第二十九話「脱出」
城の中を走っている。
バルゼンド城内は華美とは無縁の造りとなっている。古来より軍部が力を持ち、その影響は城の造りまで反映されているのだ。
豪華な装飾品や美術品は無く、その代わりのように壁に武器が掛けられている。突然敵に侵入を許した際に使用するためである。
壁はレンガむき出しで、無骨な中に歴史を感じさせる。
地下牢から一階に上がり、進んでいくと城門前に辿り着いた。
「ここからお逃げください」
「……いくつか質問」
急いで逃亡を進める兵士に対して、ブレアは目を細めながら質問を投げかける。その表情はいつも以上に無表情だ。
ブレアが質問している間、スレッドとミズハはブレアに任せて成り行きを見守っていた。そこには確かな信頼が見て取れた。
「ジョアンはこれからどうするつもり?」
「ジョアン様はこれより時を待ち、皇帝陛下に謁見する機会を窺うそうです」
あまりぐずぐずしていると、他の兵士がやってきてしまう。兵士は出来るなら早くこの城を出てもらいたかった。
こうしている間にも宰相派がやってきてしまうかもしれない。
それでも丁寧に質問に答えていく。
「報酬は?」
「我々もそれに関して窺ってはおりませんが、ジョアン様が次期皇帝に承認されればお支払いできると思われます」
「そう……最後の質問」
一旦一呼吸置き、兵士を睨みつけながら尋ねた。
「どうして……人間の格好をしているの?」
『ッ!?』
質問された二人の兵士は、言葉を無くして狼狽する。ブレアの言葉にスレッドとミズハも驚いている。
「な、何をおっしゃっているのか、分かりませんね」
ブレアの質問に兵士は動揺を隠せない。それはそうだろう。二人を人間ではないと言っているようなものなのだから。
だが、ブレアの態度にはふざけている雰囲気は感じられない。至って大真面目だ。
更にブレアの追及は続いた。
「貴方達の魔力は人間のそれじゃない」
「…………」
あらゆる生き物には魔力が宿っている。使用すれば減っていき、死んだ瞬間に魔力はマナへと還元する。
また、魔力には特徴があり、種族によって違う。人間には人間の、魔物には魔物の、それぞれに特徴がある。
だが、目の前の兵士は姿が完全に人間であるのに、魔力が人間のものではない。それどころか魔物のものとも少し違う。
これが兵士を人間かと疑った理由である。
「貴方達は何者?」
「……まさか、見破られるとは、な」
「全くだ」
口調が変わる。表情も変わり、先ほどまでの友好的な雰囲気ではなくなった。動揺から笑みに変わり、態度も無礼だ。
兵士二人はスレッド達に向き合い、戦闘態勢に入る。腰から剣を抜きとり、中段に構える。
次の瞬間、信じられない事が起きた。
『なっ!?』
兵士はその姿を変化させていった。
皮膚の表面が鱗に変化し、鋭い爪が生まれる。尻尾が生え、真っ赤な眼が三人を観察する。
まるでサラマンダーを人型にした様な姿だ。
あまりにも不気味な姿に、ミズハとブレアは嫌悪感たっぷりの表情を浮かべる。
「宰相派の人間か」
「予定変更だ。お前達は死んでもらって、その首を皇太子派の人間として晒してやる」
「女は俺達で楽しませて貰おうとしよう」
ミズハとブレアの身体を舐める様に眺め、下卑た笑みを浮かべる。
その笑みに二人は顔をしかめる。男達が考えている事など明らかに下心しかないことは明白だ。
二人の怒りは頂点を突き抜けていた。
「ゲスめ」
男から見ても、目の前の二人は最低の人間に見えた。
ダン!!
