第6話 三日目の朝、 静かな始まり
霧はまだ薄く、庭の芝に露が光っている。
ラドック邸の朝は、いつもと変わらぬ規律の中で始まった。
重厚な玄関扉が内側から静かに開き、
外気が廊下をひと撫でする。
厨房ではすでに火が入っていた。
鉄鍋の小さな沸騰音。
パンを切る乾いた音。
銀食器を磨く布の擦れる音。
「今朝の新聞を」
低く落ち着いた声。
執事ハロルド・ヴェイン(68)が廊下を進む。
背筋は伸び、足取りは一定。
三十年変わらぬ所作。
玄関脇の小卓に、封筒が一通置かれている。
黒い封蝋。
だが、まだ誰も気づかない。
二階では秘書クラリス・モーン(29)が書斎の机を整えていた。
帳簿を揃え、万年筆を置き、
窓をわずかに開ける。
「本日の予定は十時に警部補来訪」
淡々とした声。
警備責任者ドーラン(41)は庭を巡回している。
靴が砂利を踏む音。
視線は鋭い。
爆破の兆候はない。
侵入の形跡もない。
「異常なし」
短い報告。
書庫ではエドウィン(55)が古書の埃を払っていた。
棚の隅に視線を止める。
昨日までなかった小さな黒い影。
だがそれも気のせいかのように、彼は本を戻す。
遠縁の親戚マリア(33)は朝食室で紅茶を口にしていた。
優雅な仕草。
だが視線は落ち着かない。
時計を見る。
午前七時。
三日目の朝。
屋敷は穏やかだ。
鳥が鳴く。
庭師が剪定ばさみを鳴らす。
ラドックは寝室で目を覚ます。
額には冷たい汗。
夢を見た。
湿った土。
地下坑道。
黒い光。
彼は枕元を確かめる。
何もない。
だが胸騒ぎは消えない。
そのとき。
玄関で使用人の小さな悲鳴。
「こ、これは……」
ハロルドが静かに歩み寄る。
小卓の封筒。
封蝋は黒。
中央に描かれた古い紋様。
中には一枚の紙。
短い一文。
破滅の三日目。
机の上に、鈍く光るもの。
黒い金属の円盤。
破滅のコイン。
朝の光がそれを照らす。
屋敷の空気が、わずかに凍る。
それでも、時計は進む。
普段と変わらぬように見える朝。
だが。
破滅の刻限は、確実に近づいていた。




