第七十八話「敗北」
「…………」
その姿からは不気味な雰囲気しか漂っていなかった。
スレッドはローブの男に注意を向けながら、体力と魔力の回復に努めていた。
合体紋章と大型の紋章術を使用したことで体力も魔力も底をつきかけている。今なら街のチンピラですら勝てるかどうか分からない。
そして、視線の先に見える男は万全の態勢でも勝てないかもしれない。
少しでも時間を稼がないといけない。
「何者だ、てめえ」
「貴様に応える義理はない…………が、私の研究に対抗できる人間がいるとは思わなかった。それに敬意を称し、自己紹介程度はしてやろう」
無機質な声がローブの奥から聞こえてくる。感情を感じられない声だが、口調だけはスレッドの実力に驚いているようだ。
「私の名はラファエーレ・ミュラー。魔族の一人である」
「魔族だと!!」
魔族という単語を聞き、スレッドは以前に戦ったノアを思い出していた。
強者との戦いに至上の喜びを見出し、楽しむためだけにあらゆるものを利用する。姿形は人間に似ていたが、それでも化け物と言うに相応しい力を持っていた。
そんなノアと同じ魔族。それが今スレッドの目の前にいるのだ。
「…………」
「私はノアの様に甘くはない。殺せる時に殺すつもりだ」
ローブの奥から聞こえてくる声には絶対的な冷たさを感じる。ノアの様に楽しもうという考えは一切見えない。
この場で確実にスレッドを殺すつもりだ。
しっかりとラファエーレを観察し、活路が無いかと探ってみる。
(…………隙が無い)
ただそこにいるだけなのに、隙が全く見えない。更にローブの周りに漂う膨大な魔力がスレッドを威圧し、その威圧にスレッドは額に汗を流す。
「さて、話は終わりだ」
ラファエーレはローブから右手を出した。その手は人間と何も変わらなかった。
掌を空に向け、力を集中させる。集中された力は光球となり、光球は徐々に大きくなっていく。
ラファエーレは直径10センチほどになった光球を氷漬けになったエリックに向けて投げ飛ばす。光球は氷をすり抜け、巨体へと吸い込まれていった。
そして、エリックの巨体は変化し始めた。
「なっ!?」
「成功の様だな」
光球を取りこんだエリックの身体は小刻みに振動しながら徐々に小さくなっていく。膨れ上がった身体が圧縮されていき、人の形を取り戻していく。
最終的には普通の人間と同じ大きさまで戻った。
「…………」
姿形はエリックそのものだが、雰囲気が違っていた。以前は生気のない、まるで死んでいるかのような雰囲気を全身から溢れ出していた。
今はラファエーレと同じく魔力が全身から溢れ、凄まじい威圧を放っていた。
「――――!!」
エリックは獣の様な叫び声を上げる。叫び声はエリックを囲む氷の壁を震わせ、氷に罅を入れる。
パキィィン!!
罅は徐々に大きくなり、最後には氷の壁を割っていった。
「があっ!!」
「なっ!?」
ドン!!
氷が割れると同時に、エリックはスレッドの目の前に移動した。スレッドはそのスピードに反応できず、エリックからの攻撃を喰らってしまう。
構えも何も無い単なる暴力がスレッドに襲いかかる。隙だらけの大振りの拳だが、疲労しきっているスレッドには回避することが出来ない。咄嗟にガードしようとするが、間に合わずに拳がスレッドの左肩に直撃した。
「ぐふっ!!」
激しい痛みに顔を歪める。踏ん張ることが出来ず、後方へと吹っ飛ぶ。
痛みに耐え、何とか空中で体勢を整えようとする。だが、エリックはその隙を見逃さなかった。
「…………」
やはり無表情のまま吹っ飛んだスレッドに近づき、蹴りを入れる。
「ッ!?」
スレッドは咄嗟に腕を盾にしてガードする。残り少ない氣を腕に集中させ、エリックの攻撃に備える。
しかし、スレッドの防御力以上の攻撃がスレッドの腕にヒットする。
ガードしている腕に衝撃を吸収しきれず、上半身にダメージが与えられる。内臓にまで衝撃が達し、口の中に血の味がした。
スレッドは壁にぶち当たり、そのまま地面に崩れ落ちる。
「ぐっ…………がはっ!!」
口から血を吐き、意識が途切れそうになる。だが、意識を手放すわけにはいかなかった。
更に追撃しようとするエリックは、右手に魔力を集中させ、魔力を物体へと変化させていく。変化した魔力は剣の形となり、スレッドに向かって突きを繰り出す。
それを紙一重で回避し、少しでも反撃しようと蹴りを入れる。
「…………」
「嘘…………だろ」
疲労していて全力ではないとはいえ、かなりの威力のある蹴りを入れた。多少なりともダメージを与えられるはずだった。
しかし、エリックは回避どころかガードすらしなかった。まともに蹴りがヒットした。したが、エリックにはダメージが欠片も与えられなかった。
あまりのことにスレッドは動揺してしまう。その動揺がいけなかった。
ヒュン!! ザシュ!!
呆然としたままのスレッドは肩から腰にかけて袈裟斬りされた。血が飛び散り、激痛が身体を襲う。そして仰向けに倒れた。
「どうやら終わりの様だな」
上空から戦いを眺めていたラファエーレは、喜びも落胆もない声で終わりを告げる。この状態からどうあがいてもスレッドの勝ちは無い。
目的を達成させるため、エリックに命令しようとした。
「…………出来れば…………使いたくは、なかった」
蒼い空を見つめながら、スレッドは掠れた声で呟く。そこには絶望は無く、決意の表情があった。
「無駄だ。人間のお前ではこいつに敵わない。諦めて、死ね」
「…………見せてやるよ、人間の底力を」
ゆっくりとした動きで、懐から一つの小さな丸薬の様なものを取り出した。その玉は燃える様に紅く、まるで毒薬の様だ。
カリ。
紅い玉を口に入れ、噛み砕く。そのまま飲み込み、ゆっくりと起き上がる。その間ラファエーレもエリックも動くことはなかった。いや、動けなかった。
スレッドから発せられる何かによって。