第八十七話「手掛かり」
「…………」
ペラ。
「…………」
ペラ。
部屋の中には本をめくる音だけが聞こえている。
ジョアンの許可を貰ったミズハとブレアは、城の中にある資料室に籠り、片っ端から資料を漁っていた。
バルゼンド帝国にもリディア共和国同様に多くの資料が保管されていた。しかし、ミズハ達が求めている情報はまだ見つかっていない。
二人もそう簡単に見付かるとは思っていない。そんな簡単に見付かれば、誰もが『竜の血』を使おうとするだろう。解毒方法があれば、誰でも使用できるのだから。
彼女達が資料室に籠ってから数日。資料室の中は散らかり放題で、足の踏み場も殆どない。
コン、コン。ガチャ。
ノックの音が聞こえ、返事を待つことなく部屋に入ってくる。二人は気付いていないのか、意識を向けることもなく資料に没頭している。
入ってきた者は二人の態度を気にすることなく、部屋の中を進んでいく。
「そろそろ休憩されてはどうですか?」
部屋に入ってきたのは、クッキーと紅茶を持ってきたメイドだった。メイドは空いているテーブルに持ってきたものを置き、準備を進めていく。部屋の中にはクッキーと紅茶の良い匂いが漂っている。
その匂いに釣られるように、二人は本から顔を上げた。
「ああ、もうそんな時間か」
「お腹すいた」
凝り固まった身体を解す様に腕を回し、休憩の準備に入る。ペンを置き、クッキーと紅茶が置いてあるテーブルに集まる。
二人が椅子に座るのを確認し、メイドはカップに紅茶を注いでいく。注いでいる間にブレアは目の前に置いてあるクッキーをパクパクと食べていく。その姿はとてもかわいらしい。メイドもついつい微笑んでしまう。
コン、コン。
「どうだい? 捗っているかい?」
開いているドアにノックをしながら、ジョアンが部屋の中に入ってきた。
紅茶をもう一つ用意し、メイドは部屋の隅に控えた。
「…………なかなか凄いことになっているね」
部屋の中を見渡しながら、ジョアンは額に汗を流しながら苦笑いを浮かべる。数日前までのこの部屋の状況を思い出し、どうしたら数日でここまでなるのかと驚いていた。
思い出す限りでは、この部屋は人が大の字で寝転がることが出来るほど片付いていたはずだ。
「すまない」
「大丈夫。後で片付ける…………多分」
すまなそうな表情を浮かべるミズハと、未だにクッキーを食べ続けるブレア。
「いや、構わない。好きに使ってもらったらいい」
片手を振りながら応えるジョアン。そこには気にする素振りは一切なかった。
周りの者の中には国の大切な資料を冒険者に見せることを反対している者もいたが、ジョアンは彼女達が恩人であることを伝え、反対していた者を黙らせた。
更に近衛騎士団長であるヨルゲンも賛成に回り、文句を言うものは現れなくなった。
今ではミズハ達が資料室に籠っていることが日常と化している。
「それで、どうだい? 治療方法は見付かったかい?」
「……いや、まだまだだ」
「ヒントすら見付かっていない」
ジョアンの質問に二人は落ち込むことなく答える。
実際スレッドの治療法に関しては、ブレアの言う様に欠片も見付かっていない。
『竜の血』は劇薬であり、一滴でも舐めた者は細胞を破壊され、その命を落とす。あらゆる紋章術が効かず、解毒薬も役に立たない。
過去に『竜の血』を利用しようとした研究者達がいたが、決して成功しなかった。それどころか、実験体が暴走し、研究所そのものを破壊し、周りの建物も破壊し尽くした。
実験体は数分で死亡した。その数分で数百人の犠牲者を出した。
今では研究どころか、その存在すら国が情報を統制することで隠蔽しているほどだ。
解毒薬のない毒の治療法を探しているのに、二人の表情は明るい。
なぜなら、二人は必ずスレッドを治せると信じ、諦めていないからだ。
「だけど、治療のヒントは見付かっていないが、治療できそうな人物は見付かったよ」
「この人」
そう言ってブレアがジョアンに見せたのは、一冊の本だった。本のタイトルは「紋章術と薬の相対効果」。
著書の名前は、カロリーナ・ヘールストレーム。史上最高の紋章術師と呼ばれた女性だ。
数日ぶりに城から外出したミズハとブレアは久しぶりにギルドへと向かった。
二人はスレッドを助けることが出来るかもしれない人物に辿り着いた。カロリーナ・ヘールストレームはフリーの冒険者で、超一流の紋章術師だった。更には薬に関しても豊富な知識を持ち、多くの者を救ってきた。
だが、人を救うことも多かったカロリーナだが、人に迷惑をかけることも多かった。強敵と相対する時、彼女は敵に集中してしまい、強力な紋章術で周りにも被害を及ぼした。
その為、彼女はブレアの様な目を持っていないにも関わらず、『魔女』と呼ばれていた。
今では冒険者を辞め、何処にいるのか定かではない。噂では森の奥で怪しげな実験を繰り返していると言われている。
そこに希望を見出した二人だが、先立つものが無ければ探すことは出来ない。無一文というわけではないが、今の資金では心もとない。
ジョアンは援助すると言ってくれているが、それに甘えるつもりはない。
そこで、クエストを受注し、当面の資金を集めることにした。
「……どれにするかな」
ギルドに到着した二人は、掲示板に張られているクエストを確認する。バルゼンド帝国のギルドもアーセル王国同様、多くのクエストが掲示板に張り付けられていた。
しかし、バルゼンド帝国はアーセル王国とは違い、国とギルドの関係はそれほど良好ではなかった。今ではそれほどでもないが、以前は冒険者と騎士団がいがみ合うことが多々あった。
バルゼンド帝国では昔から騎士団の権力が強く、魔物の討伐などは全て騎士団が行なってきた。
だが、その頃の騎士団は高圧的で、国民からの信頼は低かった。
そこにギルドがバルゼンド帝国まで広がってきた。お金を払うことにはなるが、人を見下すことのない冒険者に国民は次第に頼り始める。
そうなると、騎士団の面子は潰されることとなる。
直接的な対立はなかったものの、冒険者と騎士団の中は良好なものではない。
現在ではジョアンがギルドとの関係を良好にしようと努力しているが、長年の確執を解決することは難しい。
それはクエストにも反映されており、魔物などの討伐クエストに関しては首都の近くではなく、郊外の僻地が殆どだ。
首都近くは騎士団の領分とされ、よほどの自体でもない限り冒険者にクエストが回ってこない。
どれもこれも時間が掛かってしまうものばかりだ。
「あまり時間をかけたくない」
「だな。となると…………この辺りか」
二人が選んだクエストは、首都から一番近い村を襲っている魔物の討伐クエストだった。