ナナ救出される
私は体中がまるで熱を持っているようにあつくて苦しくて、あまりの苦しさにかえって意識を失うこともできないでいました。
そこに「手のかかる娘だ」という面白がるようなノリスの声がとどきましたが、私を抱き上げると
「おい、お前、何してんだ、しっかりしろ!」
まるでびっくりしたかのように叫んでいます。
「爺、この娘。すごい熱が。呼吸も浅くなっている。いったいどうしたことだ!」
「この熱砂でございますから弱い生き物なら死んでしまってもおかしくないでしょうな」
「何故だ!なぜたった30分歩くぐらいで死にかけるんだ!いったいどういう身体をしているんだ」
ノリスはすっかり混乱しているようです。
「若、聞いたところカナリアというのは、かなり弱い生き物だそうですぞ。砂漠にはカナリアなんぞという生き物はおりませんから、若が驚くのも無理はないでしょうな。カナリアなんぞ、砂漠でいきられるはずのない生き物ですからの」
そんな声が聞こえたかと思うと、私の唇から首筋にかけて、ポタポタと水が落ちてきて、それがひんやりと気持ちよく感じてしまいます。
「若、いくら流し込んでもその娘はもはや自力で水を飲む力はございません。どれ、爺に貸しなされ。口移しでその娘に水を飲ませてしんぜましょう。」
口移しという言葉にノリスはびくりと反応すると爺を睨みつけた。そして自らの口に水を含むと、ナナの口の中に無理やり流し込む。
私の口がむりやりこじあけられたかと思うと、とろとろと水が入ってくる。
こくんと無意識に飲み込むと、その水は次から次へと口の中に侵入してくるのだった。
それが何度も続いたら、不思議なことにまるでおがくずの中に埋められて発熱しているような苦しさが、ほんの少しだけうすらいで私はうつらうつらとねむりはじめた。
それを見ていた爺は、「やれやれ、こんなところで番をみつけることになるとは!若も難儀な者を番とするものだのう。さてさて王にはなんと報告すればよいものか」と呟いていた。
「せっかく苦労して連れ出したというのに、死なれてたまるかよ。爺、進路変更だ。近くのオアシスで、しばらく休むぞ」
「なんと!あと少しで王のところまで到着するのですぞ。寄り道なぞ、王をお待たせするおつもりか?」
「これは決定だ、爺つべこべいうなら、別の方法もあるのだぞ!」
そうノリスが睨むと爺は渋々といったように同意するのだった。
ノリスは私を大事そうに包むと、またぞろラクダの上に抱え上げた。
熱にうなされてうつらうつらとしていた私は、何度も何度も自分の名前を呼ぶ声に、ぼんやりと意識を浮上させます。
その目に映ったのはノリスといった傲慢な男の青い瞳で、それがあまりにも心配そうなので、ちょっぴり微笑んでみるのでした。
何度もよびかけるくせに私が微笑むと驚いたような顔をするノリスに、私はなんだか楽しくなってきたのです。
それでもすぐに熱に飲み込まれまたうつらうつらとしてしまいます。
「レティ、レティ、レティシア。お願い。ここに来て!レティお願いよ。来て頂戴」
突然砂漠にレティシアを呼ぶ少女の声が響き渡ると、ナナの姿は瞬く間にノリスの腕の中から消えてしまいました。
プレスペル皇国のセーラの私室では、誰もが祈る気持ちでナナの帰還を待っていました。
そこにふっとナナの姿が現れたのですが、ナナは高熱で息をするのすら苦しそうで、意識もない状態でした。
「そんな、そんな、なんてことなのレティ!」
「すぐに、医者を!」
「ナナ、しっかりしろ、目を開けろ、ナナ」
「聞こえるかナナ、目をつぶるな。意識をしっかり持て!」
ナナが瀕死の状態で戻るとは誰も予測をしていませんでしたが、すぐさま最高の医療チームが結成されナナの治療に専念しています。
あまりにもうるさい程自分の名前を呼ぶのに、ようやくのおもいで目をあければ、懐かしいレイやセン、そしてセーラの顔がぼんやり浮かびあがりました。
あ~夢を見ているんだなぁ、そう思いながらまた意識を手放そうとすると、レイの厳しいこえが、眠るな、目をあけろと叫んでいます。
あ~ゆらゆらと揺れていて、その波間に躰を沈めてしまいたいのに、あんまりレイがうるさいので、ふわふわと意識が浮上していきます。
その瞬間口の中に固いものが差し込まれたかと思うと、水がドンドン流し込まれます。
ごくごくと本能のままに水を飲み下しながら、このまま水が入りこんだら、きっと溺れるに違いないなぁなんて思ったりしましたが、いくらか流し込むと硬い管は取り除かれ、ナナはまたふわふわと熱の中に落ち込んでいきました。
わたしが意識を取り戻したのは、それから1週間がたった時だったそうです。
私の誘拐事件は多くの人に心労を与えてしまったのでした。
私が目覚めた時に真っ先に目に入ったのはメリーベル姿でした。
「姫さま、お気が付かれたのですね。良かった。どこか苦しくはございませんか?」
「大丈夫よ。メリーベルはもう平気なの?凄いけがをしていたのよ」
「姫さまが治療して下さいましたから、平気ですよ。姫さまこそ、何日も何日もお熱が高かったのですよ」
メリーベルはナナがどのように助けられたのか、今どこにいるのか。あれから何日たったのか?などをナナに聞かれるままに答えていましたが、はっと気がついたかのようにナナに言いました。
