特殊異能課とは?
ひとしきり自己紹介を終えた俺達は、この日の為に用意してくれたというシフォンケーキと共に乾杯をすることになった。
どうやら聞くところによるとこのケーキを作ったのはカナさんらしい。とことん見た目とのギャップが激しい人だ。チョコレートシフォンケーキだと言われたその名の通り茶色のスポンジには、ホワイトチョコで描かれた白いレースのデコレーション―――それも恐ろしく細かい―――が上部や外側は勿論、丸く穴の開いた内側にも施されていた。
更にアクセントで羽を広げた蝶々と薔薇の花びらまであしらわれている。驚くことなかれ! 立体的にだ。
(クオリティ高いな!?)
レースの飾りの上には所々に真珠のような光る丸い玉まで付いている。見れば見る程凝っていて感嘆の溜息しか出ない。特技はアクロバットと言っていたがケーキ作りに変更した方が良いんじゃないだろうか?
テキパキと皿に切り分けているカナさんに声を掛ける。
「カナさん」
「おう?」
「この真珠みたいなのってなんですか?」
これこれ、と指で示すとああそれかと笑った。
「アラザンだ」
「……アラザン?」
「ドラジェとも言うけどな。簡単に言えば砂糖を銀箔でコーティングしたヤツだ。……クゥ! 紅茶はアールグレイで頼むわ。あ、お前生クリーム食えるか?」
途中でカップを温めているクゥさんに茶葉の指定をし、また俺に向き直ったカナさんが絞り袋を片手にボウルからクリームを掬う。
「大丈夫です」
甘いものは好きなので大きく頷く。すると二カッと笑って多めに生クリームを乗せてくれた。全員分の皿が席に置かれたところで紅茶も用意出来たらしく、クゥさんが温めたカップに注いでくれる。ポットから流れるアールグレイは紅色というより濃いオレンジ色で、カナさんの髪色と同じだなと思った。
「シフォンは甘めに作ってるからとりあえずストレートで飲むのがオススメだ。おかわりするならミルクティでも良いと思うぜ」
ぱんっと手を叩いてカナさん、クゥさんが席に着いた。
「じゃあ僕とローズちゃんはシフォン食べ終わったらミルクティを淹れてもらおっかな。ベイビーちゃんはどうする?」
ウキウキとフォークを握り締めながら夏芽さんが聞いてきたので少し考えて同意した。
「俺も同じで」
「だって! カナちゃんよろしく~」
「イエッサー! ボス」
おどけて敬礼をするカナさんに夏芽さんが「だからボスって言うの止めてよー」と泣き真似をする。二人のやり取りにローズさんとクゥさんが笑う。それを見て思う。この人達には仕事仲間というだけじゃない何か繋がりがある様な気がしてほんの少し胸がざわつく。それは嫉妬に近いもの。俺にはない、他人との繋がりだったから。
「もーいいよ! それより早く乾杯しよう。僕お腹空いちゃった」
照れてるのか怒ってるのか、夏芽さんが話を断ち切って立ち上がった。それに倣い全員が立ち上がる。
「それじゃあ新しい仲間に」
「かんぱ~い!!」
各々カップを掲げて席に座った。薄い陶器をぶつける事はせず掲げるだけに留めておいたのは正解だ。勢い余って割れたらケーキが大変なことになる。そうして俺達はふわふわのシフォンを頬張ったのだった。
「ふぁ……おいしかった」
和やかに雑談をしながら最後の一欠けらを口に放り込むと椅子に背を預けた。自分で言うものなんだが、少食な方だと思っていたにも関わらずあまりの美味しさに紅茶のみならずシフォンケーキまでおかわりをしてしまった。甘い割りにあっさりした口当たりで二回もおかわりしてペロリと平らげてしまった自分に驚く。
「しっかしまぁ良く食ったなー」
食後のミルクティ―――今度はカナさんが淹れてくれた―――をコトリと置いてカナさんが皿を下げてくれる。その表情は呆れながらも楽しそうだ。
「自分でもびっくりしてます。こんな美味しいケーキ食べたの、が……その、初めてで」
欲張ってお腹いっぱいになるまで食べてしまった自覚があるので語尾が段々小さくなる。
「まさか全部無くなるとは思わなかったけどな!」
「う……すみません」
カナさんがそう言うのも当然だ。何せホールの半分は俺が一人で食べてしまったんだから。何号サイズかは分からないが結構な量を頂いてしまった。
俯く俺にカナさんが豪快に笑って頭を撫でる。
「ははっ! 構わねぇよ。ここまで綺麗に食ってくれたら作った甲斐があったってもんだ。なぁ、クゥ?」
「そうだ。気にするな」
同意を求められたクゥさんも頷く。
「んじゃオレらはこれ片してくるから班長達は話進めといてくれよ」
皿と初めに用意されていた水の入ったグラスをそれぞれ持って、カナさんとクゥさんは部屋を出て行った。
「それじゃあベイビーちゃん。僕らも本題に入ろうか」
長い足を組んで優雅に笑むと夏芽さんはそう切り出した。軽い口調は変わらずだが、真面目な話をするつもりなのが分かったので俺も居住まいを直す。
「本題、ですか?」
「うん。大事なことだからね」
にっこり笑うとローズさんへ目配せをした。
「……雇用契約書と誓約書、身分証発行手続き書類とか色々サインがいる」
一旦席を立ったローズさんが持って来たのは少なくない枚数の書類だった。
