第五十四話「別れ」
「…………え?」
突然の事に頭の中が真っ白になった。
背後から紅い槍が過ぎ、テオの胴体を貫く。一瞬時が止まったように誰もが硬直し、次の瞬間には動き始める。貫かれた個所から血が噴き出し、テオの巨体が横に倒れた。
スレッドは言葉を失い、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
「どうして…………」
目の前の光景が信じられなかった。生物の中でも最高クラスに高い防御力を持つアースドラゴン。油断していたとはいえ、こうも易々と攻撃をくらい、倒れていることが。
「ガウウゥゥ!!」
スレッドを護り、周りを警戒していたライアは、後方へと唸り声を上げる。前かがみに構え、いつでも飛びさせる様にしていた。
そこに場違いな声が聞こえてきた。
「や、やったぞ!! アースドラゴンを倒した。これで俺は英雄だ!!」
スレッドの後方、黒ずくめの男達を従えたアドニスが狂ったように笑っている。子どものように喜ぶ姿がそこにはあった。
時は少し遡る。
スレッドがヴィンセンテに助けを呼ぶように頼み、スレッド自身がテオと戦っていた頃、アドニス達は少し離れた場所でじっと機会を窺っていた。
アースドラゴンに対する恐怖は確かにあった。アドニスは勿論のこと、一流の戦士である男達ですらアースドラゴンの放つ威圧感に圧倒されていた。
男達は必死にアドニスを説得した。この場にいるのは危険だ。直ぐに離れた方がいい。万が一アドニスに何かあってからでは遅い。
忠誠を誓っている男たちだからこその説得だった。
だが、アドニスの考えは違っていた。
『アースドラゴンを倒せば、俺は名声をも手に入れられる』
伝説を倒した男。そんな名声が欲しくて、アドニスは男達に残ることを命令した。
そして、機会があればアースドラゴンを攻撃しろ、と告げた。
「し、しかし、ドラゴンを倒すなど……」
「我々の力では不可能です」
どれだけ人間が力を合わせようが、ドラゴンを倒せるはずがない。例えば魔王を倒した戦神アルサムの様に神器を使えば分からないが、それだけの力が無い人間には不可能だ。
「ふん、問題ない。これを使え」
「こ、これは!?」
そう言ってアドニスが取り出したのは、紅い槍だった。槍の長さは50センチ程度の小さいものだが、その身からは異様な氣を発している。
その槍を見た男達はなぜか動揺している。
なぜ彼らが動揺しているのか。それは、この槍がアドニスの実家に納められている家宝のドラゴンスレイヤーだからだ。
ドラゴンスレイヤーとはそれほど珍しい武器ではない。遺跡から数多く発掘され、市場にも幾つか出回っている。現在では解析が進み、人工的にドラゴンスレイヤーを造り出すことが出来るほどだ。
しかし、古代に造られたドラゴンスレイヤーは人工的に造られたものとは別である。同じ力を有しているものの、力の大きさは全くの別物だ。
アドニスが取り出したのは、古代に造られた特殊なドラゴンスレイヤーだ。
男達は家宝を使用することに躊躇したが、アドニスの命令には逆らえなかった。
スレッドと楽しそうに語り合っていたところをドラゴンスレイヤーで攻撃したのだ。
「あっはっは!! これで地位も名声も全てを手に入れた――――ひぃ!!」
『!?』
高笑いを続けていたアドニスは、突然感じた殺気に悲鳴と共に身体を硬直させた。その殺気に反応して各々が武器を構えた。
「…………」
それはあまりにも濃厚な殺気だった。何十人もの殺気を集め、圧縮した様なほど濃厚だった。
アドニス達からはスレッドの背中しか見えない。そこにいるのは、只の人間でしかない。決して天災クラスの魔物がいるわけではない。
それなのに、後ろ姿から目を離せない。身体が動かない。
「…………たかだか、名声の為に」
声からは怒りがこもっていた。静かな声だが、その声には身体の芯から凍りつかせるのではと思わせるほどの怒りが表れていた。
「貴様はーー!!」
スレッドはテオとの戦闘で力を消費していた。限界を超え、死力を尽くして戦った。最早戦闘が行なえる様な状態ではなかった。