「姫さまがお気がついたことを、皆に知らせてまいりますわ。姫さまはゆっくりお休みください」
「メリーベル、レイかセンはいる?」
「レイさまはお仕事で、ウィンディア王国に帰国されました。姫さまが誘拐された時にはレイさまもマーシャル王国に軟禁されていらしたので、あのアンクレットの秘密が誰にもわからなかったのでございますよ。忌々しいマーシャル王国でございます」
「まぁ、それでレイは大丈夫なの?アンクレットのことならセーラも知っていたのに」
「レイさまはお元気でいらっしゃいます。それに姫さまの誘拐は、セーラさまの心労を気遣ってプレスペル皇国では秘密になっていたんですよ。セーラさまもとても残念がっていらっしゃいましたわ」
「センさまをお呼びしてまいりますね」
とメリーベルがでていくなり、私は考え込んだ。
なるほどね。
レイはおおやけにはしていないが、アンクレットの秘密はもうひとり知っていた人物がいる。
プレスペル皇国皇帝その人だ。
プレスペル皇国としてはいつでも金のカナリアをその手にできる訳だから、あえておおやけにする必要はない。
今回セーラは純粋な好意であったとしても、ウィンディア王国はプレスペル皇国に大きな借りを作ったことになる。
これはレイも忙しくなるはずだ。
この失態をなんとか取り返さなきゃ。
メリーベルが寝室から出てすぐに、センが飛んできました。
「ナナ、気が付いたのか?ゴメン、オレがついていながらお前をこんなひどい目にあわせて!」
私はセンがとても辛そうな酷い顔をしていることに気がつきました。
「大丈夫よセン。私がこんな風になったのは、意地を張ったせいだから自業自得なのよ。ごめんなさいね。攫われたら大人しくするってセンと約束したのに、私の負けず嫌いが出ちゃったの」
その言葉をきくと、センは苦笑いして言いました。
「まぁ、おとなしくて素直なナナなんてナナじゃないからな。お転婆なのはわかってたさ。仕方ねえけど、マジで死ぬとこだったんだ。意地っ張りもたいがいにしとくんだぞ」
「うん、セン。少しだけお願いを聞いてくれる?」
「お前がそんな風に甘えるなんて珍しいな。まぁ病人に免じてきいてやるよ。なんでも言ってみろ」
「このまま、側にいて。少しお話をして欲しいの」
「甘えん坊になったのか?どんな話が聞きたいんだ?」
「私たちが初めて会ったあの日のことをはなして頂戴。あの日地球からいきなり天球に来てしまったあの日のことを……」
センは話しました。
一緒にいたのが剣道部の仲間だったこと。
あの日はインターハイ出場が決まってそのお祝いをしていたこと。
その一人は幼稚園からの親友だったこと。
自分だけが生き残ってしまった罪悪感。
せめて命の恩人であるナナを守ろうと決めたこと。
本当は警察官になりたかったこと。
お父さんやお母さんのこと。
いくらやっつけても死ぬことを恐れないオルタナ教徒の目が怖かったこと。
平気で人を殺してしまう自分が信じられないと思ったこと。
時々まいごになったみたいに不安になること。
すきなゲームの話。
彼女との約束をもう果たせないこと。
私がもう戻らないんじゃないかと絶望したこと。
センの話は、その気持ちのまま、おもいつくまま、ぽろぽろと零れ落ちていきました。
そしてセンの目からも涙がぼろぼろとこぼれ、やがてセンは号泣しました。
その姿は、自分のあるべき未来を根こそぎ奪われた少年の姿そのままでした。
たびたびメリーベルがやってきましたが、そのたびにナナは目顔でメリーベルをさがらせました。
今、センが自分の想いを根こそぎ吐き出さなければ、センは壊れてしまう。
私の誘拐を全て自分の責任のように思い込んだから、きっとそれが引き金になったんだと思う。
センはそこまで追い詰められていて、張り詰めた弦が切れるのは時間の問題だったのです。
センはきっとこの天球にきて、一度も泣かなかったはずなのです。
涙がセンの心の澱を洗い流したのを確認したので、今日は一晩センといっしょに時間を過ごしてくれるようにサクラに頼みました。
きっとセンは今夜はぐっすりと寝てしまうでしょうが、それでも今日だけはセンをひとりにはしたくなかったのです。
その時寝室にセーラが姿を現しました。
困ったことにセーラにも強い憂いが見えるのです。
私はこっそりとため息をつくと
「セーラ、今日は私はセーラのお話が聞きたいわ」
と、言いました。
セーラはなかなか本心を口にしようとはしませんでしたが、辛抱強く待っていると心配の種はセンでした。
「だって、センはずっと苦しそうで、私がどんなに慰めてもダメだったのよ。なのにレティの部屋から出て来たセンはすっきりした顔をしていたわ。それに泣いたみたいに赤い目をしてた。センは泣いたことなんてないのに……」
なるほどねぇ、そーゆーことね。
「ねぇセーラ、今晩は綺麗なお月さまが見えると思うわ。今のそのセーラの気持ちをそのままセンにぶつけてごらんなさい」
セーラは困ったような顔をしていましたが、私が真っすぐにセーラの目を見つめてしっかり頷いてみせると、決意を込めた目をして帰っていきました。
センは女の子の扱いには慣れているし、今のセンならうまくやるでしょう。
それよりも……。
「お待たせしましたダン、どうぞ部屋に入ってください」
これからが、私のお仕事の時間です。