第四十六話「ウィールドの森」
空を歩いているスレッドとライアの眼下には目的地であるウィールドの森が見える。
ミズハと出会ったサルスガの森同様、ウィールドの森にも凶暴な魔物が生息している。その為森の近くには人は生活していない。
人間と魔物の正確な生息圏の線引きはされていない。だが、各々の本能がこれ以上踏み込むことを躊躇させる。故に暗黙の了解のようにちょうどいい距離を保っているのだ。
だが、人間の欲望とは果てしない。どうにか領土を広げることが出来ないかと調査・開拓を進める。徐々に、徐々に進めていく。
しかし、そう簡単にはいかない。魔物が指をくわえてただ見ているわけがない。全力を持って侵入を阻止してくる。
十数年前のことだが、魔物が生息する森に有益な資源が眠っている事を知ったとある王国が資源を手に入れるために森に軍隊を派遣したことがある。一流の紋章術師の部隊も参加した軍旅であったが、結果は惨敗。紋章術師に至っては一人として帰還した者はいなかった。
軍部が壊滅的なダメージを負った王国はその後、森からやってきた大量の魔物に襲われた。護る者がいない国に抵抗する力など無く、王国は地図上から姿を消した。
魔物の攻勢は王国だけではなく、その周辺にも被害を出した。国境沿いの街は外壁があり、何とか生き残ったがそれでも被害は少なくなかった。更に小さな村から一人でひっそり暮らしていた者まで、魔物は見境なく襲いかかった。
各国はこれ以上の被害を出さない為に、森への開拓を禁止する条例を作り、一定以上の地位にある者の許可が無ければ侵入させないことを決定した。
冒険者であっても、簡単に侵入することは許されない。ギルドの許可があって始めて侵入することが許される。
ちなみにスレッドとライアがサルスガの森の上空を歩いていたのは、判断が分かれるところである。
「ライア、どうだ?」
「…………ピー」
「そうか……さて、どうすっかなー」
常に足を動かしながら、スレッドは上空で森を見下ろしながら唸っていた。
スレッドが森に到着して最初にしたことは、ライアの眼を使っての探索だった。
以前にグランドビルドとは一度戦っている。スレッドとライアにはその時の記憶があり、ライアはグランドビルドの姿を覚えている。
その記憶を使って探そうとしているのだ。
だが、鷹の眼を持ってしても見つけるのはなかなか困難みたいだ。
(こうやって一番乗りでやっては来たものの、これだけ広大だと探すだけで一苦労だ)
これからグランドビルドを探すことを考えると、頭が痛くなる。
グランドビルドの生態は、森のあちこちに巣を持ち、巣をランダムに移動していく。移動する途中で獲物を狩り、獲物を巣へと運んで食べる。次の巣へ移動するのも不規則で、待ち伏せすることも出来ない。時間を掛けて探すしかないのだ。
「はあ~…………ん?」
これからどうするか考えていると、後方から騎獣に乗った貴族たちがやってくるのが見える。それなりに急いだつもりだが、そこまでの距離は稼げなかったようだ。
「どうすっかなー……って、何処に行くんだ、あいつら?」
「ピー?」
観察していると、それぞれが森の奥に行くではなく、森の東側と西側に向かっていく。森の淵を沿うように移動していくため不思議でならない。
もうしばらく観察してみると、各々が別々の場所に降りていった。
見に行ってみるかと一瞬考えたが、そんなことしてもしょうがないことに気付く。今は少しでも時間が惜しい。
そうと決まれば、善は急げ、とでもいうようにスレッドとライアは森へと落ちていった。
森の中は意外と明るかった。木々が生い茂っているものの、所々から入り込む日の光が森の中を照らしている。これが夜ならば、おそらく何も見えないほど真っ暗だろう。
日差しはあるが、少々風が吹き、素肌である顔が少しだけ冷たい。その風に運ばれるように微かに自然の香りが匂ってくる。
「…………」
「…………」
辺りに魔物の気配はない。時には降りた瞬間に襲われることも珍しくない。その瞬間が一番油断できないのだ。
数分経ち、時間差でも襲ってくるものがいないことが確認できたところで軽く力を抜く。全て抜いてしまっては、咄嗟の時に対処できない。適度に力を抜くのが基本だ。
スレッドが力を抜いたのを見て、狼の姿に戻ったライアも警戒を弱めた。
周りを見渡してみるが、どちらに向かったらいいのか分からない。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「何か匂うか?」
「ガウ」
眼をつぶって首を振る。どうやらこの近くにはいないみたいだ。
しばらく方法を考えてみる。ライアの鼻が駄目となると、スレッドはお手上げだ。最早運に頼るしかない。
そこで地面に落ちている細長い木の棒を手に持ち、縦にして手を放す。
コテン。
木の棒はスレッドの右側に倒れた。
「…………よし、こっちだ」
「ガウ!!」
何も考えることなく、スレッドは木の棒が倒れた方向へと進んでいった。ライアは疑問に感じることも無く、元気良くついて行った。
「や、やめてくれ!?」
「うわあぁぁぁぁ!!」
「金なら払う!! だから、僕だけでも!!」
男達が悲鳴を上げながら、次々に助けを請う。中には腰を抜かし、声が出せないまま震えている者もいた。
そんな男達とは対照的に、無表情で立っている男達。男達の格好は全員統一されており、全身黒の戦闘服を装備している。手には剣を持ち、その中の数本は既に血塗られていた。その血が地面に滴り、大地を赤く染めていく。
辺りには自然の匂いではなく、血の臭いが充満している。一般人がこの場にいれば、吐いているだろう。それほどまでに濃い臭いだった
ザン!!
ブシュ!!
ベキ!!
肉が切れる音。血が飛び散る音。骨が叩き折られる音。不快な音が森の中にこだまする。静かで、心地よい森はそこには無かった。
「…………」
男達は貴族の助けを全く無視して、機械的に人体を破壊していく。
楽しんで殺しているわけではない。悲しんでいるわけでもなければ、怒っているわけでもない。
そこには感情自体を何処かに置き忘れた殺人人形があった。
「た……す……け……」
最後まで生きていた貴族。彼は下半身が無くなり、上半身の至る所も傷だらけ。血を流し過ぎて意識が朦朧としている。
それでも貴族はなんとか逃げきろうと、両手を使って這っていく。両腕の力は殆どなく、這っている距離も微々たるものだった。
黒ずくめの男は手に持った剣を逆さに持ち、貴族に近づく。そして、剣を振り上げて力一杯振り下ろした。
グサ!!
剣は深々と貴族の身体に突き刺さった。貴族は小刻みに震えた後、命が尽きた。
カア、カア。
数時間後、死体に群がるカラスたちが人の肉を啄んでいる。そこには黒ずくめの男達の痕跡は一切残されていなかった。