第六十三話「予選開始」
「それでは……始め!!」
ゴオオォォン!!
試験官が開始の号令を発すると同時に合図である鐘が高々と鳴らされた。鐘の音は予選会場全体に響き渡り、その音を聞いた参加者は動き出した。
「覚悟ー!!」
スレッドの周りの参加者も動き出した。
目に付いた参加者に攻撃し、次々と倒されていく。刃を潰した武器を使用している為死者は出ていないが、中には結構な怪我をしている者もいる。
怪我をした者は控えていた救護班が安全地帯に運び、治療していく。隅で控えていた紋章術師が治癒の紋章を施す。
だが、次々と運ばれてくるのでなかなか治療が追いつかない。
(さて……)
周りにいた参加者がスレッドに対して一斉に攻撃を仕掛けてきた。
他の参加者は殆どが武器を手に持っている。刃が潰れていても、攻撃がヒットすればかなりのダメージを受ける。
スレッドは武器を持っていない。武器を持っていない奴は、他の参加者にとって格好の餌食だ。開始する前から各々が観察し、目を付けられていた。
暗黙の了解なのか。示し合わせたように参加者はスレッドを最初の的としたのだ。
「ふう…………」
軽く息を吐き、重心を下げる。拳を軽く握り、相手の動きを確かめる。
「おらぁ!!」
幾つもの武器が振り下ろされた。勢いよく振り下ろされ、スレッドに迫る。傍から見ると早く見えるが、スレッドからしたら遅いぐらいだ。
だが、振り下ろされた武器はスレッドをすり抜けた。
『!?』
そこにいるのにすり抜けていく。誰もが驚かずにはいられなかった。目を凝らして見てみると、スレッドの身体は透けて見える。
数秒後、スレッドの姿は薄くなり、完全に消えてしまった。
「ゆっくり休みな」
『ぐふっ!?』
次の瞬間、スレッドは男達の背後に現れた。そこから首に攻撃を加え、気絶させていく。気絶した男達は地面に倒れ伏し、失格となった。
参加者たちが攻撃したのは、スレッドの残像だ。特別な歩法で移動することで残像を造り出し、敵を惑わせる。
見破ることの出来なかった参加者たちは次々と失格になっていく。
「くそっ!!」
「囲め!! 全員で囲んじまえ!!」
今度は周りを囲むように参加者が移動していく。出口さえなければ、後ろに回り込めないだろうと浅はかな考えだ。
「まだまだ、だな」
再び一斉に攻撃を仕掛けてくる。今度こそ当たると確信した参加者たちだったが、やはり攻撃は当たらなかった。
スレッドは上空へと飛び上がり、攻撃を回避する。男達はその姿を見上げる。
男達はチャンスだと思った。空中に飛び上がって回避したはいいが、空中で上手く動くことは出来ない。このまま少し待てば、スレッドは自動的に降りてくる。そこを攻撃するればいい。
(……とでも考えているんだろうな)
スレッドは下を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。意外と余裕である。
氣を循環させ、外氣が身体を覆う。覆われた外氣はぼんやりと光り、空に飛び上がっている姿は神々しさを感じさせた。
紋章術を使用すれば、空を歩いて移動することが出来る。
だが、今回は紋章術を使わないことを決めていた。この程度の状況、身体能力だけで突破できなければこの先成長など出来ない。
右の拳を軽く握り、外氣を右の拳に集中させる。輝きは更に力を増していき、その光景を見ていた参加者たちは腰が引けてしまっている。
多少は実力がある者は身構えながら後ろへと下がった。
「その程度で良いのか?」
ニヤリと笑いながら、スレッドは地面に向けて拳を振り下ろした。
ドゴオォォォォン!!
