生活安全課
話を早く進ませようとした結果なんか失敗したかもしれません。
ごめんなさい。
でもちょっとだけ魔法出せました。
「さて。それじゃあ行こっか」
「行くって、どこにですか?」
長い回想を終えたところで夏芽さんが席を立った。
スーツの上着を整えピンバッジのずれを直す。仕上げにきゅっとネクタイを締めれば出来る上司の完成だ。心なしかいつもはへにゃっとした顔もキリッとしている様に見える。
俺もそれに倣ってまだ着慣れないスーツの裾を伸ばした。限りなく無いに等しいが、今後成長する―――かもしれない―――のを見込んで少しだけ大き目にローズさんがオーダーしてくれたLN内全課共通の制服だ。
「生活安全課!」
にっこり笑って夏芽さんが答える。
これからランドガールの上司に会いに行くのだと言う。
もう一度話を聞いた上で対策を練るそうだ。外部犯か内部犯か、簡単そうに見えて今回の事件は意外に難しい。それを見極めることが出来るかどうかは兎も角、ヒントくらいは得られるかもしれないと言う訳だ。
「……どうも嫌な予感がするんだよねぇ」
ぼそっと夏芽さんが呟く。
「不吉なコト言わないで下さいよ」
「まーまー何とかなるでしょ! 行こ、カノくん」
※ ※ ※
―――保安局本部3F 生活安全課―――
「いらっしゃい」
生活安全課の隣、課長室で出迎えてくれたのは肉感的な美女ではなく、くたびれたオヤジだった。
どのくらいくたびれたかと言うとだ、クタクタのスーツにヨレヨレの薄ピンクのシャツ。その割にネクタイだけはやけに真新しい赤と黒の細いストライプのサングラスを掛けた強面のオヤジだ。
オヤジと言っても灯副司令官と同じくらい。三十代後半~四十代前半のまだまだ働き盛りの年齢だろう。漂う哀愁は五十代半ばだが。
女性ばかりの職場で上司がオトコってどうなんだろうと思っていたら内部で班がいくつか分かれているらしい。ランドガールもその中の一班だった。
どうぞと促され、夏芽さんはソファに座るオヤジの真向かいに。俺はその斜め後ろに立つ。
「穂積さん、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
「冗談ですよ」
「冗談か」
「よく寝れてます?」
「寝れないね」
不毛な会話の応酬。
見た目は怖そうだが覇気のない声音だ。重低音の良い声の持ち主なのに勿体無い。穂積さんと言うらしい中年男は灰色の髪をくしゃっと掻き乱すと深い溜息を吐いた。
そりゃ美人どころの部下が安全だと思われていた保安局の寮で、一歩間違えれば襲われていたかもしれないのだ。安眠出来る方がおかしい。
非難めいた俺の視線に軽く肩を竦めた夏芽さんは話題を変えた。
「朔ちゃんから正式に依頼が来たよ」
(朔ちゃん……って誰だっけ?)
