初出勤
「この用紙に名前・所属・付き添い人・時間を記入して」
「はい」
あの後、体を温めた俺はクゥさんに連れられて警備室に訪れていた。
警備室は正面玄関―――巨大電光掲示板のあるところだ―――の真横に位置する。
五十代くらいのおじさん警備員に渡された用紙を黙々と記入し、しばし待つ。程なくして奥の部屋へ引っ込んでいた警備員のおじさんが黒と白の二枚のカードを持って来た。そして俺がさっき書いた用紙をプリンターに挟み、黒い方のカードを機械に通した。
「すまんね。じゃ、説明するよ。まずこれが保安局の入館証。これにはあんたに書いて貰った記入書類の内容が記録されてる。この黒いカードで保安局内の共有スペースは自由に出入り出来る。そして次はこれ」
奥の部屋から持って来たもう一枚の白いカードを置く。
「このカードはLast Notice本部の入館証。許可レベルの低いものになるから入れるのは施設の扉だけになる。あとはそっちの兄ちゃんにでも聞いてくれた方がいい」
良いか? と視線を投げたおじさんにクゥさんが頷く。
「帰りに……って言っても兄ちゃんはここの寮で暮らすんだろうが、業務終了後には必ず入館証を返しに来てくれな」
そう言うとネックストラップ付きのカードケースに二枚とも入れて渡してくれた。
「分かりました。ありがとうございます」
警備員のおじさんにお礼を言って俺とクゥさんは保安局の総合受付へと向かった。
※ ※ ※
「……昨日」
「?」
「昨日班長から聞いていると思うが、ウチの課は出来たばかりで仕事が無い。すまないがそれまで他の課の書類整理や雑用をして貰うことになる」
昨日と同じ保安局総合受付から移動魔法陣で今度は問題なく目的地に辿り着いた。視界が開きLast Notice本部入口の大きな扉が見えてホッとしていると、おもむろにクゥさんがそう言った。
「はい。夏芽さんからもそう聞いてます」
「……そうか。今日はこれから一度課の方に顔を出してから保安局内を案内しようと思っている。全部は難しいが日常生活と仕事で必要なところは教えておかないと困るだろうしな」
黒の双眸が俺を見下ろしながら返事を待つ。
俺としてもそれは大助かりだ。組織の内部は勿論、寮で暮らすことになるのであれば施設も知っておかなければならない。食堂とか、お風呂とか兎に角たくさんある。
「是非お願いします」
「ああ」
こくりと頷くとクゥさんも首を縦に振って頷いた。
「ただいま」
「おはようございます」
特能課へ着くと既に全員揃っていた……いや、夏芽さんはいなかった。
「オーッス! カノ。お帰りクゥ」
「……おはよ」
昨日の白い丸テーブルに座るカナさんとローズさんがそれぞれ挨拶をしてくれる。ローズさんは書類にペンを走らせ、カナさんは回転式拳銃の手入れをしていた。
「カナさん、そのリボルバー大きいですね?」
「おう。オレ、手がでかいからな。ちっせぇヤツだと逆に持ちにくいんだよ」
そう言いながらシリンダー部分を分解し綿棒で丁寧に拭き取っていく。汚れがそれ程付いていないところを見るとここ最近で撃った形跡はない。慣れた手つきでピカピカに磨き上げられていくリボルバーは通常の二倍近く大きなものだ。俺の細くて頼りない指では絶対に片手で撃てない。
「それって規定の銃とかでは……ないですよね?」
近付いて覗き込む俺にカナさんは首を捻る。
「んん? ウチに規定の武器なんてねぇぞ。レベルEじゃねーしな。コレはオレ個人のもんだ」
「そうなんですね! 戦ったりするかと思いました」
紅葉伯父さんと昨日話した内容が若干気になっていたのだが、カナさんの言葉に安堵の息を吐いた。
「戦う? まぁ絶対にないとは言い切れねーけど特能課はナツメさんが班長の限りそうそう物騒なコトはしないと思うぜ」
「そうだな。俺達もそうだが同じ異能者相手だから特に手荒なことはしたくないだろう」
うんうんと二人が頷き合って「ない」「うん、ないな」と確認し合う。
夏芽さんの信頼度は意外に高い様だ。ああ見えてやはり上に立つだけの人望があるのだろう。それについても聞きたい様な気もするが何よりクゥさんが放った「同じ異能者」という言葉。こっちの方が気になる。
