第三十五話「激闘」
「さて、お待たせしたね」
両手を広げ、スレッド達に近づいてくる。
まるで友人を歓迎しているかのような雰囲気だ。
パシン!!
「おやおや、御挨拶だね~」
赤眼の男に対して拳を振るうスレッド。だが、その拳は男の右手で簡単に受け止められてしまった。
「ッ!!」
全力で振るった攻撃だった。爪が食い込むほどに拳を握りしめ、身体が軋みそうなほどのスピードで男に迫った。
それを驚くほど簡単に受け止められた。
続けて攻撃を行なおうとしたが、瞬間嫌な予感が脳裏を駆け巡った。すぐさま後方へと飛び去る。
「…………」
「へえ~、人間にしてはなかなかいい勘をしているじゃないか」
あのまま攻撃を続行しようとしていたら、男からのカウンターを受けるところだった。
軽く握られた拳を脇で構え、スレッドの腹に叩きこもうとしていた。
スレッドは冷や汗が止まらなかった。
「確かに僕の目的は君たちとの戦闘も含まれている。だけど、その前に自己紹介しようか。あ、ちなみに君達の事は分かってるから、僕からの一方的な自己紹介だけどね」
赤眼の男は恭しくお辞儀をしながら自己紹介を始めた。
「僕の名前はノア・ヴァルカーレ。先ほどの会話からも分かる通りに僕は魔族さ。まあ知能を持った魔物とでも思ってくれればいい。気軽にノアと呼んでくれ」
赤眼の男、ノアからは明らかに友好的な態度が示されていた。気さくな笑みに丁寧なお辞儀。一見すると紳士的な青年にしか見えない。
だが、それは数分間の事だけで、直ぐにノアの表情は好戦的なものへ変化していた。
「それじゃあ、始めようか」
そして、人間対魔族の戦いの火ぶたが切って落とされた。
その光景を、ミズハとブレアは見ていることしかできなかった。
ノアが開始の合図を告げるとともに、スレッドが合体紋章を発動させ、ノアへと攻撃を放った。
激しい攻撃を正確にいなしていくノア。その顔には余裕が見て取れる。
衝撃を生みだすスレッドの腕を横合いから軽く押し、衝撃の行き場をずらしていく。簡単そう見えるが、かなりの高等技術だ。
「はあぁぁぁぁぁぁ!!」
それでもスレッドは攻撃を止めない。
超スピードで放たれた右の拳を簡単に叩かれる前に左脚の蹴りを入れる。蹴りを右腕で受け止められ、逆にノアの右脚がスレッドの脇腹に叩きこまれた。
「ぐっ!!」
合体紋章で防御力も高くなっているとはいえ、ノアの攻撃力はとてつもない。たった一撃で吹き飛ばされてしまう。
すぐさま体勢を整えようとするが、そこにノアの反撃が開始する。
「次は僕のターンかな」
「ちっ!!」
一撃一撃をいなすのが難しい。徐々にダメージが蓄積していき、このまま攻撃を受け続ければ、負けるのは確実にスレッドだろう。
徐々に腕や脚が痺れ、力が入りにくくなっていく。脚が痺れたことで、動きも僅かにだが落ちていく。
再び体勢を整えるために後方へと下がる。今度はノアも間合いを詰めてこなかった。
「ふう……きついな」
「大丈夫か、スレッド?」
あまりに想像を超える光景に動くことが出来なかったミズハ。戦闘が一息ついた所で言葉を発するまでには我を取り戻した。
「強い。さすが魔族といったところだ」
「どうするの?」
二人も戦闘に参加するべきか。先ほどまでの高速戦闘についていけるとは思えないが、このまま戦っても勝機は無い。
勝機が無いなら、駄目でも戦うべきだ。
数秒考えて、指示を出す。
「……少しでいい。時間を稼いでくれるか?」
真剣な表情で時間稼ぎを頼む。
危険な事は確かだ。一歩間違えれば、ブッシャルのように跡形も無く潰されるだろう。それでも二人は、
「了解した」
「お任せ」
笑顔で了承した。
「話し合いは済んだかい?」
三人の意見が纏まるのを待っていたのか、ノアは変わらず笑顔で尋ねてきた。
だが、その立ち姿には隙が全く見えなかった。どのような奇襲を行なおうとも、簡単に受け止められてしまうだろう。
「待たせたな。ここからは私達が相手をしよう」
「油断大敵」
刀を突き付け、杖を構える。美しい戦乙女が二人いる様な光景だった。二人の眼は決意に満ちており、力強い覇気を感じる。
並の魔物なら、二人の圧力に負けて裸足で逃げ出すだろう。
ノアはそんな二人の姿を嬉しそうに見つめていた。
