序章
昔の夢を見た。
でも目が覚めると、どんな夢だったのか思い出せない。
あれは間違いなく、過去の自分。
過去の自分は、現在の自分を見てどう思うのだろうか。
*
チュンチュンとスズメが鳴く朝。
大きく開けられた窓から、紫紺の夜空とそれを白く染め上げた朝焼けが見える。
俺はゆっくりと起き上がり、窓辺に歩み寄った。
「(久々に見たな…夢)」
顔に手を当て、小さくため息を吐く。久々の早起きに、俺は空を見上げた。
赤茶の髪の毛を揺らし、優しく撫でる風が心地良い。
また寝る気にはなれなくて。
ふと、お店の裏にある小川を思い浮かべる。そこを散歩しようと、俺は静かに部屋を出た。
サラサラと流れる小川のせせらぎを聞いていると、誰かが歩み寄る足音が響く。朝早くから奉公に出る商人だろうかと思い、俺は静かに音が聞こえた方へ目を向けた。
「どうしたの暁。随分と早起きね」
「日輪…」
たった今上げたばかりであろう暖簾を手で払いのけた日輪--俺の幼馴染が声をかける。
口元に手を当てて小さく微笑む日輪を見て、俺は少しだけ顔が赤くなった。
「…朝焼け、とても綺麗ね」
そう言いながら俺の隣に立ち、空を見上げる日輪。切りそろえられた前髪と横髪が靡き、穏やかな顔を晒す。
その横顔をちらりと盗み見た俺は、懐かしくなり-小さく口を開いた。
「…今朝、夢を見たんだ」
「夢?」
日輪は首を傾げる。
「うん。だけど思い出せなくて」
本当は、心の奥底にしまっておきたいだけかもしれない。人には、言いたく無いことの一つや二つはある。
言おうか、言うまいか。少しだけ視線を泳がせる俺を見た日輪は、また小さく微笑んで少し顔を出した朝日へ視線を戻した。
朝を迎えようとしているのに、紫紺の夜空はなかなか沈まない。何かを迷っている俺と同じように、空も曖昧だ。でもその境目は、はっきり見て取れる。朝と夜の境目を。
「この空…暁にそっくりね」
日輪は俺の傷跡-右目にある傷を見ながら、静かにそう言った。どんな意図でその台詞を言ったのかは分からないけど。慈しむように見るその目が、「思い出せる時が来たらで良い」と言っている気がした。
「朝日が昇るわ…。少し早いけれど、お店の準備をしましょう」
ゆるく束ねた後ろ髪を翻しながら、お店の中に入っていく日輪の姿をじっと見る俺。ふわりと揺れる髪の毛に、感慨深いものを感じる。
「暁?」
「いま行くよ」
こちらへ振り向いた日輪に、笑顔を見せる。俺は最後に、昇りそうな太陽を見て、小さい日輪の背中を追いかけた。
-いつもの日常を噛み締めながら。