第八十二話「守りたい者」
VIPルームの扉を開け、ミラの視界に入ったもの。それは巨大な戦斧を振り上げ、黒い鎧を纏った男の姿だった。
次にミラの視界に入ったものは、男の目の前で身体を硬直させて動くことのできないマドックの姿だ。
マドックの姿は隠れているわけではなかったが、鎧の男の印象が強すぎて、一瞬気が付かなかった。
更に男の後ろでは各国の要人たちが呆然と成り行きを見つめていた。その中にはジャンの姿もあった。
「ッ!?」
ブン!!
風を切る音と共に戦斧が振り下ろされ、男の目の前にいたマドックの身体が二つに分かれた。一瞬で命を失ったマドックの身体はゆっくりと地面に倒れていき、マドックの血が地面を真っ赤に染めていく。
「はあ!!」
戦斧から放たれた衝撃がミラ達に向かってくる。そこに別方向から衝撃が飛んできた。衝撃同士がぶつかり合い、相殺される。
衝撃が飛んできた方を見ると、右手だけで棍を振り下ろした状態のヨルゲンの姿だった。
「はあ、はあ…………」
肩で息をして、額からは大量の汗が流れている。左腕は肘から下が無く、傍から見ると重傷の患者が棍を杖に立ちあがっているようにも見える。
しかし、ヨルゲンの全身からは溢れんばかりの覇気が噴き出している。
「…………ふむ、手応えのある者が現れたか」
兜の奥から低い声が聞こえてきた。殺気も威圧感もないのに、どこか恐怖を感じる。ピリピリとした空気が辺りを支配している。
鎧の男は衝撃を衝撃で持って相殺し、手負いであるにも関わらず力強い覇気を放ち続けているヨルゲンを評価していた。
「ふうー…………」
『…………』
ヨルゲンは軽く息を吐き、全身の痛みを強靭な精神力で無視する。常人なら立つことはおろか、意識を保つこともできない。下手をすると痛みだけで死亡してしまうだろう。
それでもジョアンを護るために、ヨルゲンは気合だけで立ち上がったのだ。
(…………コク)
ミラは視線を部下達に向け、暗黙の合図を送る。部下たちもミラの合図に気付き、タイミングを計っていく。
何とか立っているが、ヨルゲンは満身創痍だ。怪我を負っている状態であってもミラ達よりも実力があるが、それでも目の前の鎧の男には敵わないだろう。
ただやられるのを見ているだけでは意味が無い。
「…………頼みがある。俺が敵を引きつける。その隙にジョアン様達を頼む」
「ッ!? 無茶だよ。あんたのその身体じゃ、あれには勝てない!!」
真っ直ぐ鎧の男を睨みつけながら、ヨルゲンはミラに話しかける。
自分が鎧の男を相手にして、その隙にミラ達がジョアン達要人を助ける。一見無謀な作戦だが、ヨルゲンにはそれくらいしか思いつかなかった。
ヨルゲンの提案に対して、ミラは反対する。目の前の男ははっきりいって規格外で、ヨルゲンが万全の状態であっても勝てるかどうか分からない。どう考えても無理だ。
「無理でも、やるしかない。俺は…………ジョアン様の近衛隊長だ。この身尽き果てようとも、必ずお守りするんだ」
「…………分かったよ。あんたの決意、確かに受け取った。協力してやるよ」
ヨルゲンの言葉を聞き、決意を持って動き出そうとした。鎧の男もそれに応える様に戦斧を振り上げようとする。
「まあ、待ちたまえ」
『ッ!?』
突然聞こえてきた声に緊張感が霧散する。誰もが声の主を探そうと辺りを見渡す。
しかし、声の主は見つけられない。
「ノアか…………」
鎧の男は部屋の隅に出来た影に視線を向ける。すると、陰からゆっくりとノアが現れた。姿を現したノアは楽しそうに鎧の男へと近づいていった。
「なぜ止めた?」
「自分だけ楽しむなんてずるいね」
まるで遊びにあぶれた子どもの様に拗ねるノア。精神年齢の幼い青年の様にしか見えない。
「…………あんたらは何者だい?」
震えながらもミラは鎧の男とノアに言葉を掛ける。
突然のことに頭がついていかない。マドックの死に怪しい二人の男。ノアが魔族であることを知らないミラであっても、拭えない恐怖。
