第七十七話「動き出す」
『スレッド!!』
リング上に強大な氷像が出来上がった頃、ミズハとブレアが観客席からスレッドの名前を呼んだ。どうやら観客の避難は終了したようだ。
二人の姿を確認したスレッドは、二人に向かって声を掛ける。
「ミズハ!! ブレア!! 二人はジョアン達を頼む!!」
「スレッドはどうするんだ?」
「俺はまだやることがある」
そう言ったスレッドの額には汗が流れている。先ほどまで冷気を纏っていたとは思えない。
だが、観客席からは遠すぎて分からなかった。
「頼んだぜ」
「……任せろ」
「……気を付けて」
二人とも何か言いたそうだったが、その気持ちを抑えてVIPルームに向けて走り出した。
「…………はあ、はあ」
ミズハ達の姿が見なくなったのを確認し、スレッドは膝を折って疲労を露わにした。
合体紋章に加え、大型の紋章術を使用したのだ。決勝戦での戦いと合わせて大量の魔力を失い、全身から力が抜けていく感覚だ。
立ち上がるのすら辛い。
こんな姿を見られたく無くて、スレッドはミズハ達を先行させた。息が切れるほどの疲労では彼女達についていくなど出来ない。
この場で少しでも回復しなければならない。
大気中に漂うマナを取りこむ。マナを体内で魔力に変換し、更に氣を循環させて体力の回復を図る。
(……30%といったところか)
自分自身で身体を確かめる。本調子には程遠いが、それでも動けないほどではない。
この場を兵士に任せて、ミズハ達を追いかけようとした。
「ふむ、これはまたとないチャンスの様だ」
「ッ!?」
突然上空から聞こえてきた声に臨戦態勢を取ろうとした。だが、身体はまともに動かなかった。立ち上がって振り返っただけで、構えを取ることすらできない。
そこには、全身にローブを被い、不気味な雰囲気を纏った人物が空に立っていた。
「あたいはVIPルームに向かう。ダニエルは執務室。問題はあるかい?」
「いえ、問題ありません。あるとすれば隊長が凡ミスをしないかです」
「…………あんたはあたいをどう思っているか、よーく分かったよ」
時間は決勝前まで遡る。
城のすぐ近くの森の中。ミラ達は城に侵入するための準備を進めていた。
ミラは目の前で含み笑いをしている副隊長ダニエル・フライを半眼で睨みつけていた。睨みつけられたダニエルは、苦笑しながら肩を竦める。
森の中にはミラとダニエルを合わせて十二人の兵士がいる。この十二人を二つに分け、城へと侵入していく。
突入部隊としてはかなり少数だが、彼らは選び抜かれた精鋭であり、これから行なう作戦にはむしろ少人数の方が動きやすい。
ミラ達がVIPルームに行ってマドック達を抑え、各国の要人を救出する。ダニエル達がマドックの執務室に侵入し、研究資料などを押収する。
本当ならば少数で執務室だけを調べる予定だったが、大会でマドックが不穏な動きをしているという報告を受け、急遽VIPルームに突入することになった。既に信頼できる他の長老から許可を貰い、一時的にマドックを拘束できるようにしている。
「依頼した冒険者から彼の相棒が執務室に向かっていると言われてる。そいつと合流して協力してもらいな」
「了解しました」
昨日の時点でスレッドはミラにライアが城に侵入していることを伝え、何かあった際には合流させるようにしている。そうしないと、彼らがライアを魔物と勘違いしてしまうかもしれないからだ。
「さて、行くよ!!」
『はっ!!』
獰猛な笑みを浮かべたミラの号令に、部下たちも気合いの籠った返事をする。そしてゆっくりと、静かに動き出した。
「一体何が起こっているんだ!?」
「分からん!! 何か起こったことだけは確かだが、正確な情報が入ってこないんだ!!」
闘技場内の医務室も他と同様に騒然としていた。
医務室はVIPルーム同様強固に守られている。緊急時の避難場所としても使用され、今も逃げ遅れた観客が避難している。
その為、今の医務室は定員オーバーの状況だ。
突然のことに医師たちは何が起きたのか分からず、状況を確認しようと大声を上げている。だが、大声を上げるだけでは状況が確認できるわけもない。
医師が慌てることによって、医務室全体の雰囲気が悪くなっていく。
「おい、どうなってるんだ!!」
「助かるんでしょ!!」
「み、皆さん!! 落ち着いてください!!」
避難した観客が兵士に詰め寄る。観客たちの勢いは凄まじく、屈強な兵士がたじろいている。
「…………」
そんな医務室の様子をヨルゲンはベッドの一角で静かに見つめていた。
人々の話しに耳を傾け、情報を収集する。更にその中から必要な情報だけを集めていく。
そして、必要な情報が入ってきた。
「VIPルームからは誰も出てきていない。あそこはもう駄目だ……」
「!?」
兵士が話をしている内容を聞き、動揺する。VIPルームでは、ジョアンが決勝戦を観戦していたはずだ。
そこがもう駄目だということは――――
「…………くっ!!」
痛みを堪え、右腕と上半身だけの力で起き上がる。絶え間ない激痛が全身を駆け巡るが、気合だけで乗り越える。尋常ではない痛みは、常人では気絶してしまうほどだ。
壁に立てかけてある棍を杖代わりにして、入口に向けて歩き出した。
「!? 何をしているんですか!!」
ヨルゲンの姿を見つけた看護師が怒鳴りながら慌てて駆け付ける。
「直ぐにベッドに戻りなさい!!」
「…………俺は行かなければならない」
「何を言っているんですか!! 貴方は重傷なんですよ。絶対安静にしていなければなりません!!」
本来ならば動けない、動いてはいけない重傷なのだ。看護師として見過ごすわけにはいかない。彼女はヨルゲンを睨みつけながら立ち塞がる。
しかし、ヨルゲンは決して引かなかった。
「俺は、バルゼンド帝国近衛騎士団長。ジョアン様の危機ならば、どんな状況でも駆けつけるのみ!!」
「ちょ、ちょっと!?」
立ちはだかる看護師を押しのけ、ヨルゲンは医務室を後にした。その足取りは大怪我をした人間の動きとは思えない、しっかりとしたものだった。
こうして、今回の登場人物全員が動き出した。