「さて、君たちはどうやって楽しませてくれるのかな?」
腕を組み、眼を細めながらミズハとブレアを眺めている。完璧に二人を舐め切っていた。
「……人間の底力、見せてやろう」
そう言って、ミズハは静かに目を閉じた。身体の力を抜き、自然体で集中する。
「へえ……」
ミズハの身体に変化が生まれた。
髪が紅く染まり、身体の周りに炎を纏う。炎が火の粉を生み、刀身も紅く染まっていく。まるで血に塗られているようだ。
『血の紅』――――カグラ一族に継承される特殊能力。血によって受け継がれた、炎を操る力。
その炎は、物理法則を無視する。あらゆる場所から炎を生みだし、あらゆる場所で炎を消す。それがミズハの炎の力である。
「…………出来れば、見せたくなかった」
そう言ったブレアの顔は寂しさで彩られていた。
だが、次の瞬間にはいつもの無表情に戻り、真っ直ぐノアの姿を見据える。ノアの姿を見据えるブレアの左目は、晴れた空の様な蒼色をしていた。
「君は『魔女の眼』…………うん、うん。思っていたより楽しめそうだ」
『魔女の眼』――――遥か昔、一人の女がいた。その女は世界に存在するマナを見ることが出来た。更にマナを操り、自由自在に紋章術を操った。その強さは人々を恐れさせるほどだった。
故に人々はその眼を呪いの眼――――『魔女の眼』と呼ばれたのだ。
現在でもこの眼を持つ者は呪われているとされ、忌避されている。
二人の力を見ながら、ノアは嬉しそうに頷く。まるで子供がおもちゃを見つけた様に楽しそうだ。
「準備は済んだみたいだね。それじゃあ始めようか」
キィン、キィン!!
本来刀を持った人間に相対するには、武器を持って戦うのが一般的である。鋭い刃を生身で受け止めれば、あっさりと斬り殺されてしまう。
だからこそ武器を持たずに戦うのは愚行としか言えない。
そんなミズハの刀を生身で受け止めるノアにタイミングを計って紋章術を放つブレア。
ミズハの刀に纏う炎がノアの腕を焼き、ブレアの風が両足を掬う。下位の紋章術であるのにその威力は上位以上に相当する。
マナを見ることで、操ることで紋章術を強化させる。それこそが『魔女の眼』の力である。
「炎殺円光陣!!」
横に振るった刀から円になった炎が飛び出した。真っ赤に燃える円は真っ直ぐノアに向かっていく。
その炎をノアは軽々と回避する。
「この程度……っと」
見た目だけの技だとがっかりしたが、直ぐに評価を変えた。
通り過ぎた筈の炎が後ろから帰って来たのだ。更に回避するが、炎は何処までもノアを追っていく。
「この炎は敵を燃やすまで消えることはない」
「……うん、二人も合格だね」
紅い髪をたなびかせながら、ミズハは炎を操る。更に隙を見て刀での攻撃も行なう。
ミズハの戦いを観察しながら、ブレアも隙を見て紋章術を発動させる。
そんな二人を見て、ノアはどんどん嬉しそうにしていく。不気味なほどに。
「それじゃあ、僕も少し頑張ろうかな」
ノアは手の平で迫ってくる炎を握りつぶした。消えることのないはずの炎があっさりと霧散してしまった。
「ッ!?」
あまりの力技に、ミズハもブレアも驚愕で動きを止めてしまう。
だが、それがいけなかった。
ミズハはすぐさま間合いを詰められ、右手で大きく吹き飛ばされた。
「きゃあ!!」
咄嗟に炎で防御したが、その炎ごとミズハは宙へと飛んだ。
攻撃の衝撃で身体が痺れて、このままでは受け身が取れない。床に激突すると思い、目を閉じてしまう。
「…………?」
衝撃が来ない。ゆっくりと目を開けると、スレッドの顔が見えた。
「大丈夫か?」
「え…………あ、ええ!?」
ミズハは自分の今の体勢を見て、顔を赤くして慌てた。戦闘中とは思えない雰囲気だ。
それもそのはず。今のミズハはスレッドに背中と足を持って抱えられている。所謂「お姫様抱っこ」である。
さすがにミズハとしても恥ずかしいものがあった。
「後は任せろ」
ミズハを降ろして、ノアに立ちはだかる。その瞬間、ミズハは少しだけ残念そうな表情を浮かべていたが、ノアに意識を向けていたスレッドには分からなかった。
「準備は出来たのかい?」
「ああ、今度こそてめぇをぶっ飛ばす!!」
スレッドとノアは互いに不敵な笑みを浮かべ、二度目の戦いを始めた。