大きい組織はこういう時に困る。人数が多い所為で各組織の幹部ですら覚えきれないのだ。それに夏芽さんは誰に対しても敬称を付けない。少なくとも保安局本部の誰かというのは間違いないと思うのだが……
「ああ。頼むよナツメ」
サングラスの所為で分かり難いが、黒のレザーソファーに深く腰を落とした穂積さんは膝の上で組んだ指に視線を落とした。
「特能課で対処するからさ。安心してとは言わないけど思い詰めるのは良くないよ。保安局の犯行と思いたくない気持ちは僕も同じだし」
気遣わしげな表情で夏芽さんが穂積さんを慰める。
話を聞いた当初は被害に遭った女性のファンだと思っていたのだが、状況を聞くにつれて外部の人間では不可能ではないかという考えに至ったのだ。
如何に高度なセキュリティだって人間の作るモノだ。完璧とまではいかないが、それでも大国と渡り合える位に優れた技術力を持っている。只でさえ守りに関しては世界一を誇るのだ、この国は。
だからこうして改めて話を聞きに来たと言う訳なのだが、思った以上に穂積さんは精神的に参っているらしい。
「分かってる。頭では分かっているんだ。僕にとってここの人間はみんな家族みたいな大事な存在だし疑いなくないけれど、それと同時に中の人間じゃなきゃ出来ないっていうのも分かるんだ」
穂積さんも保安局の誰かの仕業だと思ってるのか。
まぁそうだろうな。俺が視たところセキュリティに隙はあるが、たかが犯人候補のファン如きがそれを掻い潜れるとは思えない。仮に本当に犯人だとしても内部手引きなしに入り込むことは不可能に近い。
「課長!!」
そんな事を考えてたら何の前触れもなくバーンッと扉が開いた。
「お茶も出さずに何をしておられるのです!」
甲高い威圧的な女性の声。
「!!」
「あ」
「ん、ああ。すまな―――!」
声の主は謝罪の言葉を最後まで聞かず、カツカツとピンヒールを鳴らして穂積さんの胸ぐらを掴み、そして投げ飛ばした。
「Oh……デンジャラス……」
ソファからデスクまで吹っ飛ばされた穂積さんは、為す術もなくパソコンやら書類やらを撒き散らして床に崩れ落ちた。
何て不憫な人なんだ。
「それでも元レベルEですか!? 情けない」
パンパンッと手で埃を払う仕草をすると軽蔑した眼差しでデスクの下で這い蹲る上司であろう男に吐き捨てる。
それでも不快に思わなかったのはまだ年若い少女だったからだ。それに言葉はキツイが心底軽蔑しているようには見えなかった。
ダークグレーのスーツに着せられている彼女は推定十六、七歳。俺より少し下だろう。長い亜麻色の髪は高い位置でポニーテールにされており、彼女が動く度にワンテンポ遅れて揺れ踊る。
勝気そうな深緑の瞳は少女の意志の強さを物語る。
「相変わらず激しいねー瑞穂ちゃん」
微笑ましく一連の流れを見守っていた夏芽さんが拍手をしながら少女に声を掛けた。
「夏芽班長、お見苦しいところをお見せしました。申し上げございません」
「構わないよ。いつものことだし元気があるのは素晴らしい」
本当にそう思っているのか、朗らかな顔で夏芽さんは恐縮する少女に対して首を振った。
「いいえ。それもこれもこの愚父の所為です。もう少ししっかりしていれば今回の件も夏芽班長のお手を煩わせることもなかったのに」
キッと穂積課長を睨み付ける。
「ええっ父親!?」
何とも似てない親子だ。衝撃のカミングアウトに声を抑え切れなかった。
睨み付けられている本人はと言えばまだ強かに打ち付けた頭や腰を押さえて悶絶している。
すごく痛そう。
「あ、あの……穂積課長? 大丈夫、ですか?」
恐る恐る近付いて手を差し伸べる。
濃い色のサングラスでその瞳を窺い知ることは出来なかったが、恐らく……いや間違いなく彼は涙目になっている筈だ。
「だいじょうぶ、いつものことだから」