「やっぱり皆さんも魔法師、なんですか?」
夏芽さんが言っていたことが正しいなら特殊異能課は勿論、経理課の暁さんも魔法師だということになる。聞いても良い質問だったのかは分からないがモヤモヤを残しておくのが嫌で意を決して問うと、それまで黙っていたローズさんが口を開いた。
「わたしたちはみんな魔法師。ナツメも、カナも、クゥも、わたしも」
書類とペンを置いて、あの黒曜石が真っ直ぐに俺を見つめる。
「戦わないのにですか?」
そうだ。ずっと気になっていた。LNの所属だからって必ずしもその才能が必要だとは思えない。現に経理課なんて魔法が使えようと使えなかろうと出来るじゃないか。
「それは―――」
「おっはよー! ただいまー! ちょっと皆聞いてよ~暁ったらヒドイんだよ!!
『夏芽さん、アナタって人はどうしてそんなにちゃらんぽらんなんです? アナタが全課取り纏めなんて僕は未だに信じられません』とか言ってきてさー」
ローズさんが何か言い掛けた言葉は、タイミング良く帰って来た夏芽さんのマシンガントークによって遮られた。何てタイミングで帰って来るんだこの人は!
「……」
「……」
「……」
「あれ……? どったの? え? カノくん、僕なんか悪いことした?」
無言の三人の冷たい視線にキョロキョロ辺りを見回した夏芽さんが最終的に俺に小声で訊ねてくる。
「あー、いいえ。大丈夫ですよ。もしかして昨日言われてた予算案を出しに行ってたんですか」
これ以上問い質すのは無理だと判断した俺は苦笑いでオロオロする夏芽さんに問題ないと首を振った。タイミングが悪かっただけで夏芽さんが悪い訳じゃない。
「そぉ? まだ三人の顔が怖いけど……うん、そうなんだ。朝イチで行ったのに全然ダメって言われて一時間くらい修正させられた」
「自業自得」
「因果応報」
「悪因悪果」
すかさず三人が口を揃える。順番はローズさん、カナさん、クゥさんだ。何かデジャブ……
「僕には味方がいないのか……」
がっくり肩を落とす夏芽さん。これもデジャブだ。考えたくないが、まさか毎日これを繰り返してるんじゃないだろうか。特にあの三人は息ピッタリ過ぎる。
「それは分かりませんが、とにかく朝早くからお疲れ様でした。でもまだ八時なのに随分早くからお仕事されてたんですね」
話を逸らそうと時計を確認したらまだ八時過ぎだった。一時間近く修正をしていたのなら七時頃から仕事をしていたことになる。一体何時出勤なんだ?
「違う違う。朝ごはん食べる前に渡そうと思って暁のトコ行ったらこんなことになったんだよ。僕ら9:00~18:00が就業時間」
そんなつもりはなかったと思いっきり顔を顰めて夏芽さんが否定する。そして当初の目的だった朝ごはんを会話の中で思い出したのか、お腹を押さえて今度はお腹空いたと連呼し始めた。
「オレたちだって同じだよ! アンタを待ってたんだろーが」
呆れ声でカナさんが唸る。
どうやら皆で朝食を取る為にこんな朝早くから待っていたらしい。カナさんの銃の手入れもローズさんの事務処理も暇を持て余していた故の行動だったのか。
「二人とも口喧嘩なんてしていたら余計に腹が減るぞ。全員揃ったことだし食堂へ行こう」
冷静なクゥさんが二人の背を押して部屋から追い出す。
「カノはごはん、食べた?」
書類を片したローズさんが続いて出ようとした俺の後ろから声を掛けてきた。驚いて足を止めると隣に並んだローズさんが下から俺の顔を覗き込んでくる。
「……! ああ、はい。俺はホテルで食べて来ました」
話し掛けられたことにも驚いたが、名前を呼ばれたことにも驚いた。詰まりながらも返事をすると少しだけ残念そうに眉が下がった、様に見えた。
「……明日から食堂でごはん、一緒に食べる?」
覗き込まれたままの体勢で所謂『おねだり』をされた俺はピシッと固まってしまった。そんな俺を期待を込めた瞳で返答を待つローズさん。
「えっと、そうですね! 一緒に食べましょう」
超絶美少女のおねだりは破壊力抜群だ。あまり美醜に興味がないと思っていた自分でも人間離れした美形には押されてしまうんだと知った。
それにしても今の表情、昨日の夏芽さんにそっくりじゃなかったか?
