氷の帝国
猛威を振るっている病気というのがどのようなものであるにしろ、一度罹患してしまったら致死率は30%に及ぶといいます。
高い熱が一週間くらい続くのですが、この間に体力が弱い子供やお年寄りが亡くなってしまうのです。
サイラス医師が国民の半数が死亡すると予想したのは、流行病が蔓延すると仕事が滞って食料不足に陥ったり、死者の増大で不衛生になって、さらに違う病気が流行るからなんです。
これが氷の帝国のような気温の低い地方で良かったともいえますが、病人には暖かくて湿度のある状態が必要なので、燃料不足も懸念されています。
病気は私が癒すとしても、食料・燃料・人手・清潔な衣類など必要な物資はかなりの量になります。
お母さまさまが貴婦人たちを通して、女手や食料・衣類などを集めています。
プレスペル皇国ではセーラ皇女とセンが、マーシャル王国ではアンジェリカ王女が氷の帝国援助の指揮を執ってくれました。
物資の搬入も勿論大事ですが、受け入れ態勢が整っていないとせっかくの物資が役に立ちません。
マリウスとサイラスは自国での受け入れ態勢を作り上げるために帰国しています。
お父さまはさっそく国際連盟に氷の帝国への援助を提案しました。
思いがけないことにゴルトレス帝国が全面的に支援してくれたので、全会一致で賛同をえることができ、氷の帝国の危機を回避させる目途がたちました。
医療関係者は全員プレスベル皇国から、ピンクの霊獣によって転移させます。
救援物資に関しては運べるところまで持っていけば、最後の難所は氷の帝国のポーターたちが運んでくれることになりました。
私はノリスの次元倉庫に納まり、マリウスやサイラスの後を追って氷の帝国に来ています。
病人をこの寒さの中、王都まで運ぶことなんてできません。
だからノリスは私を次元倉庫に放りこんでは、帝国の隅々まで飛び回ることになります。
今では青い竜が空を飛ぶと、多くの人々が歓声を上げて迎えてくれるようになりました。
なんだかんだ言ってノリスは子供が好きなようで、元気になった子供たちは竜になったノリスの身体をよじ登って遊んでいます。
それにしてもやっぱりノリスは竜なんだなぁと、私はあのマリウスを情け容赦もなくせん滅した時のノリスを思い出してそう思います。
あの時レイが止めなければ、今のこの氷の帝国の姿はありません。
ノリスのアキレス腱は、私なのだと改めて思い知りました。
ささやかな自由な暮らしは、私には決して与えられないものです。
それを自覚しないと、今度は取り返しのつかない事態を引き起こすかもしれません。
私はカナリアという束縛と、竜の番という縛めにより2重に絡めとられています。
それを息苦しいと感じるが、定めとして前向きに受け取るかは、私自身の問題です。
もう二度と馬鹿なことは考えない。
私はそう決意しましたが、そのことでとても悲しくなりました。
私はまだまだ地球にいたころの菜奈を引きずっているのでしょうか。
私たちの宿舎として割り当てられた簡素な聖堂の一室で、降り積もる雪をみているとノリスがやってきました。
「どうしたの、さあや」
「雪を見ていたのよ。まさかこの世界で雪をみることになるとは思わなかったわ」
ノリスは黙って私を抱き上げると、温かな暖炉の前に座らせて、そのうえからすっぽりと毛布で包みこみました。
私は手渡された甘くて暖かなココアを飲みながら、ノリスをちょっと睨みます。
「ノリスは少し過保護よ」
「窓辺に立っていたから、すっかり冷え切っていただろう? さあやは弱い。そんなささいなことでも風邪をひいてしまうんだ。過保護ぐらいでちょうどいいんだよ」
そう言いながら宥めるように私の頭をなでました。
私はそれにこたえるかのようにノリスの肩に頭をもたせかけると、そのまま2人でじっと暖炉ではぜる焔を見つめていました。
