竜の怒り
シャーロットはマリウスに抱っこされていたのですが、なんとなくとても嫌な予感がして仕方がありませんでした。
それは自分がとんでもない間違いをしでかしてしまったとでもいうような警告じみた予感でした。
ですからつい周りを見渡してしまったのですが、その時先ほどまで誰もいなかった筈の空間が揺らいだかと思うと、突然ひとりの青年がその姿を現しました。
その青年は恐ろしいまでの怒りのオーラを瞬かせながらシャーロットに向かってこう言いました。
「さあや、何を勘違いしてやがる。相手がちがうだろうが」
シャーロットはマリウスに抱かれたまま、小首をかしげてまじまじとその闖入者を見つめていました。
誰だかはわかりませんが、どうやら自分の警告メッセージはこの青年のことを指しているようです。
「フン、お仕置き決定だな。さあや。その前にその男を始末しないとな」
ノリスの目は剣呑に光っていますから、まちがいなく目の前の霊獣を抹殺してしまうつもりでしょう。
「青の竜か? 相手が悪いな。すまないが逃げさせてもらうよ。私は今ここで殺される訳にはいかない理由があるのでねぇ」
マリウスはそう言うなりシャーロットを手放すと、たちまち1匹の巨大な虹色をした蛇にその姿を変えて凄まじい勢いで空へと逃げていきます。
「逃がすかよ!」
その瞬間、空では凄まじい量の水流が龍の形となって、巨大な蛇に襲い掛かりました。
水龍に襲われた虹色の蛇は身体中に無数の傷を受けて、息も絶え絶えにノリスの前に落ちてきます。
虹色の蛇の幻術の効力が切れたようで、いったい何が起こったのかまるでわからないようにぽかんと立ち尽くしていたシャーロットは、みるみるうちにナナの姿を取り戻しました。
「ノリス! ノリス。来てくれたのね。ごめんなさい。ごめんなさい」
私はその瞬間に、今まであったことの全てを思い出しました。
ノリスはシャーロットの擬態に誤魔化されることなく私を助けに来てくれたのです!
私は涙をぼろぼろとこぼしながら、ノリスに抱きつきました。
ノリスはしっかりと片腕だけをつかって私を抱き上げましたが、その目は虹色の霊獣を睨みつけたままです。
「ちょっとだけ目をつぶっていなよ。さあや。先ずはこいつを始末してしまうからよ」
ノリスが瀕死の霊獣にとどめを刺そうとした瞬間。
「やめなさい! ノリス」
ギリギリのところでレイがこの修羅場に間に合いました。
どうやらサクラがみんなを転移させてくれたようです。
「レイ! セン! サクラ! ダン! みんな来てくれたのね」
私は歓声をあげながら急いでノリスの腕から飛び降りると、レイたちのところに駆け寄ります。
「残念ながらレイ。竜ってのは自分の番にちょっかいをかけた男は生かしてはおかないのさ。悪いな」
ノリスがそう言ってその霊力を虹色の蛇に向けようとした瞬間、ノリスはすさまじい電撃を受けて意識を失いました。
「これだけ水浸しだとさすがに電気の流れもいいですね。ナナ、風邪をひいてはいけません。メリーベルに着替えさせてもらいなさい」
メリーベルは私もよく知っている看護婦さんに化けていたようです。
レイに云われるなり、いそいそとナナの世話を焼こうと近づいてきました。
「メリーベル、こんなに近くに居てくれたと言うのに、どうして気が付かなかったのかしら?」
「姫さまは記憶を操られていたのですから仕方ありませんわ。きょう霊獣が現れて霊力を使ったので確信をもって皆さまをお呼びすることができました。あの霊獣は今日にも姫さまを氷の帝国につれさったでしょうから、ギリギリのタイミングで間に合いましたわね」
「じゃぁ、もうずっと見張っててくれたのね。ありがとうメリーベル。ちょっと待っててね」
そういうと私はようやく解放された霊力を使って虹色蛇姿のマリウスと、意識をうしなっているノリスに治療を施しました。
そうして2人の無事を確認してからメリーベルに促されるままに着替えに向かいました。
「くっそう。レイ! どうゆうつもりだ。力を向ける相手が違うだろうがよ!」
「それにピンク! てぇめえ。裏切りやがったな!」
ノリスは怒りがおさまらないらしく、レイやピンクに突っかかっています。
その間にようやく意識を取り戻したらしい虹色の蛇が人化してマリウスの姿に戻ると、ゆっくりと身をおこしました。
「やれやれ、どうやら命びろいしたようですね」
そう言って悪びれもなく敵の真っ只中で言い放つことができるとは、さすがに霊獣の貫禄といったところでしょうか。
「少しお付き合い願いますよ。霊獣殿とサイラス殿」
レイはそう言うと着替えを済ませてやってきたナナたちとともに、全員でアイオロス王の執務室に転移させてくれるようにピンクにお願いしました。
ピンクは全員の転移を済ませると、さっさとプレスペル皇国に帰ってしまいました。
残っても面倒なことになると思ったのでしょう。
アイオロス王の執務室では、懐かしい面々がナナの帰国を待ってくれていました。
「お父さま、ただいまかえりました。ありがとうございます。ごめんなさいねアンジェ」
私は真っ先にアイオロス王の胸に飛びこむと、その後すぐにアンジェリカ王女に謝罪しました。
