会話してみた
森で拾った少年はあのまま眠り続けている。
ドロドロに汚れていた体を、服ごと魔法で清め、清潔なシーツを敷いたベッドに下ろした。
身じろぎもせず眠る少年に、念の為に回復魔法をかけておく。
何が少年をここまで追い詰めたのか?
気にはなるが、少年の目が覚めない事には仕方がない。
長いこと人のように小屋を建て、人と同じように暮らしていたが、自分以外の誰かを招いたことはなかった。
そもそも、このような森深い場所に結界を敷いて暮らしているのだから、誰かが訪ねてくるはずもない。
その誰もこないはずの場所に、今は少年が眠っている。
なんだろうか?心がゆらゆらと揺れているような感覚。
はるか昔、こんな感覚を感じたことがあったような気がするが、今はそれ以上感じ取れそうにない。
それは、私が久しく忘れていた感情だったのだが…。
***
少年は夜明け前に目を覚ました。
何度か目をパチパチさせた後にのそりと起き上がると、ベッドの横にいる私に気づいた。
「……ここは、どこ?」
私に怯えることもなく、相変わらず感情の読めない淡々とした声だった。
「ここは私の住処だ。意識を失ってしまった少年を私が運んだんだ」
「あのまま放っておいてくれればよかったのに…。僕はもういらないんだ。いなくなったほうがいい」
こんな幼い少年が、自分の居場所はもう無いんだと、死を望んでいる様子を見つめていると胸がチクチクと痛んだ。
まただ、心が、忘れていた何かを刺激している。
しかし…、たかだか10歳前後の少年が、たった1人でこの森深い場所まで来たとは思えない。
誰かに守られてここまで来たのではないだろうか?
「だが、君1人でここまで来たわけではあるまい?途中まで誰かと一緒だったんじゃないのか?1番近い街から森の入り口までは馬で飛ばしても3日はかかるのだから」
少年は少し思案した後に、俯いてしまった。
「どちらにしろ、ここまでは誰もこない。ゆっくりと休むといい。」
下を向いたままの少年が小さな声で囁くようにお礼を言った。
***
あれから6日、ゆっくりとした時間を2人で過ごしていた。
最初は言葉少なめだった少年だったが、今では日常会話をするぐらいには打ち解けていた。
お互いの事を深くは語らないが、穏やかな毎日だ。
そうそう収穫があった。
少年の名前はルーと言うらしい。
会話の最中に、うっかり自分のことをルーと呼んでしまったのだ。
おそらく、前は日常的に使っていたのだろう。少し気を許してくれたようで嬉しかった。
***
ルーと過ごし始めて7日目の夜中、小屋の周りに敷いた結界に反応があった。
ピリピリとした反発を体に感じる。
3日目から一緒のベッドに眠るようになったルーは、小さな体を丸めて気持ちよさそうに眠っている。
私はルーを起こさないようにそっとベッドを降りると、小屋の外に出た。
目に見える範囲に変化はない。
だが、結界に反応があった場所に人の気配がする。
2人?いや…、3人だ。
ルーを追ってきた人間かも知れないと思うと放ってはおけなかった。
人間に見つからないように、木の上からそっと様子を伺う。
「子供1人でそんなに遠くまで行けないはずだ。」
「あれから一週間だ。もう死んでるんじゃないのか?」
「もう帰ろうぜ。この森はやばいって」
ふむ。やはりルーの追手らしい。
帰ってくれるなら、その方がいいに決まってる。
この森で無闇な殺生はしたくない。
人間達は、これ以上森に潜ることを諦めたようだ。
立ち去る人間達を見届けた後、私も小屋に戻ることにした。
小屋の前に戻って来た私を出迎えたのは、不安気な顔をしたルーだった。
いつの間に起きたのか、外に出てキョロキョロしている。
「ルー、こんな時間に外に出ると風邪を……!!」
体に小さな衝撃が走り、最後まで言えなかった。
ルーが私に抱きついてきたからだ。
「ルー?」
そっと頭を撫でながらルーの顔を除きこむと……!!泣いている!なぜ!?
「ルー?どうした?何かあったのか?」
なんか焦るんですけど…。
泣いているルーを、どうしていいかわからず、優しく頭を撫で続けた。
腰に抱きつかれたまま、このまま外にいればルーの体が冷えてしまう。
ほんとうに風邪を引かせてしまいそうだ。
私は人ではないので風邪など引かないが、ルーは人の子だし、まだ幼い。
夜の森はとても冷え込んでいる。
やっと元気になってきたのに、風邪など引かせられない。
「ルー?小屋に入ろう。ほんとうに風邪を引いてしまうよ?」
「 」
小さな声だったが、それはルーのほんとうの心の叫びだった。
「置いていかれたのかと思った…。」
一週間共に暮らして、知ったつもりだったルーの事。酷く大人びた子で、私を困らせることはしない子だった。
それなのに、1人置いていかれる恐怖とずっと戦っていたのか?
なんて健気で愛しい存在だろうか。
そうか、忘れていたのは感情。ルーが私に思い出させてくれた。
これが、『愛しい』とゆうこと。
「ルー、私はここにいるし、ここに帰ってくる。1人じゃないよ」
その言葉にルーは顔を上げ、私を見上げた。
「め、目が覚めたら、誰もいなくて、外に出てもいないし、ま、また、ひ、1人に、っって、ヒック、ヒッ、うわぁぁぁぁぁん」
淋しくて悲しくて、毎日不安だったんだろう。
私はルーを抱きしめながら、そっと抱き上げ小屋に入り、ベッドに腰を下ろした。
「ほら、ルー。もう泣かないで」
とろけそうなほど潤んだ瞳を覗きこみながら優しく語りかけると、安心したのか気の抜けた顔で笑いかけてきた。
「ここにいてもいい?」
ルーはまだ不安なのか、私に抱きついたまま瞳を潤ませている。
「大丈夫。私はここにいるし、どこにもいかない。ルーの側にいる」
私の言葉を聞き、やっと涙を拭い抱きついていた手を離した。
「ねぇ、名前はないの?」
確かに、ルーをこの森で拾ってから7日になるが、まだ名を名乗っていなかった。うん。自己紹介は大事だ。
しかし、人の子に無闇に名を明かすことはできない。だが、名がなければ呼べない、ふむ…。
「では、ヴィーと呼ぶといい」
ルーは何度かモソモソと名を呼ぶ練習をすると、輝かんばかりの笑顔で私の名を呼んだ。
「ヴィー!」
「ん」
「ヴィー!」
若干苦笑しながらも答えてやると嬉しそうに抱きついてきた。