくれたのは刑部さんです。私はあくまでただの一般市民ですよ。」
自分は気になっただけ。詐欺だと見抜いたのも、交番に連れてきたのも、本者に迫れたのもお婆さんのお陰だ。
「なーに言ってるんだい!アンタが居なけりゃアタシは詐欺なんて気付かなかったし、見付けられもしなかったんだ。
誇りな、元警視総監で元名探偵、この雨宮四季が太鼓判を押すよ!アンタは今日、正義の味方だった。胸張りな!」
背中を強く押された。
あの時を思い出した。
上司を殴った時の感触を。
蹴り上げた時の感触を。
体の痛みを。
そして……同僚の怯える顔と涙を。
私が会社で殴り合いになった理由。それはどうしようもないパワハラ上司が新人社員の髪を掴んで顔を殴っているのを見たから。
その時は無我夢中で、止めようとして、守ろうとして、間に入って、今度は上司が私を標的にして殴りかかってきて、応戦して殴ってしまった。
それが『殴り合い』という結果になり、私は打ち所が悪く重傷、入院しているその間に上司が会社に事件を報告して、呆気なく成す術無く失業して、今日公園に来ていた。
今日まで、自分はもしかしたら暴力的な人間かもしれないと思っていた。
暴力を振るったのは事実で、会社からは実際に罰されて、自分は罰される側の、恐ろしいヤツなのかもしれないと思っていた。
『アンタは今日、正義の味方だった。胸張りな!』
背中を押して胸を張らせてくれたお婆さん改め雨宮さんが居た。
『助かった!有難う!』
腕を取って感謝してくれた霜月さんが居た。
胸の中の渦巻きは、消えて穏やかな凪が訪れた。
久々に走って、慣れない事情聴取を受けて、体力が尽きてヒョロヒョロの私。
対して未だ余裕とばかりに背筋をしゃんと伸ばし、前を歩く雨宮さん。
という訳で、自力で家まで帰れるか不安視された雨宮さんによって私は自宅アパートまで送り届けられた。
「なんだ、ここがアンタの家かい。案外近かったね。」
「すいません。送って貰って……このお礼は何時か……」
「何言ってんだい?アタシの家は直ぐそこさ。それに、お礼するのはアンタじゃない。霜月さんさ。さっきお礼したいって言ってたから、楽しみにしてなよ。」
「は、はい。有難う御座います。」
「じゃ、今日は風呂入って、さっさと寝るんだね。」
背を向けようとして、ふと足を止めた。
「……アンタ、いや二四節さん。つかぬ事を訊いて申し訳無いんだが、今何か職には就いているのかい?」
「…いいえ、現在求職中です。明日から頑張って探そうと思っていますよ。」
「そうかい。アンタ程の逸材だったら、アンタの事を必要とする人達がやって来るだろうさ。じゃぁね。」
そう言って、アパートの敷地から出て、直ぐ隣の家に入っていった。
「あぁ、隣人さんだったんですね……。」
今日一番の驚きだったかもしれない。
この後、霜月さんからお礼の食事会に誘われ、その席で偶然出会った探偵社の社長からスカウトされ、二四節蒼(33)は無事探偵という職に就く事になった。
入社後直ぐに、何故初対面の自分をスカウトしたのかと社長に訊いた。
『前社長から『名探偵の隣人が居るから是非推薦したい!』と言われたんだよ。』と新聞を見ながら言っていた。
『元警視総監で元名探偵、この雨宮四季が太鼓判を押すよ!』……まさかな。
その時社長の見ていた新聞の一面記事が、私を殴っていたパワハラ上司が逮捕されたというものだった。
『元警視総監で元名探偵、この雨宮四季が太鼓判を押すよ!』……まさかな。
感想、レビュー、ブクマ、いいね、宣伝等を頂ければ幸いです。
ボタンのトリック、タイトル、設定など、色々見た事のあるものがあるかもしれませんが、とりあえずグレーゾーンだと思うので投稿しちゃいました。
このまま入賞して、色々不味い事になって未来の黒銘菓に気まずい思いをして貰いたいので協力お願いします!