8 将軍閣下の目覚め
「ここは、どこだ」
朝目が覚めて、ベッドの快適さに驚く。ここ数日は革命の準備のため、碌な衣食住も確保できなかったというのに。
辺境で聖女幽閉の知らせを受けたときには、王家への忠誠心ゆえにこれまで我慢してきた全てのことが吹き飛ぶほどに衝撃的だった。
救国の聖女と民から縋られ、王家の槍となり魔獣や他国を倒す。魔法の使い方も学ばせてもらえぬまま戦場に出てきて、前線の兵士たちに煙たがられながら、それでも独学でいつのまにか魔法を操るようになっていた少女。
手袋の下に魔法陣を彫り、無理矢理に魔法の発動を短縮しているのも、王がつけた護衛が彼女を守らない、連携しないためやむなくのものだったと知ったのは、彼女が去った後だった。
帰りたいと震えていた夜も、優しくしてくれた兵士が殺されたのを見て、誰も死なせたく無いと奮起する涙も、自らの魔法によって敵国の兵士を殺した夜の怯えも。年相応のまだ幼い少女にしか見えないのに。
少女に国の命運を背負わせする王家なら、倒れてしまってもいいのではないかと思ったが、あれほど国のために尽くした少女を貶めて幽閉するなど、想像以上にこの国は腐っていた。
民衆を率いての革命も、ハルカを助ける事が最も大きな目的だったはずなのに。
「おはようございます、閣下」
私を起こしに来たのは、ハルカを助けようと一緒に奮起し、志半ばで戦死したはずの、秘書官だった。
「シモン......なのか?」
「何を仰いますか。顔色が良くありませんが、悪い夢でもご覧になりましたか」
「......いや」
むしろ、今こそが夢のようだ。大切な人達を失う前の幸せな夢。それにしてはリアルだが。
では、あちらが夢だったのだろうか。
天空に浮かぶ巨大な魔法陣と次々に倒れる人々。何故か最後まで意識のある自分に向かって、聖女は微笑んだ。
明るく、無垢な、普通の少女であった彼女とは思えないほど、妖艶な笑みで。
『さようなら、また会いましょう』
あれは、確かに自分に向けられた言葉だったように思う。
「それでは、本日のご予定を」
シモンの言葉ではた、と我に返る。
シモンから聞く予定は、おおよそ1年前の予定。まだ聖女が前線に来る前だった。
中央貴族や王の贅沢で軍備に予算が回せない中、隣国が領地拡大に攻めてきたのだ。
少ない軍備でなんとかしなければならず、苦戦を強いられたが、聖女が来てくれてなんとか被害を最小限に抑えることができた。
信じ難いことだが、時間を遡ったとしか説明がつかない。
前回と同じなら1週間後には聖女が到着するとの知らせがあるはずだ。
前回は、聖女などと眉唾ものの存在を当てにはできないと、すぐに帰ることを前提に大した設備を整えなかったが。帰ることは許されないと知っていたなら、もう少し迎えようがあった。
「シモン、天幕は一つ空いているだろうか」
「今空いているということはありませんが......。どなたかいらっしゃるのなら手配致します」
「いや、まだ確定ではないのだが」
まだ、夢の可能性が高い。時を遡るなど信じられない。だが、もし本当に遡ったのなら次は彼女を支えたい。
何も持たずに身一つで戦場に送られる、無責任に誰もが救いを求める、救国の聖女を。
今度こそ、自分が救いたいのだ。
「頼む。女性が過ごしやすいよう整えてくれ」
「......閣下のご婚約者様とかですか?」
「そんな、恐れ多いことだ」
「は!出過ぎたことを申しました。手配致します」
他の事務連絡も済ませた後、シモンが部下に甲冑を運び込ませた。
「閣下の甲冑もメンテナンスが終わり戻って参りました」
先代の王から我が家に賜った甲冑は家宝として兄弟に与えられた。銀に蔦模様の押された豪奢な甲冑は王家への忠誠の証として、軍の役職に着く家門の者は身につけるよう当主である父から命じられている。
そのため常に身につけており、部下も素顔を知らぬ者がほとんどだ。将軍という役職においては軍内の乱れや、不満は届きにくい。素顔が割れていないのは便利なことだと、部下に混じって話を聞いたりもする。利便性のこともあり父の言いつけを守っていたが。
王家から気持ちの離れた今となっては見るのも煩わしく、とても身につける気にはなれなかった。
「甲冑はしまっておいてくれ。手間をかけたな」
「よろしいのですか?」
家門の掟は軍のみならず貴族の間でも有名な話だ。それを堂々と破っても良いのか、ということだろう。
「ああ」
多くを説明することは無かったが、その返事だけでシモンはすぐに動いてくれた。本当に優秀な秘書官だ。
1週間後、聖女は本当に来るのだろうか。身一つで何の準備もなく。
今度こそ、その柔らかい手に魔法陣を刻む必要の無いよう、守ってやりたい。
やっとヒーローのお出ましです