第三十二話「罠」
「はあ、はあ…………ライア、待って、くれ」
「ワウゥ……」
自室を抜け出し、皇帝の自室を目指すジョアン。出来るだけ見付からないように移動しているが、それでも数人の兵士に見付かってしまった。その度にライアが気を逸らし、ジョアンが兵士を気絶させる。
戦闘能力は高くないジョアンだが、普段から稽古はしており、それなりに戦うことが出来る。
ライアの助けもあり、もう少しのところまで来ることが出来た。
だが、慎重に進んでいる故か、かなり息が上がっていた。
(後少しで辿りつける)
間もなく皇族と近衛だけしか入ることが許されない区画に到達する。そこに辿りつけば発見される確率が下がるが、近衛に見付かればジョアンでは決して敵わない。
ライアに頼ることも出来るが、囲まれればそこで終わりだ。
ここからはこれまで以上に慎重さが要求される。
息を整え、ジョアンとライアは奥へと進んでいった。
「…………よし」
皇帝の部屋に辿り着いた。幸いにして近衛に見付かることなく、辿りつくことが出来た。ライアの警戒と誘導によるところも大きいが、それでも運が良かったのだろう。
部屋の前にも警護の人間はいなかった。警護の人間がいないことは不自然だが、今はいない方が好都合だ。
扉に近づき、左右をしっかりと確認する。
「…………」
部屋に入ろうとノブに手を掛けるが、開けることが出来ない。
眼の前の部屋に来ることが目的だった。ここに突入し、皇帝に承認を得る。そうすれば全てが解決する。祖国を、国民を守ることが出来るのだ。
だが、その先には皇帝としての重責が待っている。それを考えると、安易に開けることが出来ない。
「…………ワウ?」
「大丈夫。ありがとう」
心配するライアに、笑顔で応えるジョアン。
いつまでもここで戸惑っているわけにもいかない。ジョアンは部屋に飛び込んだ。
「父上!!」
部屋に入ると、そこにはジョアンにとって予想外の光景が広がっていた。
「よくいらっしゃいました、ジョアン様」
「!?」
部屋の中にはいると、そこには近衛を連れたブッシャルの姿があった。その横には、見覚えのある顔があった。
「マルク……」
「…………」
そこにいたのは、ジョアンの異母弟、マルク・ド・バルゼンドだった。
マルクは感情を無くしたように立ち尽くし、光のない瞳で目の前を見つめている。小柄な姿からは生気が全く考えられなかった。
そして、皇帝フィカルドはその部屋にいなかった。
「ブッシャル!! これはどういうことだ!!」
「どういうこと、とは?」
「なぜこの部屋に父上がいない!! どうしてマルクがここにいる!!」
「フィカルド様には別の部屋に移っていただきました。マルク様はこれより皇帝継承を行ないますので、この部屋にお越しいただきました。これでよろしいですかな?」
「なに……?」
ブッシャルは満面の笑みでマルクの横に立ち、大きく手を広げながら語る。まるで役者の様な動きだ。
「あり得ない。皇帝になるには証が必要だ。証なく継承は行なわれないはずだ!!」
「……既にフィカルド様の許可もいただき、長老会の認可も受けました。これは決定事項なのです」
絶対的な自信をのぞかせて、ブッシャルはマルクの正統継承を宣言する。
皇帝になるには『皇帝の証』と現皇帝・長老会の承認が必要である。それら一つでも揃わないと皇帝になることは出来ない。
だからこそジョアンの言葉が正しいはずだ。
「ジョアン様にはもっと良い場所にご招待させていただきます。さて、マルク様。皇帝になって初めての仕事ですよ」
「…………」
「マルク…………」
ただただ立ち尽くしているマルクに、ジョアンは悲しそうに名前を呼んだ。
彼らは皇帝継承で争われているとされていたが、実際にはそれなりに仲が良い。子どもの頃から一緒に遊んだこともあり、継承争いが始まる前まで交流があった。
そんな弟が操られて、ブッシャルの言うとおりに動かされている。
マルクは一歩前に立ち、身体を振るえさせた。
疑問符を浮かべて見ていると、マルクは魔物に変化していった。
ジョアンには分からなかったが、マルクの姿はスレッド達が戦った魔物によく似ていた。兵士が緑色をしていたのに対して、マルクは真紅の魔物へと身体が改造されていく
「――――!!」
「そんな…………」
ジョアンは呆然とその光景を見つめていた。人間が魔物に変化する。それはジョアンに衝撃を与えた。
そんな呆然とするジョアンをよそに、マルクは雄叫びを上げながらジョアンへと襲いかかる。
「くっ!!」
素早い動きで近づき、鋭い牙でジョアンの身体を噛み砕こうとする。
ジョアンは咄嗟に剣を抜き、マルクの攻撃を受け止めようとする。
キィン!!
