Lv99のアラクネに転生しまして。
真っ赤な月だった。
前世の最後の記憶は、赤く染まる満月。
意味があるかはわからないが、それが私の最後の記憶だ。
気付けば、アラクネというモンスターになっていた。
後ろにぷっくりした蜘蛛のお尻と六本の足がついていて、おっかなびっくりしたものだ。
髪は糸のように真っ白で、背中まで伸びたストレート。
白い睫毛が囲むのは、真っ赤な瞳。
アラクネとは、言い換えれば、蜘蛛女のことだ。
私の場合、蜘蛛のお尻や脚がついた。
もちろん、蜘蛛の巣も張れる。始めは苦戦したものだ。
モンスターに親がいないのは普通らしく、私にも教えてくれる親がいなかった。
モンスターの巣窟である森に生まれたから、弱肉強食を生き抜かねばいけない状況下にいたのだ。
けれども、幸いにも私は生き延びた。自分がサバイバル出来るなんて意外だったが、出来ちゃったのである。
きっとモンスターに転生した影響だろう。
生前は、引きこもりのオタクだった。
今も引きこもっていると変わらない。
何故なら、私は自分のテリトリーにいたからだ。
苦戦した蜘蛛の巣を周りに張り巡らせて、最初は小さな魔物を捕まえていた。
そして、食す。
最初にいた場所から、ほぼほぼ離れていない。
ただ成長するにつれて、テリトリーを広げただけ。
自分のテリトリーを、ただ守っていただけだ。
私の蜘蛛の糸は、頑丈だ。だから、大抵のモンスターは絡めとられて捕まえられた。
私の糸でも捕まらない、強かったり大きすぎるモンスターは、見送る。岩陰に隠れて息をひそめた。
そうやって、生き抜いたのだ。
最初に食べることには、抵抗があった。ゲテモノを食べていると同じだもの。
しかし、生きるためには、仕方のないことだった。だけれど、食べ慣れればへっちゃらだ。
モンスターになった。今の私は、アラクネという名のモンスターだ。
そういえば、どうしてアラクネになったのだろう。
引きこもりのオタクで、色んな本を読んでいたけれど、中でもヴァンパイアという種族に惹かれていた。
強く美しい不死身な種族。ヴァンパイアがよかった。
確かに、生前の私は蜘蛛が好きだったのだ。
目の前にぶら下がっても、部屋をうろついても、害はないと判断していた。
吉兆でもあったもんね。朝の蜘蛛は。
まぁ、考えてもしょうがないか。
モンスターを食べれば食べるほど、私は強くなった。
残念ながら、ステータスなどのゲームのような便利な表示はないが、力がみなぎると感じたのだ。
私の蜘蛛の巣に引っかかっても、食べなかったモンスターもいる。
スライム。
スライムは、雑魚モンスターだ。大して、お腹は膨れない。炭酸が抜けた薄めたソーダみたいな味。
幼少期の私がチョップをするだけでも、崩れてしまうようなモンスターだった。そのあと、地面に吸い込まれるように消えていく。
けれども、ある日巣に引っかかった緑のスライムは、ぷにょぷにょと弾力あるスライム。
面白かったので、弾力を味わう。もぎゅもぎゅ。
ペットにしたのだ。餌はどうしようと迷っていれば、緑のスライムは私の糸を食べていた。
そうしたら、びみょーんっと伸びるようになったのだ。餅かチーズみたいなほど、伸びた。
そんなスライムは一人でぴょんぴょんと跳ねて、他のモンスターを食べにいく。時には私の分まで引きずって戻ってくるほど、懐かれた。
犬か猫みたいだ。
緑のスライムだから、グリーンとスライムでグリムという名前をつけた。
グリムは、喋らない。でも愛くるしいスライムだ。
ぷるるん、とした半球体。グミみたい。目も口もないけど、一応生きているモンスター。可愛いなぁ。
そんな従魔とも呼べるグリムと過ごして、何年も経った。
ある日のことだ。
私の広がったテリトリーに、訪問者が来た。もう敵になるモンスターはいない。大きくても、張り巡らした糸は切れないほど、頑丈になったらしい。
ビビーン、と糸が震えて、テリトリーの侵入を知らせる。
小さいものか、または糸を避ける知能があるもの。
「グリム、ここにいて」
グリムは、後ろの腰に置いた。
腰回りには、白狼の鬣をまとっている。実はかなりハレンチなほどの露出だから、着る物は調達した。上半身は、裸。首と胸を包む衣服を作った。蜘蛛の巣を何万回も作ったから、衣服ぐらい作れたのだ。
胸の谷間や腹回りは露出したままだけど、もう気にしない。裸よりら常識的でしょう。
さて、問題は何が来たか。
「お前か? この森の最強のアラクネ」
右の頭には、上にそそり立つ赤黒い角。長い左サイドには、赤いメッシュ。あとは、黒い短い髪だ。
ガタイがいい。
人間の男性に見えるが、どうだろう。角があるし。
腰には刀らしき黒い棒を携えていて、絹のシャツと黒いズボンにブラウンのブーツ。
それより、最強のアラクネとは、私のことだろうか?