「たくさん、ですね」
若干顔が引き攣るが国の機関だから仕方がない。制約が付き纏うのは当然だ。ただ思っていたよりサインが必要な書類が多くて声が上擦る。
「まーねぇ。でもこればっかりはどうしようもなくてさ。最初だけだよ、こんなに書かなきゃなんないのは。一枚一枚説明するから分からなかったら遠慮なく聞いてね」
「はい」
申し訳なさそうな顔をする夏芽さんに大丈夫ですと言って、目の前に並べられた書類を手に取った。
「まずは雇用契約書ね。まず僕ら特殊異能課の仕事はレーヴァイン内に点在している異能者のスカウトと育成」
(異能者か……ルーヴェリア外で探すのは大変そうだな)
異能者とはここ十数年で増えてきた、生まれながらにして何かしらの固有能力や魔力を持っている人間のことだ。【モノ】【ヒト】【事象】など種類は様々だが、間接的に他に干渉できる者を総じて異能者と呼ぶ。端的に言えば魔法師になれる素質がある者達の総称だ。
魔法そのものは大昔から知られていて、人々を影ながら支えてきた魔法師という存在も認識されてはいる。だが魔法師になれる人間というのはほんの一握りしかいなかった。その一握りも血によるものが大きいらしい。それ以外で魔力を持って生まれてくる人間は何百万人に一人とも言われている。
その何百万人に一人と言われていた魔法師の卵が急激に数を増やしてきたのは今から十五年ほど前か。通常魔法師に師事しなければ開花しないはずの能力を目覚めさせる子供達が続出した。自分の意思とは関係なく魔力を行使してしまい気味悪がられ捨てられた子供も少なからずいたと聞いた事がある。その頃はまだ大戦で味わった圧倒的な魔法の力に恐怖を忘れなれない大人も多く、仕方ないと言えるか分からないが不幸な目にあった子供がいたことは事実だ。
ちょうど俺や夏芽さん達の年齢……今の十代後半~二十代半ばがその【子供達】の年代に当たる。
「異能者ですか。最近は聞きませんけど数はまだ増えてるんですか?」
ここ数年はなくなったとは聞かないが増えたという話も聞かない。
「あの時ほど爆発的には増えてないみたい。けどまぁ横ばいってトコ」
困った顔をして頬を掻く。
夏芽さんの言うことが本当だとしたら結構な人数になるはずだ。
「でもどうやって異能者を探すんですか? 開花してるなら噂でもあるでしょうし調べられるかもしれませんがそんな人ばかりじゃないでしょう」
「そうなんだよねぇ。だからその辺はまだ考え中」
うーん、と唸ってしまった夏芽さんが頭を抱える。まだって何だ? まだって……
「考え中?」
「うん。あっ! そっかそっか。あのね、特能課はつい先日出来たばっかりの課だから始動はこの春からだよ」
「え? そうなんですか!?」
「うん。今は準備期間中」
忘れてたという夏芽さんが部屋の隅に置かれたダンボールの山を指す。成る程、どうりでシンプル過ぎるレイアウトだと思った。
「一応デスクとPCとテーブルセットだけは用意して貰ったんだけどね。この部屋以外の備品は全然揃ってない。しばらくはデスクワーク中心で他の課の手伝いとかして貰うことになるかな。スカウトの方法とかは上にも相談して決めるよ。正直なところレーヴァインにどれだけ異能者がいるか僕も分からないんだよね」
「分かりました」
「んーと、仕事内容はこんなもんかな。お給料は額面総額25万円。昇給は随時。それとLast Noticeは年中無休だから休日はシフト制ね。でも週休二日制だから安心して」
戦闘部隊の所属というだけあって年中無休なのは大変だが休みは確保されている様で安心する。初任給でも25万円貰えるのも大きい。条件はかなり良いと言える。俺は夏芽さんの言葉に頷くとまず一枚目の雇用契約書にサインをした。
「……次は誓約書」
雇用契約書を夏芽さんに渡すと今度はローズさんが空いたスペースに誓約書を滑らせた。
「①国家保安局及び各組織の情報を他へ漏洩しないこと。②許可なくルーヴェリアから出ないこと。③LNに所属する限り寮で生活をすること。尚、保安局内であっても外泊する場合は寮長へ許可を取ること。以上が守れるならサインして」
「何か珍しい誓約書ですね」
情報漏洩は当然だが、箱庭から出ないことと外泊について制約があるとは。まぁ別段困ることもないのでそのままサインをする。
「意外にあっさりしてるんだね。衣食住は確保されてるけどコレってかるーい軟禁だよ?」
ごねると思っていたのか心底意外だという様に目を丸くした。
「少し考えれば分かる事ですし、それに……噂で聞いてましたので」
LNにせよ技術開発部にせよ情報規制が厳しいので有名だ。広報担当以外の班員の情報は勿論、業務内容ですら殆ど公になっていない。
「結局情報漏洩ってところに係ってくるんだけどね。きみもこれから色々なことを知っていくことになる。その中には洒落にならないものもあるんだ。特殊異能課にしても非公開部署だしね……死ぬまで国の所有物なんだよ僕らは」
「ッ!!」
それまでの表情とは一変、怖ろしい程美しい微笑。冷たい氷の様な微笑みにぞくっと背筋が強張り息が詰まる。冷笑とはこんなにも怖いものなのか? それより突然どうした?
