プレスベル皇国に漂う暗雲
氷の帝国では疫病もようやく終息を迎え、しかもそれが春の訪れを伴っていましたから、国中に喜びがあふれていました。
あまりにも多くの死者をだしてしまったために、その鎮魂のための慰霊碑を建立し、その場所を国民の憩いの場所とする予定だといいます。
それはきっと、とても大事なことです。
哀しみから立ち上がるためには、死者が忘れ去られる訳ではないと知っていることが力になります。
悲しみにおぼれることなく悲しみに浸れる場所があれば、人は強く生きていけるでしょう。
慰霊碑ができたら、きっとノリスとともに鎮魂に訪れます。
そう約束をして、私はノリスの倉庫の中にある小さなお家で国に辿りつくのを待っていました。
目の前に光が満ちて、私はてっきり王城に着いたのだと思っていましたが。
「ノリス、ここは……。」
そうです。
ここはセーラと一緒に屋台をひやかした、懐かしいプレスベル皇国の広場でした。
ノリスは悪戯を成功させたみたいに、にやりと笑いました。
「大丈夫だよ、さあや。もう二度と失敗はしない。安心して好きなだけ遊ぶがいいさ。よければセーラへの土産を探さないか? 一緒にさ。」
私は驚きと嬉しさで声も出ませんでした。
だって、だって。
もう二度と外の世界を歩くことなんてできないと諦めていたのですから。
「ノリス!」
私は思わずノリスに抱き着いてしまいました。
「でも、いいの?早く帰らないと叱られるんじゃ。」
そういうとノリスはとーっても自慢そうな顔をしました。
「アイオロス王にはサイラスと一緒に帰国するって言ってある。サイラスの足じゃ1ヵ月はかかるぜ。王国に着く直前に合流すりゃバレないさ。サイラスにはちゃんと口裏を合わせて貰ってるからさ。」
ほぉ~、きっとお願いといいながら強制したんだろうなぁ。
サイラスにはノリスの婚約者を誘拐した弱みがありますものねぇ。
私がうろんな顔をしているのに気がついたノリスは、さぁ買い物をしようぜ! と元気よく歩きだした。
でも嬉しいなぁ。
ひさしぶりにセーラと会える。
この世界でセーラは私の大事な親友ですからね。
セーラとお揃いのアクレットはあるけれど、今度もお揃いにしようかなぁ。
「ねぇねぇ、ノリス。セーラとお揃いなら何がいいと思う?」
はしゃぎながらそんな質問をしていると、ノリスの身体が緊張しているのがわかりました。
どうしたのかしら?
そう思って前方をみるとなにやら人だかりがしています。
それに悲鳴みたいな声も……。
ノリスが私を見たので、倉庫に放り込まれてなるものか! とばかりに素早くノリスにしがみつきました。
ノリスはクスリと笑うと片腕だけで私を肩に乗せて歩き出しました。
抱っこされたおかげで遠くがよくみえますねぇ。
もめごとの中心にいるのは小汚い恰好をした男の子と、それをかばう女性。
それに裕福らしい男性と、お伴らしい若者です。
怒鳴っているのは若者で、泣いているのは男の子。
どうやら男の子は盗みを働いたと責められているらしいのですが、本物のすりならあの女性が謝っているのは少しおかしいですよねぇ。
基本スリってのは、スリ手と受け手の2人一組で行いますし、発覚したら残りはさっさと消えるものです。
「おう、いったいどうしたと言うんだ。人が集まってきてるじゃねぇか。往来を騒がすんじゃねぇぞ。」
ノリスが割ってはいると反射的に怒鳴りつけようとした男が、たちまち大人しくなりました。
ノリスの態度を見て、身分が高いと思ったのでしょうね。
裕福そうな男性がすぐさまお詫びを入れました。
「いや、お騒がせして申し訳ありません。どうやら財布を失くしましてな。落としたのかと難渋していましたところ、そこの男の子が持っていましたもので。」
「違います! 拾っただけです。弟は盗みなんてしません!」
悲鳴のような声で女性が叫びました。
なるほど姉弟だったのですね。
「わかってるよ。盗んだ財布をそのまま持ち歩く間抜けな泥棒なんていないさ。そこの男! もうすこし考えてからものを言え。 脅し付ける声が響いてうるさくてしかたねえ。」
男はムッとしたようですが主らしい男性が押さえました。
「申訳ございません。おっしゃる通りなのですが、このものは私を守ろうとすこしばかり逸ってしまったようでございます。そこの姫さまにも恐ろしい思いをさせて申し訳ございません。」
男が私を意味ありげに見つめました。
どうやら私の正体に気づいているようです。
ノリスはそれに気づくと面倒だとばかりに、その場をおさめてしまいました。
男たちは財布を受け取って帰りましたし、姉弟は、災難だったな!とノリスにねぎらわれて少しばかりのお小遣いを渡されました。
姉弟が拒絶しようにもノリスがあまりにも自然に手渡したので、彼女らが気が付いた時にはノリスは既に遠く離れていたのです。
こういうところはまるっきりお父さまとそっくりなんですよね。
お父さまも、相手にまったく負担をかけないでさりげなく助けてしまうのです。
「ねぇ、ノリス。今の人どっかで……」
「あぁ、ナナも気が付いたかい? あれは確かゴルトレスの女帝の後ろに控えていた奴だ。まいったなぁ。これはレイに知らせるしかないだろうなぁ。」
ノリスはとても嫌な顔をしています。