ありがとう。と言って俺の手を掴み何とか立ち上がる。気の弱そうな言動とは裏腹に、穂積課長の手は硬く厚みがあった。それに立ち上がって初めて気付いたのだが、190cm近くある長身でおまけに胸板も厚い。
さっき娘さんがチラッと口にした元レベルEというのも頷ける。軍人出身だと思わせる様な素晴らしく恵まれた体躯をしていた。
惜しむらくは見た目とのギャップ。
果たして穂積課長は強いのか弱いのか現段階では判断がつかない。見た目だけだと強そうだが、か弱い女性……しかも自分の娘に投げ飛ばされて悶絶している姿を見るとどうにも見掛け倒しという印象を受けてしまう。
「本当ですか……? そのタンコブ早く冷やさないと熱持ちますよ」
目視でも分かる程に膨れ上がったタンコブを指すと、穂積課長はゆっくりと患部に触った。
「ッッ―――!?」
そして膝から崩れ落ちた。
相当痛かったらしい。
「現役を引退して鍛錬を怠るからその様なことになるんです!」
その上、手厳しいというよりも的確に心を抉る部下の言葉にとうとう涙腺は決壊した模様。サングラスの奥から涙が溢れてきた。
「あらら、お父さん泣かせちゃダメじゃない」
これには流石に夏芽さんも待ったを掛ける。彼女に悪気はないのは分かるがこれはやり過ぎだ。どうどう、と静止を掛けた夏芽さんは先程まで穂積課長が座っていたソファに彼女を座らせた。
〈―――水……冰……〉
その間に俺は水・氷系の魔法を手持ちのハンドタオルに掛け、穂積課長の頭に優しく当てる。誓って給湯室を探すのが面倒だったから……という訳ではない。
「冷た気持ち良い……水方くんは名前に【水】が入っているから水系魔法と相性が良いのかな?」
「あれ? 俺、名乗りましたっけ? まぁ、そうですね。名前が関係してるかは分からないですけど水系と風系。それと氷系と土系は相乗効果もあって得意な属性です」
チラリと夏芽さんを見ると可愛らしく舌を出してウインクをしていたので、事前に俺と行くことを伝えていた様だ。
(だから俺に可愛さアピールしてどうするんだよっ!?)
「無詠唱で魔法を使えるなんて上位魔法じゃないか? それに見たところ【媒体】もないようだけど」
タオルに触れながらまじまじと俺を見る穂積課長は感心した様に言った。その言葉に夏芽さんに向けていた視線を戻す。
「いえ、古代魔法や召喚魔法は長い詠唱や符を必要としますが、現代魔法は詠唱も魔法名も必須ではありませんよ。モノにもよりますけど詠唱や魔法名は気合? みたいなものです」
精霊など他(者)の力を借りる古代魔法(もしくは古式魔法)は、詠唱によって一時的に契約を交わしその力を行使する。中には例外もあるが古代魔法ではほぼ全てと言っていいくらい詠唱が必要だ。
対して現代魔法は己の魔力そのものを使うので、魔力を魔法へ変換=魔法式を構築することさえ出来れば詠唱は原則必要ない。
それでも詠唱を挟んだりするのは【想い描く】だけでは上手く魔法へ変換出来ない魔力を、詠唱や魔法名を付けることによって【行使したい魔法へのイメージ】を強く持たせる為だ。
俺がさっき無詠唱でハンドタオルを濡らしたのは単純明快。ものすごく簡単な魔法で複雑な魔法式を必要としなかったからだ。
ただ、魔力を魔法に変換するのと魔法を発動(起動)するのは=ではない。
魔法を行使するには【媒体】と呼ばれる武具が必要になる。昔話でよく魔法使いが持っている杖やステッキといったものが媒体に当たる。
魔法式を展開する為の道具。大抵これが必要になるのだ。
まぁこれも媒体がなくとも起動出来る魔法師が少数ながらいるのだが。
「カノくんの媒体はペンダントだよね」
「そうなのか?」
それまで黙っていた夏芽さんが得意気にニヤリと笑って口を挟んだ。
「……よく分かりましたね」
突っ込む気も起きなくなった俺は指摘されたペンダントをワイシャツの中から取り出した。