「ここに犬と猫がいたら完璧なんだけどなぁ」
ぽつりと私がそんなことを言ったので、ノリスは苦笑しました。
「なんだ。それは?」
「う~ん。なんか暖炉の前には犬とか猫とかが、人間と一緒にくつろいでいるってイメージなんだよねぇ」
ノリスはなんにもいいませんが、もしかしたら私がそんなことを言ったこともわすれたころに、子犬や子猫をプレゼントする気なのかもしれません。
それにしても病気の蔓延はなかなかおさまりません。
それはこの病気が潜伏期間が長いせいです。
私が癒してこの町は大丈夫だと思っていると、しばらくたってからまた患者が発生してしまうのです。
感染を警戒して患者は聖堂に隔離していますし、感染者がでた家族は10日間は自宅待機をお願いしていますが、これが守られません。
健康な大人が自宅で無為に過ごせるような余裕はまだないのです。
けれどもそのせいで保菌者が自由に街を歩き回って、さらに感染者を増やしてしまうのです。
まさに堂々巡りですが、サイラス医師による衛生管理の徹底指導も徐々に人々の間に根付いてきました。
私が素早く治療するので、この病気で死亡する人もいなくなってきましたから、あと少しの辛抱でしょう。
一方ノリスの方は、ナナのひ弱さを考えると一刻もはやくこの国を出たくてたまりまらない様子を見せています。
なにしろ外の気温がマイナス10度ぐらいだと、暖かくていい日よりだなんていうのですからね。
灼熱の砂漠の民であるノリスには、雪と氷のこの国はどうも肌があわないのでしょう。
それに国王があの虹色の蛇の霊獣であることが嫌なのかもしれないんです。
ノリスも頭ではちゃんと理解している筈なのです。
王としての立場を考えれば無茶すぎる行動も、こうして氷の大国にやって来てみれば納得もできるのです。
それでも私を腕に抱いていたマリウスの姿を、思いだしてしまってイライラするみたいなのです。
さすがの病も収束の時を迎え、私とノリスが病人発生に備えて氷の帝国の城で待機をしていた時のことです。
ノリスがマリウス王に私室に呼ばれてしまったのです。
私は不安でたまらなくなって、サイラスにノリスの様子を見ておきたいとお願いしました。
サイラスは兵を忍ばせておく場所に私を連れていってくれました。
さすがに霊獣相手に兵をおいておいても意味がないので、その場所が無人だったのです。
ここならノリスの様子もよく見えますし、いざという時には飛び出すこともできます。
私はじっとノリスを見守りました。
「何のようだ!」
一国の王を目の前にしながら、ノリスは少しの遠慮もなく、のっけから戦闘的な態度を崩そうとはしません。
「少しは話をしようと思ってね。まぁ座りたまえ」
マリウスに促されてノリスは渋々座りました。
「ねぇ、ノリス。君はレティシア王女を愛していると言ったね」
ノリスは何を言い出すのかと、あさっての方向をむきながら知らん顔をしています。
「レティシア王女はとてもひ弱なんだね。わずかのことで命を落としかねない」
「あぁ、そうさ。だからこんなに寒くて酸素の薄い国からとっとと帰りたいのさ」
ノリスはここぞとばかりにマリウスに噛みつきました。
マリウスはそんなことは気にもかけない風に話を続けます。
「ひ弱さはカナリアの枷だが、ノリス。君はこのうえさらにレティシア王女に枷をかける気なの?」
「何だと! もう一遍言ってみろ!」
ノリスは立ち上がるとマリウスを恫喝しました。
「それだよノリス。君のその執着がレティシア王女をさらに追い詰めてしまうよ。私を殺そうとした君を見たレティシア王女はどう感じたと思うのかな。優しい人だよね。カナリアにふさわしい魂を持っている」
ノリスは何か言い返そうとしましたが、黙って椅子に座り直しました。
