54.挑戦
実演を行った翌日、私は改めて薬師協会に呼び出された。
案内された部屋に足を踏み入れると、そこには一人の男性が待っていた。
眼鏡をかけ、少し伸び放題の茶色い髪を後ろでひとつに束ねた人物だ。白衣は着ているものの、どこか研究室に籠もりきりの雰囲気がある。
私の姿を認めた瞬間、その男性の目がぱっと輝いた。
「やぁ、よく来てくれた! 僕はスウィン! これでも一応、薬師をしているんだ」
そう言うや否や、ずいっと距離を詰めてくる。そして有無を言わせぬ勢いで、手を差し出された。
「……どうも」
戸惑いつつもその手を握ると、スウィンは満足そうに頷き、満面の笑みを浮かべた。
「いいね、その反応! あ、そうそう。僕もルイと同じで貴族の出なんだ。でも今は家を出て、自立して生活してる」
矢継ぎ早に話しながら、こちらの様子を探るように身を乗り出してくる。
「ルイもさ、そういうの興味ない? 家を離れて、自由に生きるってやつ」
「いえ、今のところはありません」
「えー、本当? でもさ、もしその気になったらいつでも言ってよ! 協力するから!」
断ったはずなのに、全く引く気配がない。
「貴族の家を出た生活はいいよー。しがらみも少ないし、何より自由だ! 自分の腕一本で生きてるって実感がね!」
身振り手振りを交え、楽しそうに語るスウィン。見た目のぼさぼさした印象とは裏腹に、とにかく人懐っこい。
こうしてぐいぐい来られるのは、正直なところ話が進むという意味では楽だ。けれど、その分、距離感が近すぎて少し圧が強い。
……ちょっと引き気味になるかも。そんなことを思いながら、私は曖昧に相槌を打った。
「さて、何から話そうかな。君とは色々と話をしたいんだけど……」
「あの……私が呼ばれた理由を教えてくれませんか? なんとなく、想像はつくんですけれど……」
「あー、そうだったね! それはそうと、もっと砕けて話せない? 堅苦しい口調は貴族の時を思い出して嫌なんだよねー」
「えっ、でも……私は年下ですし……」
「職業選定の儀は終わっているんだろう? だったら、同じ成人だ! ほらほら、もっと親し気に!」
圧を強めて言われると断れない……。
「分かった、これでいい?」
「そうそう、その距離感! 貴族ではありえない一般人的な距離感、やっぱりこれだよね!」
「もう、それはいいから! 呼ばれた理由を教えて」
「あー、そうだったね!」
こちらも強気でいくと、スウィンは思い出したように手を叩いた。
「君も察しているとは思うんだけど、ここに来てもらった理由は――ルイに薬の改良を頼むためだよ」
やっぱり、その件だった。昨日の時点でそれとなく示されてはいたけれど、まさかここまで早く話が進むとは思っていなかった。
「驚いた顔してるね。でも、納得はしてるでしょ?」
スウィンはそう言って椅子に腰掛け、今度は少しだけ真面目な顔つきになる。
「まず前提として錬金術は、まだ新しい魔法技術なんだ」
指を一本立て、淡々と語り始めた。
「理論も体系も、検証も、全部が発展途上。便利なのは間違いないけど、実績が圧倒的に足りない。だから、どうしても評価が曖昧になる」
次に、二本目の指。
「『すごそう』『可能性がある』じゃ足りない。協会が動くには、誰が見ても分かる結果が必要なんだ」
スウィンは机に置かれていた資料の束を指先で叩く。
「そこで、既存の薬さ。すでに効果も用途も確立しているもの。傷薬でも、解毒薬でも、滋養薬でもいい」
軽い口調だけど、言っている内容はかなり現実的だった。
「それを錬金術で改良する。効果を高める、持続時間を延ばす、副作用を減らす……方向性は何でもいい」
スウィンはにやりと笑う。
「もし既存の薬より明らかに上等なものが出来たらどうなると思う?」
答えは、考えるまでもない。
「比較が簡単だし、測定も出来る。薬師にも、患者にも、門外漢にも分かりやすい」