何でペンダントをしているのが分かるんだ!? とか、何でそれが【媒体】だと分かるんだとか、そんなことは気にしてはいけない。
「可愛いモチーフだね。王冠を被った鍵と―――雫かな」
いつの間にか全員が俺の傍まで来て胸元を覗き込んでいる。何だコレ。
「雫のモチーフの方、何か文字が書いてますね」
うーん、と唸りながら瑞穂さんが何とか文字を読み取ろうと目を細める。
「あははっ! カノくん変な格好!!」
「だと思うならっ! 何とか、してください、よっ!!」
【媒体】と聞いて気が引けるのか、触れないようにしてくれるのはありがたいが如何せん距離が近い。今にも体が触れそうなくらい近くにいるものだから俺は目一杯距離を取る為に仰け反るしかない。
「瑞穂。あんまり水方くんに詰め寄っては……」
縋る様に穂積課長に視線を送ると、慌てて瑞穂さんの肩を引いた。
すると瑞穂さんのそれまでの大人びた雰囲気が一変し、表情も声音も年相応の少女のものとなった。
「仕事中は名前で呼ばないでって言ってるでしょ!」
「あっ! すまん」
「いつもいつもお父さんはそうやってあたしを娘扱いする!!」
「いや、だって娘だから……」
もごもごと言い訳をする穂積課長が大きな体を縮こめる。この親子40cmくらい身長差があるのに娘の方が大きく見えるのは何故だろう……
「言い訳は結構よ! 仕事中あたしは課長補佐なの!! この地位だって死に物狂いで勝ち取ったのよ!?
なのにお父さんがいつもあたしを娘としてしか見ないから親の七光りだなんて言われるのっ」
「保安局は縁故就職なんてないから誰もそんなこと思わないんじゃ……」
「そう思ってるのはお父さんだけよ!!」
「……」
「あー、こうなったらダメだね。しばらくこの親子喧嘩終わらないから早いトコ退散しよう」
「娘が一方的に喧嘩売ってるようにしか見えませんけど」
巻き込まれちゃ堪らないとスタスタ出口に向かう夏芽さんに俺も小走りで付いて行く。
パタンと扉を閉めても聞こえてくる瑞穂さんの金切り声を背に俺達は生活安全課を後にした。
※ ※ ※
「結局何も聞けませんでしたね。それに俺、二人に自己紹介も出来ませんでした」
生活安全課を出た俺達はエスカレーターで下へ向かっていた。
「また会う機会があるよ。それに今日は外勤って言ったでしょ? メインはそっち」
前にいる夏芽さんが後ろを振り返る。いつもは見下ろされている立場が逆転、見下ろす形が新鮮だ。図らずとも上目遣いになる夏芽さんの睫が綺麗に上を向いているのを発見して『ああ、やっぱり美形のスペックは違うな』なんて思った。
「そう言えばそんなこと言ってましたね」
今朝方、対応依頼書を読んでいた時に確かそんなことを言っていた。外勤っててっきり生活安全課に行くことだと思っていたが違うらしい。
「外勤って言うのはつまり保安局の外! 箱庭のことだよ~張り切って外出許可書貰って来ちゃった♪」
と言ってポケットに忍ばせていたメモを見せて来た。
いつの間に許可を取って来たのか……
『外部調査許可証
本日23:59まで有効
所属 :レベルE所属特別戦闘部隊Last Notice内特殊異能課
対象者:夏芽
水方叶 計2名
許可印 レベルE本部司令室 総司令官 雅
許可印 保安局 本部司令室 総司令官 高崎朔』
こんなノートの切れ端みたいな紙で良いのだろうかと心配になるくらいの大物の直筆サインが書かれていた。
もうちょっと良い紙あっただろうと思わずにはいられない。二人とも組織のトップじゃないか。
「……何かこの紙には勿体無くないですか?」
「そぉ? 何に書いたって効果は一緒でしょ」
全く気にする素振りも見せず、夏芽さんはメモを二つ折りにしてまたポケットに仕舞った。
「さーて。ここからが本番だよカノくん! 目指すはランドガールのイベント会場だ。気合入れて行くよ!!」
目指すは箱庭の入口近くの広場。
そこから事件は思わぬ事態に発展するのだった。