雨の日の音楽室
ラブとまでいきませんが、「ボーイズラブ」要素があるので、苦手な方はご注意してください。
うわぁーー……。音楽室にリコーダー忘れたぁ……。
明日、リコーダーのテストがあるから、家に持って帰ろうとしたら探してもなかったのだ。今日授業で使ったのを思い出し、三階にある音楽室へ歩いていた。
雨、すごい降ってるなぁ……。
窓の外を見てみると、雨が降っていた。風も吹いていて、夏でも少し肌寒い。
僕は雨が嫌いだ。ジメジメしていて、何故か僕を憂鬱な気持ちにさせるから。雨のザァーと言う音は雑音にしか聞こえないし、時にその音は僕を惨めにするから。
音楽も同じだ。僕には雑音にしか聞こえない。豊かな気持ちなんかならない。苦手な意識がある僕にとって音楽は苦でしかない。
音楽室に近づくにつれ、雨以外の音が聞こえた。
くぐもった音。
此れは何の音だろう?
音楽室の前に着き、僕は恐る恐る扉を開けてみた。すると優しく軽やかな、そして楽しそうな音が聞こえてきた。
―――ピアノの音?
音楽室の真ん中にあるピアノを弾いているのは綺麗な男の人。
ピアノの音っていうか、ピアノと一緒に歌っているみたいだ。
暫く聞いていた。
彼は僕の視線に気付いたのか、ピアノを弾いていた手を止め、此方に振り向いた。
僕の存在に気付いた瞬間、顔を真っ赤に染めた。まるで夕陽の様。其の顔を見た僕の方が恥ずかしくなってしまって、彼に問いかける声が変に上擦ってしまった。
「あっ、あの……すみません。リコーダー、ピアノの近くに有りませんでしたか?」
「えっ……と、一寸待ってて」
彼はピアノの周りを見渡した。
「もしかしてこれかな?」
彼の手に握られていたのは僕のリコーダー。
「はいっ其れです。有難う御座います」
そう云って帰らない僕を、彼は不思議そうに見ている。
帰りたくなくなったのだ。さっきのピアノの音が名残惜しくて……。
「あのっ!今弾いていた曲、何て云う曲名なんですか?」
彼は一瞬驚いた顔をしていたがその後、直に微笑んだ。
「此の曲はギロックの『雨の日の噴水』綺麗な曲だろう」
彼はまた、ピアノを弾き始めた。
最初は小雨でポツポツ降っている感じがした。段々聴いていると緩やかな流れが速くなっていく。
何でだろう……。
其の流れが僕の中にまで流れて行く。伝わってくる。
ザァーとした感じが嫌いだったのに、其の音は不快なものでは無い。何とも不思議な感じだ。
「君、音楽は好きかい?」
突然の彼からの質問。
僕は首を横に振った。
「じゃあ君は、音楽が嫌いかい?」
其の質問にも僕は首を振った。
嫌いなはずなのに、嫌いだったはずなのに……。何時の間に僕は音楽を嫌なものだと感じなくなった。雨もそうだ、不快に感じなくなった。
彼はうっすら笑った。其の笑みはとても嬉しそうだ。
「弾いてみる?ピアノ」
僕は慌てて断る。
「無理……無理です!!僕、音楽苦手だし下手だし……其れにみんな嗤うから。絶対に」
怖かったのだ。音楽が、雨が。だって音楽は僕を嗤い物にするから。
僕が歌を歌えば皆、嘲笑う。僕がリコーダーを吹けば皆、僕の方に唾を吐く。
何がいけないんだろうって考えてみた。
でも、何も頭に浮かばなくて………僕はただただ一人で泣くことしか出来なかった。そんな時にばかり雨は降っていて、僕を余計に空しくさせる。
「嗤わないよ。そんな風に君を」
何時の間に、彼はピアノを弾いていた手を止め、僕の前に立っていた。
彼の目にはとても強い意志の様なものが秘められていた。
「音楽は怖くない。大丈夫」
彼の勢いに押されて、うん……と自信なさげに僕は頷いた。
「一寸来て」と連れて来られたのはピアノの前。
「ここ押してみて」
僕は躊躇いながらもゆっくり人差指で、鍵盤を押してみる。
ポーーーーーーン
音が出た。たった一つの音だけなのに、何故か涙が落ちてきそうだ。
僕にもこんなに綺麗な音が出せるのかと。僕にもこんなに心に響く音が出せるのかと。
「いい音だろ?」
「はい……」
彼は僕に諭す様に、静かに語り始めた。
「ピアノは誰にでも出来る訳では無い。楽器って云うモノは人の感情を表す道具……って云いかたは僕は好きじゃないけど、人の感情を表す『鏡』だから。きっと今の君の気持ちが其処に表れたんだよ。君の『音』がね」
彼は最後の言葉を強調して云った。
僕の音……?
そう訊くと、彼は大きく頷く。
「そう。君の『音』。その音は僕には出せないし、君以外誰一人出せる者は居ない」
僕の音。僕自身の音。それは誰にも出せないし、僕だけの音だ。
他人の評価を気にするなとは言わないが、他人の評価ばかりを気にしているのはいけない。僕が納得する、自分の音が出せれば其れで良いと思う。
僕が、僕自身の音を信じていなければ、決して良いと音は出ない。僕自身が僕を信じていなければ、僕を否定していることと同じだと今、気付かされた。
僕の嫌いだった音楽に。僕の嫌いだった雨に。
「たとえ誰かが君の音を嗤ったとしても、きっと今降っている雨が嫌な事全部流してくれるよ」
「そうですね」
僕は窓の外を見ながらそっと微笑んだ。
また音楽室に来よう。雨が降っている時の、この音楽室に。きっと嫌な事を、「音楽」が「雨」が全部流してくれるから……。
そして……彼のピアノを聴く為に。彼に会いに行く為に……。
僕は「雨の日の音楽室」に来るのだろう。