ノリスが頭が上がらない男がこの世界に3人います。
砂漠の長・お父さま・レイです。
しかも今回もお忍びデートの最中なんですからね。
確かお父さまには二度はないって脅されましたよねぇ。
しかしノリスが信頼されているのは、そういう時に絶対に間違った選択をしないところです。
ノリスはすぐにデートを中止すると、私をセーラのところに預けました。
そのまま消えてしまったのはきっとレイの指示で、ダンの手下と繋ぎを取っているのでしょう。
私はまたしてもお留守番って訳です。
「レティたら、久しぶりに会えたっていうのに、なにをぼんやりしているのよ!」
セーラ皇女が口をとがらせて文句を言っています。
「ごめんねぇ。セーラ。疾病の援助の時に大活躍だったんですって? どうもありがとう。」
「レティがお礼をいうなんておかしいわ。大体レティってば誘拐されすぎよ。それなのにいつの間にかその相手を助けてるんですもの。」
セーラにはいろいろ不満がたまっているようです。
こーゆー時は、パジャマパーティですよね。
セーラも私のために、夜着を用意して待っていたようです。
今回のは……。
基本的に全部ピンクのモフモフ、フワフワした柔らかい素材で出来ています。
チューブトップとおへそが見えるパンツ。
首回りと手首・足首にももふっとした飾りを付けて 頭にもお尻にもモフモフが……。
「セーラさん。どんどん布面積が少なくなっていくのは何故ですか?」
私が平たんな声で聞くと、侍女さん方が一斉に目をそらしました。
やっぱり侍女さん方の趣味が込められているようですね。
けれどもいつものクッションにとびこんでサクラやセーラと遊んでいると、そんなことはどーでもよくなりました。
そこでセーラは、ノリスが霊獣を殺そうとしたことや、サクラが他の人を転移させないようにノリスから賄賂を受け取っていたこと、そしてレイがサクラを脅してノリスのもとに駆けつけて氷の国の王様を助けたことを知りました。
お話だけ聞けば、ワクワクしてしまう事件ですが、サクラがノバでいつでも利用されてしまうのは困ったことですねぇ。
とはいえ、サクラって霊獣さまは、もうそんな霊獣なのだと諦めるしかありません。
それよりも聞いておかないといけないことがあります。
「ねぇ、さっきゴルトレス帝国の重臣だと思われる人にあったんだけれど、セーラは何か知らない?」
セーラは困った顔をしています。
どうやら最近ゴルトレス帝国の人らしい人間が、セーラのお兄様。
つまり皇太子殿下のところに入り浸っているらしいのです。
最初は医療関係者が世界中からプレスベル皇国に集まった時に、ゴルトレス帝国からも医療関係者だけでなく、ボランティアとして大勢あつまったのが始りだったようです。
そういった人々がいつの間にか皇太子殿下を取り込んでしまったってことなんでしょう。
じつは皇太子殿下といってもすでに40代になっていて、いつまでも皇太子の役どころでは不満もあるようでした。
そして皇太子妃には従妹にあたる公爵令嬢が立后しているのですが、世継ぎが生まれないのです。
ゴルトレス帝国第一王女アナスターシャ殿下は、天球でも名だたる美女として有名なお方なんですよ。
皇太子殿下は従妹である妃を廃して、新たにアナスターシャ殿下を正妃に迎えたいと希望しているというのでした。
それじゃぁ、もしかして皇太子殿下が皇帝になれば、セーラとセンの結婚だって怪しくなるんじゃないでしょうか?
セーラもお父さまとお兄さまの狭間で苦しい立場に立たされそうです。
「セーラ、大丈夫?」
私が尋ねると、とセーラはしっかりと頷きました。
「大丈夫よ。私は何があってもセンに嫁ぐと決めているんですもの。」
でもそのセンだってほとんどウィンディア王国の事件、というよりは私の誘拐事件に巻き込まれてセーラの側にはいられませんでしたし、今は次期公爵の勉強の為という名目で王都から遠く離れた場所にいるのです。
そこに皇太子殿下からの使いの者がやってきました。
ウィンディア王国の王女が来ているなら、是非ご挨拶をしたいと言うのです。
今まで公式の場で挨拶をしたことはありますが、私的に皇太子殿下に招かれたことはありません。
嫌な予感しかしません。
ナナとセーラは顔を見合わせました。
「レティシア王女はお疲れです。今夜の晩餐会でご挨拶をされますので、今は私の部屋で休んで頂きます。」
急遽ガウンを纏っただけのセーラ皇女でしたが、さすがに皇女の威厳というのでしょうか?
使者は何も言わずに引き下がりました。
「レティ、ひとまずは窮地を脱したけれど、あなたは早くウィンディア王国に帰った方がいいわ。ピンクの霊獣さまに転移してもらう?」
どうしましょう?
ノリスがセーラの元にナナを預けたのはここが安全だと思ったからです。
「わかったわ。今夜の晩餐会出席を約束してしまったから、それに出席したら帰ります。それまでにノリスが戻るかもしれないしね。」
「ごめんなさいレティ、私が勝手に約束してしまって。」
「いいのよ。セーラがそう言ってくれなければ、今頃どうなっていたかわからないんですもの。それに正式な晩餐会で何か起こるとは思えないわ。」
そう言いながらも私は、どうしようもない不安が頭をもたげてくるのを感じていました。