それでも、スレッドは動いた。
怒りから湧き上がってくるあり得ないほどの力を身体に宿し、納まりきらない力が溢れだしてくる。
「お前たち!! 俺を護――――」
後ろに逃げ出そうとしているアドニスの命令を聞く前に、男達は動き出す。壁となるように、スレッドとアドニスの間に身体を割り込ませようとした。
だが、全く意味を為さなかった。
「ガウ!!」
ライアが男達を牽制するように紋章術を放ち、牙と爪で攻撃する。腕や足を攻撃し、戦闘不能へと追い込んでいく。
ライアも動ける様な状態ではなかった。それでも、スレッドの怒りに反応し、男達を攻撃する。
その間をスレッドがすり抜けていく。
気付いた時には、スレッドはアドニスの隣に立っていた。
「貴様なんかに!!」
拳を強く握る。まるで怒りを一点に集中さえる様に力を込めていく。
その拳は震えていた。怒りをそのままぶつけるつもりだ。しかし、スレッドは先ほどの口調とは違い、静かに告げた。
「殺しはしない。俺は貴様らとは違う。偽善だと言われようとも構わない。だが、その代わり――――地獄を味あわせてやる」
拳が振り下ろされた。
「テオ!! しっかりしろ!!」
《ぐっ、少々油断したようだ》
アドニスと黒ずくめの男達をぶっ倒し、すぐさまテオの元に駆け寄ってきた。
怒りの鉄拳をぶち込み、一人一人丁寧に動けないほどの攻撃を加えた。殆どの者が骨を粉砕され、苦悶の呻き声を上げている。アドニスに至っては、全身の骨を折られ、あまりの激痛に白目を剥いて気絶していた。
今はライアがアドニス達を見張っている。
テオに近づいたスレッドは、すぐさま治癒の紋章術を発動させようとした。
「待ってろ!! 直ぐに治癒を……」
《無駄だ。最早助からん》
「そんなことは無い!!」
《自分のことだ。分かっているさ》
焦って紋章術を発動させようとしているスレッドに対して、穏やかに淡々と語るテオ。その間にも血は流れ続けている。
治癒の紋章術が発動する。だが、血が止まる気配はなかった。
なぜ紋章術が効かないのか。その理由は、アドニス達が使ったドラゴンスレイヤーである。ドラゴンスレイヤーは他の生物には全く効果が無く、攻撃に使用しても逆に武器自体が破壊されてしまう。しかし、ドラゴンに対しては別だ。
あらゆる法則を無視し、ドラゴンを殺し尽くす。少し掠っただけでも力が発動し、毒の様に全身を駆け巡る。
こうなっては誰にも助けることは出来ない。
それに気付いてしまったスレッドは、手を下して立ち尽くす。身体は小刻みに震え、悲しみが涙となって溢れてきた。
《友よ、泣くでない》
「…………」
《わしはもう十分生きた。最後に最高の友に出会えた。これ以上のものはない》
嬉しそうに語る。まるで寿命を迎えた老人のように穏やかだ。一切の悲しみが感じられなかった。
スレッドは俯いて、何かに耐える様にじっと立っている。
《ありがとう……》
「……礼を言うのは俺の方だ。お前との会話、楽しかった」
互いに笑顔を浮かべる。
それから一人と一匹は最後の時まで、時間を惜しむように語り合った。
ウィールドの森に辿り着いたミズハ達は、血の臭いを頼りにスレッドの元に向かった。
近づくごとに血の臭いが濃くなる。兵士たちはその臭いに顔をしかめる。これほどまでに濃厚な臭いを嗅ぐのは初めてだ。誰もが顔を強張らせる。
しばらくして、スレッドの後ろ姿とアースドラゴンの巨体が見えてきた。
「スレッド!!」
無事であることを確認して、嬉しそうに駆けよっていく。
「来るな!!」
「!?」
いつもとは違う強い口調でスレッドがミズハを静止させる。今まで聞いたことのない声に、ミズハは止まらざるをえなかった。
「少しだけ、少しだけでいい。こちらに来ないでくれ…………」
「…………」
その声からは色んな感情が含まれていることが分かった。
怒り、悲しみ、切なさ、慈しみ、そして友への感謝。
それからしばらく、誰も声を掛けることは出来なかった。
少々強引な倒し方ですみません<(_ _)>