竜との日々。
子爵家令嬢、リーシェ・アルフェルトは、この世界で数人しかいない『竜遣い』だった。
竜遣いとはその名の通り、竜を使役する者の総称である。
竜に好かれやすい体質である彼らは、赤子の頃からその片鱗を発揮する。
分かりやすいのは竜遣いが生まれた瞬間だ。
竜遣いの素質がある者が生まれた瞬間、近くの竜がその家まで飛んできて祝福する(そのまま『竜遣い』の赤子が攫われる危険もあるので注意)という逸話はあまりにも有名だ。
ただ、竜は周りに一切頓着しないので、その家の周辺に建っている民家は間違いなく潰れる。まったくもって傍迷惑な話である。
そして、素質がある者は初等部から高等部までの十二年間、専門の学園に入れられる。竜がいくら寄ってきても邪魔にならないように辺鄙な山奥に作られた、ある意味では隔離施設である。
ちなみに、竜遣いは血筋ではない。遺伝要素は何もないから、ぶっちゃけ生まれるまで予測不可能なのである。
その点、リーシェは幸運だったと言えよう。
領地が広大だったために民家は疎らにしか在らず、竜たちが押し掛けてきた時にも周りへの被害はほとんどなかったからだ。子爵家自家栽培の農作物が多少駄目になった程度だから、竜遣いが生む初めての天災にしては、ごく小規模で済んだといえる。
そんなこんなで、竜遣い本人たちにとってその体質は厄介極まりないものだった。
青春どころか、まともな人生を送れないこと折り紙付きなのである。
現に今も、普通の子供たちとは隔離されて教育を受けているのだから。
《リーシェ! 起きてー》
頭に直接響く声に起こされ、少女──リーシェ・アルフェルトはゆっくりとベッドから起き上がった。
「……おはよう、アカ」
寝ぼけなまこで挨拶を返した彼女の傍らには、火のように赤い毛皮の狼がちょこんと座っていた。
彼女を見上げる、綺麗なルビー色をした双瞳が瞬く。
《起きるの遅いーっ》
「…今日は学校、休みのはずなんだけど?」
時計の針は五時半を指している。学校にしても起きるのには早すぎる時間なのだが。
《うん、知ってるよ?》
「……じゃあ、何で起こしに来たの?」
《暇だから遊ぼー?》
「………」
自らの怒気に気がついていないのか、それとも気にしていないだけなのか──能天気にそう答えやがったアカに、軽い殺気が沸く。
とはいえ、相手は竜。
今は毛皮だから硬い鱗を纏っていないにしても、殴ろうとした瞬間にサッと避けられるのは目に見えている。
しかも、こいつ(アカ)はそれを遊びと捉えやがって、さらにヒートアップするから厄介なのだ。両隣の部屋にいる同級生に二度も怒られるのは避けたい。
「…………」
代わりに、深い溜め息を吐く。
まだ陽が出て間もないこの時刻に、一体何をして遊べと言うのか。騒々しいのは却下だが、だからといってコイツが大人しい遊びで満足する筈がない。
「クロは?」
《どこかに行った》
「…アオとミドリは?」
《‘緑の’はまだ寝てるし、‘青いの’は起きてるけど構ってくれないから嫌い!》
「あぁ、さいですか…」
私が相手をするしか無いようだ。
頭痛を訴え始めた頭を右手で支えつつ、ベッドから降りる。そして、リーシェは此方をじっと見つめている狼に一言、
「着替えるからあっち向いてて」
《はーい!》
赤い狼は良いお返事を返してくるりと反転、そのまま床に寝そべる。
パサリ、と着ていた寝間着を床に脱ぎ捨て、私服を見に纏う。
今日は折角の休日なのに、とんだ災難である。
「──いいよ、アカ」
《何? 何する?》
許可を出した直後。
散歩に行く前の子犬のごとく、目の前の狼が騒ぎ立てる。
それを手の動き(サイン)で静めたリーシェは、念のために寒さ対策にと上着も羽織ってから、竜へと言葉を発した。
「音を立てずに飛べるね? 丘なら騒いでもそこまで煩くないだろうから、今からそこへ行こうか」
〇◆◆〇
《なにするー?》
「……何がしたいの?」
《ダッシュ!》
「……はぁ」
それならば自分一人でも出来るだろうに。
「それなら勝手に走り回ってくれば良いよ、私は寝てる」
《リーシェもやるんだよー?》
「…えー」
嫌そうな声を出したリーシェはそれと共に顔をしかめるが、アカのきらきらとした期待の瞳がいつまでも反らされることなく自分に向いているという──いわば無言の攻防戦の末、折れた。
「…分かったよ」
とは言ったものの、まったくもって勝てる気がしないんだけど、と内心でつぶやく。
「(……まぁいいか)じゃあ、よーい…」
《ドンっ!!》
言うが早いか、狼は遥か彼方に走っていってしまった。
リーシェは一瞬唖然としたものの、引き受けたからには形だけでもするべきだろうと思い、後を追いかける。
「──はぁっ…」
《遅かったねー?》
「こ、この、馬鹿竜め……っ!」
恨みがましい視線を向けられた当の本人はきょとんと首を傾げた。これで嫌みのつもりじゃないのだから、手に負えない。
もっとも、言葉が通じるとはいえ、基本的に彼ら竜は、どこか人間とは違う思考回路をしているのだが。
《リーシェ頑張ったね!》
「………あぁ、それはどうも」
アカにとっては、勝敗よりも遊んでくれたという事の方が大事なのだろう。目の前の狼は、ドッグランで走り回る子犬のようにはしゃぎまくっている。
足元をぐるぐるぐるぐると回り、たまにタックルをかまして……
《! ‘黒いの’だ!》
「ん? クロが近くにいるの?」
竜同士共鳴でもしあうのか、アカがさっと上空を見上げた。
つられてリーシェも見上げる。
「あぁ、クロ」
《何をしている》
《遊んでたー!》
《……こんな朝方にか? ──リーシェ、まだ風も冷たいというのに、そのような薄着でほっつき歩くとは何事ぞ。風邪を引くかも知れぬ。寮部屋に早く戻れ》
「上着も着てきているから大丈夫だって」
リーシェの主張に、上空から舞い降りてきた黒竜は目をすがめた。
《そんな事を抜かしていて、万が一風邪になったらどうするのだ。己で責はとれるのか?》
「……クロ。私そこまでか弱くないよ」
《ほう? …そこまで言うのならば、もしそうなった場合に覚悟しておくが良い》
「前言撤回、今すぐ帰らせていただきます」
一瞬で人型をとった黒竜からの脅し紛いの説得に、リーシェは若干顔を青ざめさせ、そう答える。
その様子に不服そうに鼻を鳴らす黒竜。
《無駄な足掻きは、利口とは言えぬぞ》
人間の青年へと姿を変えた黒竜は、不機嫌げな顔つきをしながらも、うなだれるリーシェをふわりと抱き上げた。
──怒るのは心配の裏返し。
実際、青年は、厳しい言葉を投げかけるものの、乱暴に扱うことなどはせず──…腕の中の少女を、まるで壊れ物のように扱う。
その腕にほっとため息を漏らした少女は、安心して身を委ねるのだった。