ジャングルのように生い茂ったこの森に、他にアラクネはいないはず。会っていないもの。そもそも、この森全体は把握していないけど。
「なんのこと?」
私はとぼけたわけではなく、ただただ問う。
彼は、笑い退ける。ニヤリ、と口角を上げた顔は、なんとも男前だ。
……食べたら、美味しいだろうか。
ずっと獣みたいなモンスターばかりだった。人間の姿に近いモンスターは、食べれるだろうか。
いや、いける。
きっと。
モンスター歴は短いが、調理すれば食べれるはずだ。
「オレは鬼族の冒険者だ」
「冒険者?」
冒険者がいる世界だとは、初めて知った。
つまりは、鬼族の彼は、私を退治にしに来たのだろうか。
「何しに来たの?」
「腕試し」
最強のアラクネと噂の私と腕試し。
腕に自信があるのか、無謀者か。
私は蜘蛛の六本の足で支えて、人間らしい二本の足を組んだ。黒い模様のある足。
「いいわよ。かかって来なさい」
同じく黒い模様の腕を伸ばして、くいくいっと指を折り曲げて招く。
私には勝算があった。
腕に自信のある冒険者相手でも。
「いざ、勝負!」
腰に携えていたのは、やはり刀だった。居合いの構えをしては、抜刀する。
しかし、刃は私に届かなかった。
恐らく人間の目では見えないほどの細い糸。その一本が、刀を止める。
「!?」
私は同じように口角を上げて笑う。
「ここは私のテリトリーの中」
腰の後ろに大人しくいるグリムを膝の上に乗せて、ツルツルの頭を撫でた。
「足を踏み入れた時点で、私の勝ちは決まっていたの。ごめんなさいね?」
森を焼き尽くすほどの火魔法でも使わない限り、このテリトリーで私に勝つことは無理だと思う。
獲物を捕獲する蜘蛛の巣の他に、鋼のような糸、そしてピアノ線のように鋭利な糸を張り巡らせている。
「まだまだだ!」
鬼族というだけあって、怪力を持っているらしい。
火の魔法を放って、鋼の糸を押し切った。
おぉう。火の魔法を使われるなら……。
「グリム」
グリムを、持ち上げた。
瞬時に、グリムは水を放出したのだ。
テリトリーから出ない私のために、グリムは水を溜め込んでいる。
火が燃え移る前に、鎮火してくれた。
「スライム!? レアなもん使いやがるなっ……」
スライムに驚くから小首を傾げてしまったが、水を避けた冒険者は次の動きに出る。
移動をして、再び私を切りかかろうとしたのだ。
でも、振り上げたところで、鋼の糸に引っかかり、動きは止まる。
にやり、と笑ったが、冒険者は刀を手放した。躊躇ない動き。
やはり最強のモンスターに挑むほどの手練れた冒険者のようだ。
「くらえ!!」
手を突き出す。魔法で生み出した火を纏わせながら。
虫型のモンスターなのだ。火を使って攻撃するのは定石だろう。
しかし、こちらにはグリムがいる。
はむっ。
グリムは自ら私の手の中から飛び出すと、冒険者が突き出した手を飲み込んだ。
「っ!」
すぐに手を引き抜く冒険者。反射もいい。
しかし、手にあった火の魔法は、もうなかった。
火対策には、グリムが一番。
「!」
私は冒険者のもう片方の手を掴み、噛み付いた。
勢いよく冒険者は後ろに飛び退き、距離をとる。
だが、もう遅い。
「私の牙には麻痺する毒があるの」
そう教えてあげる。
火を焚いて、捕まえたモンスターを焼く時は、蜘蛛の糸が燃えてしまう。
