■第1話 サクラ
■第1話 サクラ
バタンッ!!!
大きな音を立ててイスは後ろへ倒れ、目玉が落っこちそうに大きく見開き
呆然と立ち尽くすミナモト サクラの顔は、真っ赤になって火照っていた。
『どうかしましたか?・・・ミナモトさん』
涼しい顔で一瞬サクラに目をやり、瞬時に目を逸らした新・担任カタギリは
まるで何処吹く風といったふうに、新しくスタートを切ったこの2年C組へ
の連絡事項を淡々とした口調で伝えた。
『ちょっと。何やってんの?座りなさいよ・・・』
小声でそう言い、倒れたイスを戻し、サクラのブレザーの裾を引っ張るのは
隣席の友達リンコ。
引っ張られるままストンと腰を落とし、イスに座ったサクラは、
それでもまだ真っ直ぐ、目をすがめ睨み続けたまま、
わずかに聞き取れる程度の小声で呟いた。
『絶対、コロス・・・』
カタギリはくるりと振り返り背中を向けると、新学期のオリエンテーションの
詳細を流れるよな美しい文字で黒板に書き始めた。
しかし、生徒に見えていないその表情は、左手の甲を口許にあて俯き、
笑いを堪えて緩みまくっていた。
笑っている事など一切感じさせない骨ばった痩せたスーツの背中を、
刺すよな視線でいまだ睨み続けているサクラ。
なにが・・・
なにが、『新しい担任のカタギリです』 だ・・・
ハルキじゃん
あんた、ハルキじゃん・・・
隣家の、ハルキじゃないのよおおおおおお!!!!
何も聞かされていなかったサクラは一人、
怒り心頭で、握り拳を机の上で震わせていた。
『随分、荒れてんなぁ~?どした?』
机に突っ伏し苛立ちながら、右足で大きすぎる貧乏揺すりをしているサクラへ
前席のイスの背もたれを抱きかかえるように座るサカキが、首を傾げて眺める。
『お前・・・今日、怖えぇぞ?』
『・・・放っとけ。』
低く唸るように一言呟いたサクラだった。
放課後、憤慨したまま早足で家に帰る。
カバンを持ったまま、隣のカタギリ家へ勝手に上がり込んだサクラ。
一応、形だけ『おじゃまー』 と声を掛け、リビングへ駆け込む。
『ちょっと、サトママ!!』
ソファーにもたれかかりワイドショーを見ていたハルキの母サトコの横に
不機嫌そうにドシリと腰を下ろすと、掴んだクッションをサトコへぶつける。
『な、なに。・・・どうしたの?』
『聞いてないっ!!あたし、なんにも聞いてないよっ!!』
そう言って、今度はクッションを胸に抱きかかえてボフボフ殴っている。
『だからー、なにが・・・?』
『ハルキ、だよっ!!担任になってたんだってばー!!』
そう言う顔は、眉間にシワを寄せ、鼻の穴は広がって真ん丸。
言っている意味が分かったサトコが、軽く、ペシッとサクラの頭を叩いた。
『こないだ、その話したでしょうが。
アンタ、どうせテレビに夢中になってちゃんと聞いてなかったんでしょー』
暫し、斜め上方をみて記憶を辿るサクラ。
『えええええー。全っ然、記憶にないけどー・・・
1ミクロンも、記憶にないですけどー・・・??』
『まーた、はじまった。アンタの悪い癖。
ハルキ、ちゃんと言ってたよ?
東高に赴任決まって、2年の担任になる、って。』
憮然とした面持ち。
納得いかない顔を隠そうともしないサクラ。
クッションに顔をうずめ、『あーあーあー』と声を上げる。
布地に吸収されたその声は、更に不機嫌そうにくぐもって小さく響いた。
『今日、アンタんとこ筑前煮だって言ってたよ。』
ミナモト家とカタギリ家は隣同士に家を構えて、もう20年余り。
サクラの母ハナと、ハルキの母サトコが大の仲良しで、
サクラが生まれた時には既に家族ぐるみの付合いをしていた。
家も勝手に出入りするし、献立も把握し合っているし、
秘密なんて出来る状態ではなく、なんでも筒抜け。
サクラと姉ユリ、そしてハルキは兄妹のように育っていた。
『うわ。サイアク・・・』
筑前煮と聞いて、サクラが顔をしかめる。
すると、即座にサトコに、子犬のような助けを求める目を向ける。
その顔を横目でチラリ見て、サトコがわざと大きめの溜息を落とした。
キッチンには、今晩のおかずになるはずだったサンマが。
『・・・ハンバーグにするから。』
好物の名称が出たことに、『よっしゃ!』とサクラはガッツポーズをした。