黒縁メガネの奥で細められた瞳は何を映しているのか分からなかった。まるで金縛りにあったかの様に身動きが取れなくなる。
「ナツメ」
瞬きをするのも忘れ固まってしまった俺を救ったのはローズさんだった。ぺしっと夏芽さんの頭を叩いて俺と夏芽さんの間に入る。視界から夏芽さんが消えたことでようやく金縛りは解けた。
「顔、凶悪。怖がらせないで」
「……っ、ひどいなぁ」
凍りついた空気が霧散すると俺も夏芽さんも大きく息を吐いた。何だ今のプレッシャーは?
カタギの人間が出せるものじゃないぞ。目だけで人を殺せるんじゃないかと冗談でなく思った。
直視するのは怖かったので夏芽さんを盗み見ると、先程までの冷めた瞳はどこにもなくバツの悪いというか『やってしまった』という顔をしていた。
「たっだいまー! ってどした?」
「重いな」
食器を洗いに行ったカナさんとクゥさんが戻って来るなり微妙な空気を感じ取ったのか揃って首を傾げる。
「ナツメの顔面凶器だったから」
遠慮のない、しかし簡潔過ぎて要領の得ないローズさんの回答にクゥさんが反応する。夏芽さんと俺を交互に見て成る程と呟いた。
「副班長」
「なに?」
「書類はまだ残ってますか?」
「身分証発行書類と入寮書類が残ってる」
素早くローズさんと確認したクゥさんは俺の隣の椅子に腰を下ろしさり気なく夏芽さんから視線を外させた。
「悪いな」
「あ、いいえ……大丈夫です」
何に対してかとは言わなかった。だから俺も気にしていないと告げる。気にしてないのは嘘だが害があるとは思わなかったからだ。
「すまない。とりあえず残りの書類の説明をしよう。身分証発行の書類だが、これは今作っているLast Noticeの隊員証とは違う。保安局が管理している身分証だ。これ一枚で銀行の引き出しやルーヴェリアの施設の出入りが出来る。LNの隊員証は限られたところでしか使えないからな」
「そっか。そうですよね」
国家保安局内でも非公開部署とされているのだからそうなるだろう。
「ああ。あとこれが一番重要なんだが身分証も隊員証も、名前はどうしたい?」
手にした書類を俺に渡すと、書類の中程を指す。そこにはレベルE・Last Notice・技術開発部の職員各位、個人情報についての特記事項として『登録は本名だが、印字は通名及び仮名を推奨する』と書かれてあった。偽名を推奨しているということなのだろうが、どういう意味なのか分からなかった。無言でクゥさんを見ると視線の意味を理解してくれた様で一瞬間が空いたが短い嘆息の後、口を開いた。
「……本名を勧めていないのは隊員達の家族や恋人など近しい人間に危害が加わらないようにする為だ。過去に隊員の身内が人質に取られる事件が何度かあってな。それ以後特に苗字は明かさない方針を取っている。だが強制ではない。お前の好きなようにすれば良い」
あくまで俺の意思に任せてくれると言ってくれる。
ペンを持つ手が止まる。右手の薄い紙がひどく重く感じた。どうする?