なんとなくマリウスの言いたいことがわかったようです
たしかに私はきっと優しいのだと思います。
自分を殺そうとした男を救って、なにひとつ後悔しようとしないぐらいですからね。
ノリスはそんな私が目の前で人を殺そうとするノリスを見れば、どう思うかに考えがいたったようです。
私はその件で自分を責めましたし、自由を諦めました。
私にはカナリアの檻のほかに竜の呪縛までかかってしまったのです。
これで私は、がんじがらめの囚われ人になってしまいました。
ノリスが竜の習性に引きずられるかぎり、私は自分を律するしかないからです。
そんな私の状況をこの一瞬で理解してしまったんでしょうね。
「すまなかった。マリウス王。私が子供じみていた」
ノリスは潔くマリウス王に謝罪しました。
「悪いのはこっちだからね。けれどもさすがにあのアイオロス王が選んだ男だけあるね。私は少し君に嫉妬しているんだよ。あのアイオロス王が選んだのが私ではなく、君であることにね」
ノリスは目を見開いてマリウスを見つめました。
「私はすでに六百年の間、この氷の国の民を守護してきたんだ。君も見ただろう。とても厳しい自然と共存している国だ。死が身近にあるような国なんだよ」
「だけれどもね。そんな国だからこそ、私でなければこの国の民は守れないと、少しばかりうぬぼれてもいたんだ」
「そのうぬぼれが成長を奪ってしまった。自分の国を閉ざして、他国との交流を持とうとさえしなかったのだよ。この疫病が蔓延するまでね」
「それなのに自分では民を守ることも出来ず他国の支援が貰えないと逆恨みして、なんの罪もない姫を誘拐してしまった。卑劣な奴なんだよ私は」
ノリスは思わず反発していました。
「ちょっと待てよ! お前は王だ。その王が命をかけて民を守るために聖女を攫おうとしたんだ。卑劣ってことではないだろうよ!」
マリウスはノリスが自分をかばったことにびっくりしたようですが、やがて苦笑いをすると、話を進めました。
「じゃぁノリス。もしもアイオロス王だったらこの場合、どう行動していたと思う?」
私は、あっと驚きました。
確かにお父さまなら、ひ弱な姫を誘拐するなんてことはしないでしょう。
王宮に真向から乗り込んで、王の胸倉をつかんで叫ぶことでしょう。
「さっさと力を貸しやがれ!」
まさかそんなことができないとでも?
もしそうならお父さまは、その国をじわじわ締め上げて自ら手助けするように追い込むかもしれません。
けれどもどこまでいってもお父さまは王と直接対峙する筈です。
その庇護下にあるひ弱な姫に手をだすことだけはしないでしょう。
なにしろお父さまは私を手中に収める時ですら、その庇護者であるレイと交渉したぐらいです。
お父さまにとって私を手にいれることなど、いともたやすいにも関わらず、レイがくるまで辛抱強く待っていたんですよね。
ノリスならどうしたでしょうか?
やっぱりそんなか弱い姫を攫うことはできないでしょう。
それぐらいなら姫の庇護者である王を締めあげます。
ノリスもそのことに気づいた筈です。
ノリスの思考を読み取っていたらしく、マリウスは最後にノリスにいいました。
「ねっ。わかったでしょう。それがアイオロス王があなたを選んだ理由です。いい加減に大人になりなさい。私だってわざわざ恥をさらして敵に塩を送りたいわけではありませんからね。それにあなただけではなく私だって成長ぐらいできるんですからね」
「なるほどな!正々堂々と宣戦布告って訳かぁ。受けてやるよ。おめえの負けは決まっているけどな」
そう言われてマリウスはいかにも嬉しそうに笑いました。
なんだかんだ言って男の友情って奴は羨ましいなぁと私は思いました。
ここでそんな光景を見たことはノリスには内緒ですけどね。