だから、糸が燃えてなくなる前に、モンスターに噛み付いて麻痺させる。
私には耐性があるので、そのまま食しても大丈夫。
じきに冒険者の身体に毒が回って、動けなくなるだろう。
「じゃあ、その前に片をつけないとな」
強気に笑って見せる冒険者。
ふむ。まだ挑むつもりか。
刀を拾って、構えた。そして、真っ直ぐに突く。
今度は阻む糸はなく、私に向かってきたから、咄嗟に手でガードした。
浅く、掌が切られ、刀は弾かれたように逸れる。
「……痛い」
アラクネに転生してから、まともにダメージを負ったことのない私には、十分痛い傷だった。
自分に流れている血が赤いことを、初めて知ったわ。
「っ! 硬すぎるな……」
冒険者としては、これで仕留めたと思ったのだろうか。
怪訝な顔つきで、また距離をとる。
怪力で刀を突いたにしては、確かに浅い。
「どうするの? 刀では切れないみたいだし、火魔法で攻撃を続ける?」
火魔法なら、グリムはいくらでも食べる。きっと。
グリムの胃袋は、底知れない。
私からグリムを引き離さない限り、効果的な火魔法でダメージを与えられない。
刀は振っても張り巡らせた糸が阻み、届いても浅い傷を作るだけ。
「あなたじゃあ、私には勝てないのでは?」
「言ってくれるじゃないか。オレは魔王を倒した冒険者だぞ」
「魔王を? レベルが低かったんじゃないの?」
思わず、言ってしまった。
冒険者の次は魔王が、話題に出てきたのだ。
驚きで吹き出してしまう。
「スライムを従えているアンタには、確かにレベルが低いよな」
ん?
もう一度、私は小首を傾げた。
スライムがレベルの高いモンスターみたいな言い方だ。
もしや、そうなのか……?
刀を持ち直した冒険者は、またもや突き出した。
鋭利な刀を、次は蜘蛛の後ろ足で弾く。
逸れた刀を気にすることなく、片方の手を顔目掛けて伸ばしてきた。
火が放出されるが、それをぱくんっとグリムが飲み込む。
「ちっ!」
また手を引っ込めた。
「”ーー紅蓮のような魂、燃え栄えろ、火炎の砲撃”!」
引いたかと思えば、伸ばした掌に火の塊を放つ。
詠唱魔法か。火の砲撃。
周囲の糸が燃え、私に向かってきた。
だけれど、グリムがまた飲み込んだ。
そんな膨れたグリムが、刀を戻して振り上げた。切られてはいないが、吹っ飛ばされてしまう。
冒険者は、グリムという火魔法対策の盾を失った私に、また詠唱をしようとした。
「私には」
詠唱する冒険者に、私は言う。
「奥の手もある」
横に回って、かわしながら、私は腰に巻き付けていたロープ状の糸を取った。
そして、鞭のようにしならせて、バチンと冒険者の腹にぶつける。
絹のようなシャツは、やぶけて、赤く腫れた肌が表れた。
冒険者は怯んで、詠唱を中断。
その隙に、地面に転がったグリムを鞭で回収。
鞭は暇潰しに扱った程度だが、蜘蛛の巣を作るように楽に出来る。
「刀、ちょうだい」
私はもう一振りして、鞭で刀を絡めとって、奪い取った。
「わぁ、意外と重いのね」
予想より重たい刀の刃をまじまじと観察していれば、お腹を押さえて冒険者が片膝をつく。
「くっ……」
「あら? 大ダメージね」
かなり辛そうだ。
こっちは、一発当てただけなのに。
……お互い様か。
「負けだ」
冒険者が、口にした。
「もう降参?」