家族と呼べる人間はいなくはないが危険に晒されることはほぼ無いと思う。伯父夫婦は苗字が違うしアクアフォレストにいる限りそう危険な目に遭うことはない、筈だ。ルーヴェリア内に知り合いもいないから問題ない。それに出来ればこの名前は晒しておきたい。ハイリスクであることを理解さえしていれば対策は練れる。
たっぷり五分以上考えて俺は結論を出した。
「本名で良いです」
「……そうか」
「はい」
そうして三枚目にサインをした。
「これが最後だな。入寮書類」
入寮書類には一般職員寮ではなく、Last Notice専用の寮に入ること、朝食と夕食は寮の食堂で取れること、大浴場は二十四時間利用可能など施設案内も一緒に書かれていた。三枚程重ねられた用紙の最後に複写式の同意書が添えられておりそれにサインをしたところで全ての書類を書き終えた。
「お疲れさま」
「面倒くさかったろ?」
はぁ~っと大きな溜息を吐いたところでローズさんとカナさんが労いの言葉を掛けてくれる。二人ともやけに生き生きしてるのは何故だろう?
「大丈夫です。ありがとうございます。ところで夏芽さんは……どうしたんですか?」
少し目を離していた間に夏芽さんだった人は元、夏芽さんになっていた。うつ伏せに倒れ、背中には大小の足跡がついている。髪なんてめちゃくちゃで毛先がだいぶ遊んでいる。
「のーぷろ」
「敵は取ったぜ!」
グッと親指を立てて一仕事してやったみたいな顔をするローズさんとカナさん。そうですか。あなた方が制裁を下したんですね。俺の為にありがとうございます。
「気にするな。お前の為だけじゃない、日頃の鬱憤を晴らしただけだ」
有難いようなそうでもないようなクゥさんの言葉に元夏芽さんだった物体は勢い良く起き上がった。
「ちょ、ちょっとそれどーゆーこと!? ベイビーちゃんを怖がらせたのは悪かったと思うけど日頃の鬱憤って僕そんなに嫌われてたの!?」
目尻に涙を湛えた夏芽さんがにじり寄って来る。麗しの美青年が台無しだ。せめてぐっちゃぐちゃになった髪は直した方が良いと俺は思う。
「自分の胸に」
「手を当てて」
「聞いてみて」
息ピッタリな三人―――ちなみに上からクゥさん、カナさん、ローズさんだ―――にとうとう涙腺が崩壊した夏芽さんは大粒の涙を零し始めた。俺はと言うと美形は酷い風体でも美形なんだなとどうでも良いことを考えていた。落ちる涙すら美しいなんて詐欺じゃないだろうか?
「ねぇ! ベイビーちゃんからも何とか言ってやって!!」
我関せずを貫いていた俺に助けを求めた夏芽さんは両肩を掴んでがっくんがっくんと揺らす。エレベーターの時も思ったけどこの人見た目に反して力が強い。揺さぶりが強過ぎて脳がシャッフルされ、段々気持ちが悪くなって来た。
「……吐く」
「え?」
「きもちわるい」
「えぇーっ!?」
慌てて手を離す夏芽さん。俯きながら逃がすものかとその手を掴んでやると「どうしよう! どうしたらいい!?」と狼狽した声が頭上から聞こえる。どんな顔をしてるのかは俯く俺には分からないがきっとまた泣きそうになってるんだろうな。
本当、どうしようもない人だ。胸のむかつきはまだ残るけど何だか色々小難しく考えるのが馬鹿らしくなって来た。全部が全部信じられる訳じゃないし隠していることもお互いある。それでも受け入れてくれる姿勢は本物で、躊躇わず一歩を踏み出してくれているのも彼らだ。だったら俺も前向きに受け入れるべきなのかもしれない。
「あー、だいじょうぶです。マシになりました」
「ほんと?」
顔を上げるとやっぱり銀青色の瞳が潤んでいた。星の瞬きに似た綺麗な瞳は、氷の様な冷笑を浮かべていた人と同一人物とは思えない。
「本当です。ってゆーかずっと思ってたんですけど『ベイビーちゃん』って何ですか?」
受け入れると決めたら対応も変わる。遠慮も横に置いておく。出会ってからずっと気になって仕方なかった俺の呼称をどうにか訂正させたかった。
「ベイビーちゃんはベイビーちゃんだよ。僕らの可愛いベイビーちゃん」
「俺には叶という名前があります。恥ずかしいのでその呼び方は止めて下さい」
ぴしゃりと言い放つと夏芽さん目をぱちくりさせた。そして水方《苗字》ではなく叶《名前》で呼んで欲しいと遠回しに言ったことを理解すると破顔した。
「うん! 分かった。それじゃあ……カノくん、で良いかな?」
「はい」
何故か照れくさそうに笑う夏芽さんは今日一番の笑顔を見せた。それにつられて俺も笑う。他の三人はというとイイ顔で俺達を微笑ましく見守っていたが視線を向けるとうんうんと頷いた。
―――水方叶。国家保安局レベルE所属Last Nothice内特殊異能課班員として入隊―――