なやみごと6「紅葉色の笑顔」
ねえ、テンゴクってどういうところなの?もうすぐ5歳になる娘からの唐突な質問に、戸惑う。なんと答えようか。つぶらな瞳でこちらを伺う娘の目には、私を責める気色はない。気まずい時間。娘にとってはそうではない。
「ママ?テンゴクってどういうところ?」
もう一度聞かれた。もはや正直に答えるしかないのだろうか。
父が逝ってから半年。癌だった。病死であるからして、おおかたいつ逝くのかについては予想が経っていた。しかし、自分がどれほどの悲しみに包まれるかはどうにも想像がつかなかった。どれだけの夜を泣いて過ごすのだろう。そんな事を考えて眠りにつくのが遅くなることもなんべんかあった。だからといって、いくつもの夜を泣いて過ごすことは予想より遥かに少なかった。葬儀の最中、母の涙に映る数々の思い出が私の瞳も潤したが、何日も引きずるということは決してなかった。だからこそ、このタイミングでの娘からの質問に戸惑いを覚えた。
「天国っていうのは、死んじゃった人が行く所だよ。」
「じゃあ、おじいちゃんもテンゴクにいる?」
「そうだよ。天国からなあのこと見守ってくれてるんだよ。」
こんな感じだろうか、何処の家庭もこんなふうに『死』という概念を学ばせるのだろうか。
「じゃあ、なあテンゴクにあそびにいきたい!」
「天国には、遊びに行けないの。」
「えー、なんで?」
「天国は、死んじゃった人しか行けないんだよ。」
娘に対して、不満の念を感じ取る。そうだよね。
「悲しいんだけれどね。」
すかさず付け足した。
「ママもかなしい?」
私は返答に困った。悲しいとは思う。でも、人に悲しいと胸を張って言えるほど悲しそうな素振りを見せれているのだろうかと不安になった。
父は、いわゆる売れないミュージシャンだった。いろいろな曲を作ったのを小さい頃から見ていた。はじめはすごい人なのだと思っていたけれども、成長し思春期になると、父の出したCDがたった一枚だったことを知り父と私は不仲になった。思春期ゆえの、恥ずかしさや裏切られたような気分がそうさせたのだろうと今になって思う。
私が高校3年生の冬、受験間近だというのに父のライブに誘われた。他ならぬ父直筆の招待状だった。もちろん初めは行くつもりなんてなかったけれど、母の
「これから受験を頑張るお前になにか感じてほしいんだよ、お父さんは。」
と説得され、渋々ながらも関係者席に座った。
私の地元から2つ離れた町の、とてもちいさなハコだった。関係者席と言っても、そんな小さなハコだから後ろの方の段差で少し高くなったところにパイプ椅子がおいてあるだけの簡素なものだった。舞台袖から出てきた父は、たった一人だった。私が生まれた時点で26歳だったので、父はもうその年で44歳だ。加齢臭を纏ったジジイが一人、舞台中央で椅子に座った。黒いアコースティックのギターを担いだ出で立ちは、なり損ないの長渕剛だと思った。
「今日は、よく聞いていってくれ。」
MCはその一言だけで、その後すぐさま曲に入った。ギターを巧みに操る父は、少しかっこいいと思った。何曲聞いただろう。父がついに口を開いた。
「次で最後になります。よく聞いていけ。」
どうしてだろう。汗まみれの父は私の方を見て、私にだけそう伝えたように思えたのだ。
ジャカジャカかき鳴らされるギター。メキシコっぽいな。そんな感想を持たされた伴奏。父は明るい口調でこう歌いだした。
「別れは悲しい。紅葉色。」
今年で44歳になる主婦、秋紅葉は、娘に向かって最後にこう、付け足した。
「なあ、別れは紅葉色なんだよ。」
「なにそれー。紅葉はママのお名前でしょ!」
もうすぐ5歳になる娘の楢は、うふふと満足そうに笑った。