だが、強靭な鱗に刃が弾かれてしまう。ジョアンの手から剣が飛び、地面へと突き刺さった。
弾かれた反動でジョアンは床へ倒れてしまった。
「――――!!」
「くそ!!」
「ガウ!!」
襲いかかるマルクにライアが紋章術を放つ。
地面に向けて放たれた土の紋章が地面から尖った岩を生やした。鋭い岩はマルクに直撃するが、ダメージを与えることが出来なかった。
「――――!!」
ライアの攻撃をものともせず、再びジョアンに向かって腕を振り上げた。
最早間に合わない。そう感じたジョアンは眼を瞑って、自分の死を悟った。
いつまで経っても痛みを感じない。
「…………?」
ゆっくりと眼を開くと、そこには拳を突き出したスレッドと棍を構えるヨルゲンの姿があった。
「スレッドにヨルゲン?」
「ジョアン様!! ご無事ですかーー!!」
呆然としているジョアンにヨルゲンが抱きついてくる。顔を涙で濡らし、直視するには遠慮したい状態で。
あちこちと身体を触りながら、怪我はないか等矢継ぎ早に質問してくる。とても暑苦しい。
正直言うと、勘弁願いたかった。
「どうやら間に合ったようだな」
正面に警戒を続けながらスレッドもジョアンの状態を把握する。
二人に遅れる様にしてミズハとブレアが部屋の中に入ってくる。二人も魔物に警戒しているようで、それぞれ武器を構えている。
「これはこれは、ご招待していないお客様がいらっしゃったようだ。マルク様、彼らの排除もお願いいたします」
突然スレッド達が現れたことに驚くことなく、ブッシャルはマルクにお願いする。
しかし、先ほど攻撃を受けたマルクの動きが悪い。スレッドの拳とヨルゲンの棍によるダメージがあるようだ。
ヨルゲンはジョアンと立ち上がらせ、スレッドと同様にマルクへと注意を向けた。
「ヨルゲン、ジョアンを連れて皇帝とやらを探しに行け」
「いや、しかし…………」
「ここは俺達が引き付ける。今の勝利条件は“ジョアンが皇帝になる”ことだ。それさえクリアしてしまえば、まともな兵士だけでも黙らせることが出来る」
「…………了解した」
一瞬考え、スレッドの提案で問題ないと分かり、ジョアンと共に部屋を出ていこうとする。
「ライア、お前もジョアン達と行け」
「ガウ!!」
ライアの頭に手を置き、ジョアン達についていくよう指示をする。その間にライアの氣と魔力を補充する。ライアの身体は輝きを増し、若干だが身体が一回り大きくなる。ライアは頷き、ジョアン達の後を追った。
「皆…………すまない」
部屋を出る直前、何かを言おうとしたジョアンだったが、スレッドとヨルゲンの会話を聞き、自分がここにいてもしょうがないことを悟る。そして自分自身が皇帝を探しに行くのが最善であることも。
だからこそ、後を任せてしまう三人に対して謝罪の言葉を述べた。
「おやおや、いけませんな。勝手をされては困ります」
さすがにそれを見逃せないブッシャルは、マルクを向かわせようとするが、そこにミズハが立ち塞がる。
「悪いけど、ここは通さない」
刀を中段に構え、紋章術を展開させる。ミズハの重力が弱まり、その周りを重力で強めていく。こうすることで自身の動きを速くし、相手の動きを制限させる。
「ここで貴方達は終わり」
部屋に入る前に構築していた紋章を展開し、高そうな物が置いてないかを確認するブレア。ここにある物一つ壊しただけで、計り知れなほどの弁償をさせられそうだ。
とりあえず眼の前の魔物に集中する。
「まあその辺りはジョアンに弁償させよう。それよりまずは、魔物駆除のお時間だ」
苦笑いを浮かべながら、目の前のブッシャルと魔物に向かって殺気を放つ。
後継者を巡る戦いは、間もなく最終局面を迎えようとしていた。