その中で絞り出した言葉だった。
「ん? 僕たち? 僕たちは魔族さ」
『…………』
あまりにもあっさりと正体を明かしたノアに、誰もが呆然と固まる。まさかまともに応えるとは誰も思っていなかった。
ザワ、ザワ。
魔族という単語に要人たちはざわめき出す。
人間にとって魔族とは伝承の中だけの存在であり、実際には存在しないものと考えられている。人の想像が造り出した偶像であると。
そんな伝説の存在を自称する者が現れたのだ。誰もが戸惑っていた。
「…………はあ」
「どうした?」
「楽しもうと思ったけど、それほど楽しめそうにない」
辺りの人間を見渡し、ノアは肩を落とす。
ノアがここにやってきた理由は、強者との戦いである。スレッドとの戦いで得た喜びを再び得るためにここまでやってきた。
だが、周りにはノアに匹敵するほどの実力を有する者はいない。ヨルゲンも強者だが、怪我をしている。ノアを満足させることはない。
これならラファエーレと交代してもらえば良かった。
「…………そう捨てたものでもない」
「ん?」
そう言って鎧の男が視線を向けた先には、杖をつきながらゆっくりと歩いてくるリカルドの姿があった。
見た目は単なる初老の男性であるリカルドだが、その身から発せられる威圧感はノアに笑顔を取り戻させるに十分だった。
「長生きはするものじゃ。これほどの者と相見えることがあるとはのう」
魔族二人を前にしたリカルドの顔には笑みがこぼれていた。
普通なら勝てると思えないほどの強敵を前にしたら、顔は強張り、動きも鈍くなる。人によっては逃げ出す者もいるだろう。
しかし、リカルドは心から喜んでいた。
現役時代にもこれほどの危機感を味わったことはない。戦う前から絶対に勝てないと思う敵はいなかった。
自身が最強だったなどとは思っていないが、それでもそれなりに実力があった。だからこそ大抵の敵はどうにかなった。
勝てないと思う。それがとても楽しかった。
「手を出さないでくれよ。彼は僕の相手だ」
「…………好きにしろ」
ウキウキとしながら前に出るノアに、鎧の男は呆れたように言い放つ。こうなったノアは何を言っても聞かない。好きにやらせるしかない。
鎧の男はヨルゲンの方を向き、戦斧を構える。手負いとはいえ、ヨルゲンの存在も脅威に値する。放っておくわけにはいかない。
「時間だ」
再び何処かから声が聞こえてきた。誰もが辺りの影に注意を向ける中、ノア達の近くに突如男が現れた。
『ッ!?』
一枚の布を組み合わせて作られたような独特な服を着て、目を閉じたままそこにいる。何も言われなければ、僧侶と言われても違和感が無い。
だが、身に纏う雰囲気はノアや鎧の男と同様だった。
「行くぞ」
「少しだけ待ってくれよ。これからちょっと遊ぶんだから」
「駄目だ。目的を達したのだ。これ以上ここにいる必要はない」
不満げなノアだが、僧侶風の男は有無を言わせず下がらせようとする。そんな二人のやりとりを鎧の男が沈黙のまま眺めていた。
周りから見ると、三人は隙だらけに見える。だが、ヨルゲンもリカルドも突撃しない。
普通に話しているように見えるが、その実全くと言っていいほど隙が見当たらない。
「少しぐらい――――」
「駄目だ」
「…………ちぇ、分かったよ」
僧侶風の男の有無を言わさない態度に、ノアは遂に諦め、この場を去ろうとする。
「…………」
本来ならここで逃がすわけにはいかないはずだが、ミラもリカルドも動くことが出来ない。
「それでは、ごきげんよう」
丁寧にお辞儀をしたノアは影の中に消えていき、鎧の男は戦斧で切り裂いた空間の中に入り、僧侶風の男は透ける様に転移していった。
そこに残ったのは、マドック達の遺体のみだった。
『…………』
ミラ達の額には汗が流れている。身体は硬直し、気の弱い者は身体が小刻みに震えていた。
ノア達が消え去った後もしばらくは動くことが出来なかった。