第5話 大演説の前夜
夜。
霧の街 ヴァル・ロンドリア。
人狼政治家 ロウニン政治事務所ビル。
明日の昼。
ロウニンは議会にて大演説を予定していた。
テーマは一つ。
白亜党批判。
怪人排斥思想を正面から否定する演説。
新聞も騒いでいる。
「共存か排除か」
街の未来を決める夜になる。
その前夜。
探偵 アレクシス は白亜党幹部の調査結果を
報告するためロウニン事務所を訪れる。
入口の警備ロビー。
空気が張り詰めている。
その中央に立つのは
グレゴール。
ロウニン政治事務所の警護責任者。
巨大な体。
灰色の毛並み。
鋭い牙。
人狼の獣人。
軍人のような直立姿勢。
しかし耳は常に動き周囲の音を拾っている。
鼻をわずかに鳴らす。
くん、と空気を嗅ぐ。
アレクシスを見ると低く喉を鳴らす。
グレゴール
「……探偵か話は聞いている。」
短く言う。
「議員は上だ」
「演説原稿を仕上げている」
低く響く声。
その時。
奥の廊下から足音が近づく。
軽く床を蹴るようなしなやかな足取り。
現れたのは
マーサ。
ロウニンの秘書。
年配の女性。
背は少し丸い。
長い腕。
茶色い毛。
猿人の獣人。
年齢は六十近い。
だが動きは素早い。
書類を抱えながらひょいと机に飛び乗るような軽さで
棚の書類を取る。
マーサ
「あら」
アレクシスを見る。
優しく目を細める。
「探偵さん」
「こんな時間に」
少し息を整える。
「議員は今」
「明日の演説で頭がいっぱいですよ」
彼女は机に置いた書類を器用な指で整える。
猿のような手つき。
長年の秘書らしい
素早く正確な動き。
マーサは誇らしげに言う。
「議員は」
「本当に真面目な方です」
「怪人も人間も」
「同じ街の住人だって」
「ずっと言い続けてきた」
グレゴールが鼻を鳴らす。
人狼特有の低い音。
「だが敵も多い」
「明日の演説は危険だ」
マーサは軽く頷く。
「ええ」
「でも」
少し笑う。
「ロウニン議員は」
「逃げない人ですから」
その時。
廊下の奥から
ひょい
と柱の影から顔が出る。
細い顔。
素早い目。
長い尾が床を軽く叩く。
サイファー。
若い猿人の少女。
マーサの娘。
サイファー
「まだ帰ってないよ」
壁に軽く手をつきするりと近づく。
猿のようにしなやかな動き。
アレクシスを見ると
少し目を輝かせる。
「探偵だ」
マーサが軽く叱る。
「サイファー」
「議員の仕事の邪魔しちゃだめ」
サイファーは肩をすくめる。
「してないよ」
尾をゆらす。
「勉強してただけ」
グレゴールが耳をぴくりと動かす。
「議員は執務室だ」
「このフロアには」
「我々しかいない」
鼻を鳴らす。
「知らない匂いはない」
つまり
侵入者はいない。
マーサは言う。
「議員は一人です」
「原稿を書いています」
アレクシスは廊下を見る。
奥の重い扉。
ロウニン執務室。
アレクシスは歩き出す。
廊下に
静かな足音。
扉の前。
ノック。
コン。
返事なし。
もう一度。
コン。
沈黙。
アレクシスはドアノブに手をかける。
回らない。
鍵がかかっている。
内側から。
グレゴールが近づく。
鼻を鳴らす。
くん。
血の匂いを探すように空気を嗅ぐ。
眉が動く。
グレゴール
「……」
「鍵を開ける」
彼が鍵を回す。
扉がゆっくり開く。
その瞬間。
鉄の匂い。
血の匂い。
人狼の鼻がそれを強く感じ取る。
部屋の中央。
机の前。
倒れている。
ロウニン。
人狼政治家。
灰色の毛並み。
その胸に
銀のナイフ。
血が床に広がっている。
マーサの手から書類が落ちる。
「……議員?」
震える声。
猿人の長い指が震える。
サイファーの尾がぴたりと止まる。
グレゴールが近づく。
膝をつく。
耳が下がる。
数秒。
そして低く言う。
「……死んでいる」
マーサの悲鳴。
「いや……!」
「そんな……!」
アレクシスは部屋を見る。
窓。
閉まっている。
内側の鍵。
扉。
今まで
施錠。
警備廊下。
侵入者なし。
つまり。
アレクシスは静かに言う。
「密室だ」
霧の街。
政治家の死。
そして
この部屋にいる者たち。
全員が容疑者になる。




