第三十九話「帰郷」
アーセル王国の国政は国王フィリプス・ヨルヒ・アーセルと七人の評議会議員によって決定される。評議会議員にはそれぞれ担当があり、国民の陳情などを汲み取り、それを実現することが議員の努めとなる。
アーセル王国は首都モルゼンを中心に七つの地域に区分され、それらを評議会議員が納めている。そこに住んでいる国民から税が納められ、その一部を国庫へ、それ以外を地方の政に注がれる。
ちなみに、全て土地が評議会議員に納められているわけではない。余った土地は国の直轄地となっており、時に王族の休暇地として使われることがある。
だが、誰もがそれほど熱心に政務を行なうわけではない。議員の中には税を着服したり、平民に酷い仕打ちをしたりなど、最低な者も少なくない。
議員は基本的に世襲で交代する。その為長年議員に苦しめられた地方も存在する。
その一方で、非公式ではあるが国の諜報機関があるとまことしやかに噂されている。不正を行なっている議員を調査し、結果によっては国王からの勅命で秘密裏に議員を処断する。表で病死と伝えられた議員は彼らの手に掛かったというのが有名な話である。
七人の評議会議員の中でも真面目で厳格な性格で有名な男、ニクラス・カグラが納めているブルデンス地方。その北西にある街の奥にある一際大きな館。その門の前にミズハが暗い顔をして立っていた。
「…………」
「……入らないのか?」
先ほどから全く動く気配のないミズハにスレッドは後ろから声を掛けた。
バルゼンド帝国の酒場で渡された手紙には、ミズハの父であるニクラスが危篤であり、直ぐに帰ってくるように書かれていた。
文面は緊迫しており、時間が無いように思われた。
すぐさまスレッド達は荷物をまとめ、馬車を乗り継ぎ、先ほどここまでやってきたのだ。
ちなみに、スレッドがミズハとブレアを担ぎ、空を移動するという案も出たには出たが、女性陣の猛反対により地上での移動となった。
「ミズハがカグラ家だったのは、びっくり」
スレッドの横では、ブレアが建物を眺めながら驚いていた。
カグラ家がアーセル王国で有名な一族であることは一般的に知られている。ブレアは長年ギルドに所属し、各国の情勢や歴史などをある程度把握している。だが、カグラ家の令嬢が冒険者をしているとは思わず、ミズハの名前を聞いてもピンとこなかった。
対するスレッドは山で暮らしていたので、アーセル王国の評議会など世情に疎く、ミズハがカグラ家の者であっても、それがどれほど重要なものであることがサッパリわからなかった。
「……分かっては、いるんだがな」
溜息を洩らしながら、見慣れた建物を眺める。眺めれば眺めるほど、懐かしい思い出が頭を過ぎっていく。
生まれてから十数年暮らした家。どうしても感慨深くなってしまう。
暫く門の前で立ち尽くしていると、庭の奥の方から男性が姿を現した。
「お嬢……様? ミズハお嬢様!?」
燕尾服を着て、姿勢の良い白髪の老執事はミズハの姿を見つけると、喜びを露わにして駆け寄ってきた。
「セバス…………」
老執事セバスの顔を見た瞬間、ミズハはここに来て初めて笑みをこぼした。
昔の映像が思い浮かぶ。セバスに幼い頃からお世話になり、色んな事を教わってきた。勉学から刀の扱い方、料理まで執事が教えない様な事まで指導してもらった。
セバスには本当に感謝している。
セバスはミズハの前に来て、目じりに涙を溜めながらその場で頭を下げる。その姿は一流の執事の洗練された動きだった。
「お帰りを、お待ちしておりました。ご当主様もお喜びになると思います」
「……父上は?」
ここまで来た理由、それはミズハの父ニクラスが危険な状態であると知らされたからである。
そうでなければ、ミズハはここに帰ってこなかっただろう。
ミズハの言葉を聞いたセバスは、瞬間顔を歪めたが、すぐさま元に戻した。そしてミズハを館内へと案内しようとした。
「説明は中で行なわせていただきます。こちらへ……」
「ちょっと待ってくれ!!」
一人だけ案内しようとするセバスをミズハは慌てて押し止める。後ろを振り向き、スレッド達に視線を向ける。
「彼らも一緒だ」
ミズハにしたら、スレッド達を置いて行くわけにはいかない。彼らは共に旅する大切な仲間である。
「それは……承服致しかねます。何処の誰とも分からない輩を館に入れることは、カグラ家を守る者として出来ません」
「二人は私の大切な仲間だ。彼らを入れないのならば私も入らない」
毅然とした態度で自身の主張を唱える。セバスはそんな態度に臆することはなかったが、ミズハの性格を知っているが故、このまま話し合ったところで意味がないことを悟った。
セバスが折れるしかなかった。
「…………分かりました。ですが、こちらの指示には絶対に従っていただきます」
「ああ、それで構わない」
「了解」
「ワウ」
多少険のある態度で許可を出すセバス。スレッドは全く気にすることなく、ブレアは無表情で了承の意を告げた。ライアは主人であるスレッドに寄り添うように佇み、静かに吠えた。
「では、参りましょう」
「ああ……」
様々な思いを胸に抱いて、ミズハは数年ぶりに実家へと入っていった。