『ぐわぁ!?』
拳が直撃した地面はクレーターを造り、石が飛び散って参加者にダメージを与える。
更に爆発した氣が衝撃波となって円状に広がっていく。凄まじい風と圧力が参加者たちにダメージを与え、次々と気絶させていった。
「くっ!?」
「この、程度!?」
石の直撃を受けず、離れていて衝撃が少なかった参加者たちは、多少体勢を崩したものの、それでも戦意は失っていなかった。
「そうこなくっちゃ!!」
嬉しそうに周りを眺めながら、スレッドは内氣を脚に集中させた。変化は全く見られないが、男達はスレッドに対して警戒していた。
トン。
スレッドが軽くジャンプする。
『!?』
次の瞬間、スレッドの姿は残像すら残さず、その場から消えた。辺りを見渡してみるが、スレッドの姿は見えない。
スレッドが消えると同時に、その場にいた参加者たちの意識が無くなった。
「ふう…………」
参加者たちがその場に倒れると同時に、スレッドは姿を現した。
スレッドはジャンプした瞬間、足で空気を蹴って移動した。そのスピードは参加者たちに捕えることが出来ず、消えたと錯覚した。
そして一人一人を丁寧に気絶させていく。その間も移動し続けた為、姿が見えない内に全てが終わったのだ。
手足に集中させていた氣を全身に循環させ、いつもの状態に戻る。
辺りを見渡し、参加者の数を目測で適当に計る。
「…………精々後二十人程度か」
馬車に乗っていた参加者の大体の数を思い出し、残りの数を割り出す。おそらく森の奥へ隠れた参加者たちだろう。
「……探すの面倒臭い」
これからが面倒だと気付き、スレッドは肩を落としながらも森の奥へと進んでいった。
コツ、コツ、コツ。
薄暗い通路をノアが楽しそうに歩いていた。
ノアが歩いている通路は何処かの洞窟の様で、周りはごつごつした岩で出来ている。通路には明かりはなく、真っ暗な中を難なく歩いていく。
しばらく歩いていると、奥の方に微かに明かりが見えた。
明りに近づくと、そこには鉄製の扉があった。
ノアは何の躊躇も無く扉を開けて部屋へと入っていった。
「やあ、久しぶりだね」
「……ノアか」
部屋に入ると、そこは何処かの実験室の様だった。
あちらこちらに怪しげな薬や実験器具が並び、机の上には幾つもの書類が散乱している。実験台の様な所にはあちこちに血が飛び散っていた。
実験台の前には全身にローブを纏った人物がいた。ローブを被っている為、男なのか女なのか分からないが、声から察するに男のように思える。
ノアも眼の前の人物の中身を知らない。知り合った時には既にローブを纏っており、これまで中を見ることはなかった。
更には詳しい素性も知らない。ローブの男も魔族であることだけしか知らない。
だが、ノアにはそんなこと関係ないし、気にもしない。
ノアの存在に気付いたローブの男は振り返り、ノアの左腕を観察していた。
「…………左腕は順調のようだな」
「ああ。キミに直してもらったこれ、なかなかだよ」
スレッドに打ち抜かれ、取れたはずの左腕がそこにあった。軽く持ち上げ、嬉しそうに笑う。
ノアは取れた左腕をローブの男に取り付ける様に頼み、ローブの男は改造の実験を条件に依頼を受けた。
腕が強化されると聞いたノアは、まるで楽しむように改造を受けた。そして以前以上の力を手に入れた。
「リディア共和国で遊んでるんだって?」
「…………遊びではない。実験の最中だ」
遊びに参加できない子どもの様にむくれるノア。治療に専念していた為、作戦に参加できなかったのだ。
そんなノアにローブの男は無機質に答えた。だが、その声には微かに怒りが感じられる。
現在ローブの男は、国を巻き込んだ計画を実行している。
時間を掛けて下準備を行なってきたのだ。遊び感覚で考えられてはたまらない。
「『あの方』の完全復活はもう少しだ。そのような考えでは困るぞ」
「分かっているよ。でもね……僕にとっては楽しいことが全てなんだよ」
「…………」
ローブの男は溜息をつきながらも、ノアがそういう男であることを今更ながらに実感していた。
再び実験台に向き合い、実験を再開する。
「ふう、仕方ない。今回は大人しくしておくよ」
「…………そうしてくれ」
ノアが動けば、自体はどんどん混乱していく。順調に進んでいる計画が頓挫してしまっては元も子もない。
動かないでくれるだけで御の字だ。
「それじゃあ、頑張ってね」
「…………」
実験を再開して、集中しているローブの男に別れを告げ、ノアは自分の陰に沈んでいった。
魔族たちの計画は少しずつ、着実に進んでいった。