せっかくの新婚旅行を台無しにしたうえに、結婚披露パーティまでおじゃんにしたのですから。
私が無事に戻ったのを見て和やかに出迎えてくれた執務室のメンバーも、氷の帝国の霊獣とサイラス医師の姿を見るとたちまち緊張した空気を纏っていきます。
「まぁ、そんなに怖い顔をするんじゃねえ。今から楽しいお話合いの時間って訳さ。酒ってわけにもいかねぇか。茶でも用意しろ!」
王の言いつけに侍女たちは素早く準備に取り掛かりましたし、その場にいたメンバーもまた執務室にしつらえられている大きな円卓をかこんで座りました。
この円卓は私がかの有名なアーサー王と円卓の騎士の話をしたので、それを面白がった王がわざわざ作らせたものです。
侍女たちが銘々にお茶を配り終えるまで、円卓では重苦しい沈黙がその場を支配していました。
私としては判決を待つ被告みたいな気分でしたし、ノリスは未だ怒りを抑えきれていません。
捕虜たちから何か話す筈もなく、レイはだんまりを決め込んでいます。
そうなるとこの場で発言しようとする強者がいる筈もなく、必然的に重苦しい沈黙が続くことになります。
「さて、氷の帝国の剣王マリウス陛下と名医と名高いサイラス博士。ここまで強引なことをなさるからにはリスクは承知でしょうなぁ」
口を開いたのはアイオロス王でした。
お父さまは既に虹色の蛇とサイラス博士のことを調べ上げているのでしょう。
「アイオロス国王陛下。もとより命は捨てております。さきほど名医とおしゃってくださいましたが、私に医師の資格などございません。既に氷の帝国の半数は奇病に侵され、国民の10%が死亡致しました。致死率の高さから見て、このままでは国民の過半数が死亡するでしょう」
サイラス医師はお父さまを見据えてしっかりとした声で訴えました。
「それで国王自ら王女を誘拐したと言う訳ですか? なぜ正式なルートを通そうとはしなかったのですか?」
レイはそう尋ねたましたがその疑問は当然ですよね。
王女誘拐よりは、正式なチャンネルを使うほうが、ずっと成功率は高くなるはずですもの。
「すでになんども正式に面会依頼を出しているし、聖女降臨も願い出ている。それを握りつぶしておいてよくもしゃぁしゃぁと言えたものだな。私も王として国民の為にこの命を捨てる覚悟は持っている」
憤然としてマリウス王は答えました。
アイオロス王がモラルを見ると、モラルは苦しそうに言います。
「その嘆願書が最初に出されたのは、和平会議の当日でした。その後レティシア王女誘拐・国際連盟発足と膨大な仕事量のために、普段交流のない氷の帝国からの親書は書類の奥深く眠ってしまいました」
「今回に事件が発覚してから、ウィンディア王国に恨みを持つ者を調べるために書類をひっかきまわしたところ、確かに氷の帝国からの親書は8通も有りました。」
「最初に氷の帝国の親書は優先度が低いと判断されたために、以降は自動的に却下されてしまったようです。なかにはマリウス陛下からの正式な書状があったのですが……。申訳ございません。」
モラルは深々と頭をさげましたが、モラルの責任ではありません。
私が誘拐されて、モラルはレイの仕事まで引き継いだのです。
それでも部下の失態はモラルの責任になってしまうのでしょうか?
元はといえば、私の能天気さが悪いのに……。
私はそこまで考えるとその場に割り込もうとしましたが、レイに目で制されてしまいました。
「オレの婚約者との結婚を望んだようだが?」
ギロリとノリスがマリウスを睨みます。
「責任を取ろうとしたのです。ご存知のように通常女性が誘拐されると、誘拐した相手と結婚しない限り社交界から抹殺されてしまいます。私は姫ぎみにそんな汚名を着せるつもりはありません。その責任は取らせていただきます」
「考え違いするなよ。レティシア王女はオレの番だ。まぁ惚れたのなんのという執着でないことは判ったが、余計なお世話だ!。しっかり頭に叩き込んでおくんだな。何があろうとレティシア王女を守るのはオレしかいない」
ノリスのオレの女だ宣言を聞かされて、私は羞恥のあまりうつむいてしまいました。
誰か穴を掘るスコップを貸してくれませんかね。
みんなの生暖かい視線が集まってくるんですが……。
「よし。今回は痛み分けということでいいかなマリウス王。こちらにも落ち度があった。そちらも無茶をした。そういうこった!」
「なんと!アイオロス王陛下! 姫君を連れ去ろうとした我らを許すおつもりですか!」
サイラスが驚いて尋ねると、こともなげにアイオロス王は返答しました。
「フン、タダで許すつもりなんかねぇよ!サイラス。 病気が収束したら10年間このウィンディア王国で教師をやってくれないか? 優秀な医者を育てたいんだ。かまわねぇよなマリウス」
「まさか! 王女を我が国に寄越して下さるのですか? ありがとうございます。サイラスの力で良ければぞんぶんにお使い下さい」
マリウス王は目を白黒させて答えています。
そのまま氷の帝国救済会議へと変貌していく様子に、必死でついていこうとしているマリウスとサイラスはいつのまにか、お父さまの精鋭部隊の一員にされてしまったようです。