彼は楽しそうに肩をすくめた。
「つまり、誰にだって理解できる功績になるってわけ」
机に肘をつき、こちらを真っ直ぐ見る。
「錬金術がどれだけ有用か。君がどれだけ凄いことをやっているのか。それを一発で示せる、手っ取り早い方法だ」
軽口の裏に、協会としての狙いがはっきりと見える。評価、実績、そして技術の正当性。
「もちろん、無理にとは言わないよ」
そう前置きしつつも、目は期待に輝いていた。
昨日の実演を思い出す。あの場で示してしまった結果が、もう後戻り出来ないほどの説得力を持っていたのだろう。
私は小さく息を吐き、覚悟を決める。
「……ちなみに具体的には、どの薬から手を付けるつもりなの?」
スウィンの口角が、さらに上がった。
「いいね、その反応。じゃあ次は具体的な話をしようか」
そう言ったスウィンは棚に近づいて、何かの箱を取り出した。それを机の上に置くと、中を開く。中には小さな紙包みが沢山入っていた。
「これは?」
「これは、一般的な風邪薬。ルイにはまずこの風邪薬の改良から始めてもらいたい」
風邪薬。その言葉を聞いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
解毒薬のように効果が即座に目に見えるものではない。風邪薬は症状を抑え、体の回復を助ける補助の薬だ。
まず、対象となる症状が多すぎる。発熱、悪寒、咳、喉の痛み、頭痛、倦怠感。人によって現れ方も重さも違う。
しかも、治癒の主役は薬ではなく、本人の免疫力だ。薬が前に出過ぎれば体に負担が掛かるし、控えめすぎれば効果を実感出来ない。
下手に強化すれば、副作用が出る。
既存の風邪薬は、その絶妙なバランスの上に成り立っている。長年の試行錯誤によって、効きすぎないという安全性を最優先に作られてきたものだ。
そこに手を加えるということは、その均衡を意図的に崩すということでもある。
だからこそ、改良は難しい。単純に効果を高めればいいわけじゃない。
……でも。
視線を紙包みの一つに落としながら、私は別の可能性を思い描く。
症状を抑えるだけではなく、回復を早める。体力の消耗を抑え、日常生活への復帰を助ける。
あるいは、眠気やふらつきといった副作用を軽減する。薬を飲んでも、仕事や作業に支障が出ないようにする。
どれも派手ではない。けれど、確実に価値がある。
もし、ここを改善できたら……。
風邪は、誰もが罹る。子供も、大人も、貴族も、平民も関係ない。
その風邪薬が、今より少しでも優れたものになれば。恩恵を受ける人数は、他のどんな薬よりも多い。
地味だけど、誤魔化しの効かない挑戦。そして、成功すれば――誰の目にも分かる、大きな功績。
思わず、口元が引き締まった。
「……随分、難しいところを選んだね」
そう言うと、スウィンは楽しそうに肩を揺らした。
「でしょ? でも、だからこそ意味がある」
その目は、先ほどまで軽さとは違う。研究者の目だった。
その目を見た瞬間、胸の奥が静かにざわついた。
難しい。失敗すれば評価を落とす。それでも、だからこそやりがいがある。
長年使われてきた風邪薬を、ほんの一歩でも前に進められたなら。それは錬金術の価値そのものを示すことになる。
素材の組み合わせや調整案が、自然と頭に浮かび始める。気づけば私は、もう逃げる理由を探していなかった。
ゆっくり息を吸い、スウィンを見る。
「……分かった。簡単じゃないのも、失敗の可能性が高いのも理解してる」
それでも視線は逸らさない。
「だからこそ、やる意味があるよね。その挑戦、受けます」
すると、スウィンは嬉しそうに笑った。
「いい目だ。その顔が見たかった」
机に並ぶ風邪薬は、ありふれたものだ。けれど今、この瞬間から――。
それは、錬金術の価値を証明する最前線になる。