スレッドはすぐさま間合いを詰め、拳を兵士の顔に叩きこんだ。
「ッ!?」
「くっくっく。只の人間などにやられはせんわ」
全力ではないが、それなりに威力のある攻撃のはずだった。たとえ身体を変化させたからといっても、並の魔物なら顔を潰すことが出来るほどの威力だ。
だが、兵士は平気な顔で受け止めた。
表面の鱗には傷も無く、衝撃によるダメージも見受けられない。
呆然としているところに剣が迫りくる。すぐさま後方へと飛び退き、構えを取って気を引き締める。
「キリキザンデヤル!!」
理性を無くしたように、言葉が片言になっていく。どんどん魔物へと近づいていく。
再び剣を振るい、反対の腕から鋭い爪が振り下ろされる。
「ちっ!!」
素早く回避し、もう一度踏み込んで今度は腹部に蹴りを入れる。
だが、あまりにも堅過ぎてダメージを与えられない。鱗は全く変形することなく、全く足が入っていかない。
「ムダダ。コノカラダヲキズツケルコトハデキナイ」
「なるほどなるほど」
攻撃の感触を確かめ、頷く。全くダメージを与えられていないが、スレッドは何かを掴んでいる様だった。
一旦下がり、相手を睨みつけながらミズハとブレアに話しかける。
「俺が一匹相手するから、二人はもう一匹を頼む」
「殺す」
「女の敵……切り落とす」
「……ほどほどにな」
不快な視線を受け、更には女で楽しもうとする精神が二人の怒りを最大値まで上げていた。ご愁傷さまとしか言えない。
再び襲いかかってきた魔物にスレッドは拳を連打した。
一見すると、身体の表面には傷一つ付いていない。それでも構わずにスレッドは拳を叩きこんだ。
「ムダダトイウノガワカラナイノカ!!」
相手の言葉を無視して、今度は後ろに回り込んで連打する。一瞬の隙も与えない。
イライラしながら攻撃を繰り返す兵士だが、その攻撃はスレッドに当たらない。スレッドのスピードに全くついていけない。一方的だ。
だが、兵士は攻撃を受けることはなく、自分が負けることはない。このまま続ければスレッドの体力が先に尽き、必ず当たると考えていた。
しかし、その未来はあっさり覆された。
「こいつで、完成だ」
ラストの攻撃を身体の中心に打ち込む。
その瞬間、魔物を覆う大きな紋章が出来上がる。
スレッドは闇雲に攻撃していたわけではない。攻撃をするごとに紋章を描いていき、それを兵士の前後に展開させる。
「お前程度に時間を掛ける気はない。失せろ」
「!?」
完成した火の紋章が業火を生み出し、魔物を燃やし尽くした。二つの紋章が作用し、魔物は逃げ出すことが出来ない。移動しても炎が自分に付いてくる。焼かれている間、魔物は悲鳴を上げ続けたが、次第に消えていった。
火が消えると、そこには燃えカスさえ残っていなかった。
戦闘が終了したスレッドはミズハ達の戦闘を見始めた。
魔物に変化した彼らの身体は、並みの攻撃では傷つかない。刃は通らないし、下位の紋章術程度では掠り傷が精々である。
なのだが――――
「ギャアーーーー!?」
そこにあったのは、狂気であった。
刃の通らない身体をどのような原理か、ミズハの刀が切り刻んでいく。身体のあちこちから緑の血が飛び散る。
下位の紋章術程度では掠り傷なのに、連発しているブレアの紋章術が所々を消し炭のように燃やしていく。
「…………」
その光景を間近で見ていたスレッドは、背中の汗を感じずにはいられなかった。自分の拳では傷一つ付けられなかったのに、二人の攻撃は全てがヒットしている。
何処にそんな威力があるのか。疑問を抱かずにはいられない。
(二人を怒らせないようにしよう)
既に一人で魔物を倒しているスレッドであっても、恐怖を覚える光景だった。
「はっ!!」
「燃えろ……」
最後にミズハが魔物を一刀両断し、ブレアがそれを跡形もなくなるまで燃やし尽くした。
戦いを終え、スレッドは二人に恐る恐る近づいていった。出来るなら、怒りが収まっていることを願って……。