「こんなダメージ、魔王戦よりも大きい。勝算がない」
絶望したわけではなく、単に参ったと笑う冒険者。
「潔くていいわね。次は何するの? 命乞い?」
「ああ、そうだ。命は助けてくれ」
「モンスター相手に通じると思うの?」
私は愉快だと笑う。
「代わりに城をやる」
「城?」
思わぬ提案に、笑いをぴたりと止める。
「そうオレが倒した魔王の城。今はオレの所有物だ」
グリムを膝に乗せたまま、私は頬杖をつくように腕を組んだ。
冒険者は、傅く。
「オレの名前は、コーガ」
「私は……リコ」
生前の名前を名乗った。
しかし、冒険者コーガは不思議そうな顔をする。
「森暮らしだと、滅多に名前を持たないんだが……まぁいい。アラクネのリコ」
コーガが、気を取り直す。
「いや、アラクネのリコ様」
こうべを垂れた。
「どうか、新たな魔王になってくれ」
ふふっと吹き出してしまう。
いや、だって、ねぇ?
冒険者に、魔王になってほしいと頼まれるとは、面白い展開ではないか。
「なってくれないのか?」
「なんで私? なんで新しい魔王が必要なの?」
「オレよりも強いからだ。魔王がいなくなって、モンスター達は統率が取れていない。人間達に依頼されて、束ねる存在が必要だって」
「私を統率者にしたいの? あいにく森暮らしで常識さえも知らないのよ。スライムが希少らしいことも知らない」
統率者にしては、色々足りない。
私とコーガは、緑のスライムのグリムに目が留まる。
「確かにスライムは希少だ。この森にいるとは初耳」
「いたわよ、何匹か」
「複数? まさか……食らったのか?」
「美味しくはなかった」
肯定した。
コーガは、驚きで目を瞬かせる。
「スライムは、力の増力薬みたいな存在だ。だからこそ、狩られて希少になったんだよ。なるほど、強いわけだ」
納得したように、コーガは笑う。
どうやら、私はテリトリーだけではなく、食べ物にも恵まれたわけだ。
「いいものがある。レベル玉だ。これを持てば、強さが測れる魔法の玉」
立ち上がると、ポーチから水晶玉を取り出した。
淡い水色の玉は、野球ボールの大きさ。
スタスタと歩いて近付いたコーガは、そのまま腕を伸ばした。そして、渡す。
ぽすっ。
私の掌に置かれた水晶玉は、数字を表示した。
「99」
それを口にすると、コーガは笑う。
レベル99とは、驚きだ。アラクネ歴、十数年なのに。
もしかして、レベルがマックス?
「道理で勝てないわけだ。オレは80。魔王を倒してから、変わってない。成長している気がしないな」
肩を竦めるコーガ。
それから、再び、傅く。
「どうか、なってほしい。欠けている常識も何もかも、オレが補う。魔王の金品財宝も、全て与える。考えてくれ」
「あなたって変。私がモンスターを統率して、人間達に刃を向けてもいいの?」
「戦って理解した。純真無垢のモンスターだ。魔王に相応しい」
私は真っ白な髪をかき上げて、ふーと息を吐いた。
魔王に相応しいと言われるなんて。
しかも、冒険者に、だ。
「レベル99のアラクネが、魔王になるんだ」
鬼族の冒険者コーガは、どこか自信に満ちた目で私を見上げて、口角を上げて笑う。
さて。どうしようかしら。
蜘蛛女になる夢を見たので。
急いで書き上げました。
いつか長編で書けたらいいな。
とか思ったり。
20201023