鈴木紀夫さんを知ってますか? 旅行家 冒険家 小野田さんを発見した人です
ふらりと旅に出るのが好きな青年だった、
といってそこらの近所ではない。
アフリカ中近東、ヨーロッパなど
アルバイトをしてはお金がたまると
ふらりと
世界放浪の旅に出るのである。
いまどき
こういう青年って結構たくさんいますよね?
インド放浪や危険な中近東あたりを意味もなく?放浪したり、
挙句ゲリラに拉致されて身代金を要求されたりして新聞紙上をにぎわしたりしますね。、
現在ではその評判はあまり芳しくはありませんが、
さて話は1960年代です。
まだ一般人が外国旅行に行くなんてとても珍しくて
それこそ月旅行でも行くような、わくわく感があったころ、
そうです。
その走りが1960年代でしょうか?
1960年代、
たとえば
小田実の
「何でも見てやろう」という旅行記や、
五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」とか
『青年は荒野を目指す」などで刺激された
この臆病者の
私でさえ
世界放浪に出かけようかと思ったほどですから。
鈴木青年もそんな青年の一人だったのかもしれません。
でも、もし小野田少尉を発見していなかったら
全く無名で
人知れず
世界放浪して他の多くの放浪青年のように
どこかの異郷で
ひっそりと果てていたのかもしれません。
当時、小田実を気取って世界旅行放浪に出かけて
異郷の地で無名に死んだ青年が実はたくさんいたそうです。
しかし鈴木紀夫青年は、世紀の大発見である
小野田さん発見にかかわったために
こうしてウイキペディアに乗るまでになったわけですね。
小野田さん発見後は
彼は雪男の発見に情熱をもやし
定職につくこともなく
とうとうヒマラヤの山中で遭難して亡くなっていますね。
38歳でした。
でも、
彼としては大往生だったのではないでしょうか?
大好きな放浪の途中で亡くなったのですから。
昼はありきたりの仕事で働き
家に帰ればテレビとビールの晩酌で
その生涯を費やしてしまうのが実態ですね?
それに比べれば彼の一生は
自分の好きな通りに燃焼して果てたのですから
もって瞑すべしでしょうか。