キラキラと輝く過度の期待を込めた瞳。銀青色と黒色の違いはあるけど二人がダブって見えた。
まぁ仲良さそうだしシンクロする部分もあるんだろう。それか俺の目の錯覚だ。そう言い聞かせて「カノ、約束」と呟いて先に部屋を出たローズさんを追いかけた。
「もぐ……うん、いいんじゃない?」
「では今日は寮と購買部とレベルE本部の案内をしてきます」
特能課のすぐ下、四階に食堂はあった。
ここもワンフロア全部を食堂として使用されている。エレベーターを降りると一番奥に厨房があり、その手前にはイーゼルに立て掛けられた黒板に今日のモーニングとして和食(お味噌汁、焼き鮭、冷奴、煮豆)と洋食(バイキング形式)と書かれていた。
ちょうどピークらしく、食堂は大勢の人達がひしめき合いざわめいていた。十人くらい並んで座れそうな長テーブルや四人掛け丸テーブルや二人掛けの四角テーブル、果てはカウンター席などが用意されている。
出勤前とあって大半の人が既にスーツ姿だ。稀にラフな格好をしている人もいるがきっと休みの人だろう。
そして現在、夏芽さんとクゥさんが和食。ローズさんとカナさんが洋食をそれぞれ選択し、俺と言えば単品でバナナジュースをちびちびしながらものすごい勢いでパンとスクランブルエッグとソーセージを平らげていく洋食組を眺めていた。
カナさんはともかくローズさんも華奢な体に似合わず大食漢だ。食べるの自体は遅いが量がすごい。確実に山盛りだったパンが減っている。
そんな二人を気にする素振りもなく、和食組はもぐもぐと咀嚼をしながらゆっくり箸を進め今日の行動予定を確認し合っている。と言っても俺の為のものだが。
「カノくん。今日は初日だし、そもそも仕事もないしクゥちゃんに色々教えて貰ってね」
にっこりと笑って夏芽さんが俺に向かって言った。すると離れた席から感嘆の溜息達が聞こえて来た。失礼にならない様にさり気なく周囲を見渡すと女性陣が微妙に視線を外しながらこちらを窺っているではないか。
(夏芽さんのファン?)
甘い微笑みにやられてしまったのかテーブルにつっぷしている女性もいる。そんなに夏芽さんが気になるならもっと近付いたらいいのに……
そう、何故か俺達の周りはガラガラとまではいかないが、少し敬遠されているのだ。窓際の丸テーブルに座っているのだが周囲一席ずつ置いて他の人が座っている状況。
「どうかしたの?」
こてん、と首を傾ける夏芽さん。
その一挙一動に声にならない声をあげる女性達。
「……いえ何でもありません。大丈夫です」
ああそうか。この超絶美形は気付いてないんだ。
慣れって怖いな。
ぶんぶんと頭を振って俺は今見た全てを記憶から抹消することにした。これから毎日これを見ることになるのであれば気にするだけ無駄だ。
「……カノ。行くか」
「っはい!」
俺が悶々としている間にクゥさんは食べ終わったらしく、お盆を持って立ち上がった。時間が経って分離してしまったバナナジュースを飲み干し俺もクゥさんの後に続いて食堂から出た。