第16話 精霊魔法
扉の前で、俺は一度立ち止まった。
『ユニーク職〈精霊術師〉に関するデータ、該当情報なし。おそらくこの先の継承の間に、その詳細が存在すると思われます』
アルゴの言葉が脳裏で反響する。
「せめて少しくらいは情報を仕入れたかったが……」
まぁ、分からないものを考えても仕方ない。
俺は先に進むべく、扉に手をかける。
その時、アルゴから一つ反応があった。
『ホスト、異常反応を検知。体内魔力回路の一部が、未知の魔力と共鳴しています』
「未知の……?」
『推定:イフリート由来。先ほどの戦闘後から、あなたの魔力構造に干渉が続いています』
「イフリート……? さっきの奴が、俺の中に?」
たしかに違和感は感じていた。
なんというか、さっきから脈打つ腹部の赤いコアに、いつもとは違う熱が走っている。
まるで何かが近くにいるような感覚。
そして、ふと気づいた。
右手の甲が、淡く光っている。
「……なんだこれ?」
赤い紋様。
螺旋を描く三つの輪が、中心で一点の炎を包み込んでいるような形の。
『融合、または同調現象の初期段階と判断されます』
「融合……? 同調現象……?」
理解が追いつかない。
さっきから訳の分からない単語の続出で、俺の頭はパンクしそうだ。
この全てを俺が理解するためには、
〈継承の間〉
「……この先で確かめろってことか」
息を吐き、掌を握る。
赤い紋が応えるように光った。
その光は、まるで俺の意思に同調しているかのようだった。
「行くぞ、アルゴ」
『了解。ユニークダンジョン最終領域、継承の間へ』
俺は重い扉を押し開けた。
その瞬間、空気が変わる。
熱でも冷気でもない――静寂そのものが、俺の肌を撫でていった。
そこは、神殿のような広間。
しかもここはダンジョンの中のはずなのに、なぜか空がある。
青く澄んだ空に一面の雲。
「……ここが、継承の間か」
『注意:この部屋、クリア条件不明。目的データの解析不能。推奨行動――慎重な観察』
アルゴの声が脳内に響く。
「クリア条件が不明……?」
そんなこと今までのダンジョンで一度だってなかったぞ。
大抵はボスを倒せば出られるが、ここにはそれらしき者もいない。
なら、俺は一体何をすれば――
「久しいな。ここに人が訪れるのは」
それは静穏な男の声だった。
白い衣を纏い、杖を手に持つ老人が、目を閉じたまま神殿の中心で静かに立っていたのだ。
さっきまでそこには居なかったはず。
まるで視えてはいけない存在かのように、彼は突然姿を現した。
「あんたが、継承の間のボスか?」
問いかけに返事はない。
ただ、微かに唇が動く。
「……そこの精霊を求める人の子よ。そなたが精霊に相応しいかどうか、私が確かめよう」
その声は、常に静かでどこまでも深かった。
老いを感じさせない、研ぎ澄まされた音。
聞くだけで、胸の奥に何かがざわめく。
「精霊を……求める?」
俺の問いに、老人は杖を軽く振る。
音も衝撃もないのに、空気が波打つ。
『魔力反応、五系統同時展開。炎、水、雷、風、土――全属性の魔力を確認』
淡々とアルゴが語る。
老人は静かに目を開けた。
そしてもう一度、軽く杖を振る。
すると老人の足元から具現化した炎が舞い上がり、羽織りのように絡みつく。
それは鬼のような面を浮かべた炎の精霊。
老人の背後でゆらりと形を変え、やがて彼の身体と一体になった。
「なんだ、それ?」
広間の温度が跳ね上がる。
「これは精霊融合。自らの精霊と、力を共有するということだ」
炎鬼の面を被った老人。
「この力、まずは身をもって知れ」
その見た目にそぐわない平静な声。
だが空気の魔力は、金属のように軋んだ。
「……上等だ!」
熱が、胸に宿る。
俺は深く息を吸った。
結局戦うことになるんだな。
つまり、コイツを倒せば俺の勝ち。
精霊術師についても、きっとその後の報酬とかで、詳しく知れるってことだろう。
老人が炎と一体になった杖をつくと、
一瞬で炎が、弾けた。
杖先から放たれた赤い火炎が一直線に迫る。
「……っ!? 〈フレイムランス〉!」
一切の予備動作すらなく放たれたそれに、俺は反射的にそう唱える。
というか、そうするしかなかった。
『ホスト、直ちに回避推奨!』
俺の炎が老人の炎とぶつかる直前の警告。
だがその後すぐ、アルゴがそう判断した意味を俺は知ることになる。
俺の放った火は、老人のそれに呑まれたのだ。
吸い込まれ、混ざり、無に帰す。
同じ炎なのに、格が違う。
「なっ……!」
導き出された回避ルートが視覚化され、俺は身体強化による脚力で飛び退いた。
「これが、精霊魔法……」
声が震える。
恐怖ではない。純粋な畏れだった。
老人が次に軽く杖を振ると、
纏った炎が一瞬で雷へと変わり、轟音と共に床を裂いた。
「この程度で驚くか。精霊とは本来こういうものだ」
さらに水、風、土――その切り替えは瞬時。
まるであの老人だけ、魔法の法則そのものが異なっているかのようだ。
『属性変換速度、観測不能。攻撃パターンの解析、追いつきません!』
俺は加速同期を最大まで上げる。
世界が粘度を持ち、すべてが遅く見える――はずだった。
だが、老人はそれすら超えてきた。
杖がひとつきするだけで、五属性の魔法を瞬時に切り替え、有り得ない速度で放ってくる。
「く……っ!」
魔法を放てば即座に打ち消され、間合いを詰めようとすれば風が刃になる。
圧倒的。
絶対的。
それでも、心のどこかで――美しいと思った。
これが、精霊を使う者。
精霊術師か。
くそ、俺だって精霊術師なったはずだ。
イフリートが干渉してるって、アルゴは言ってた。
俺の中にいるなら、
なぜ――応えてくれない!
なぜ俺には精霊魔法が使えないんだ!
魔法の連打に為す術ない。
視界は赤く染まり、俺の肩口を灼く痛みが走る。
「ぐっ……!」
焼けた皮膚の匂い。
次第に視界が揺れ始める。
「力とは命令ではない。共に在ることだ」
老人の声が、静かに響く。
「使おうとするな。精霊は道具ではないぞ」
炎の鬼面がその声に合わせて笑ったように見えた。
全身が痺れ、息が上がる中、老人のその言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。
「……そう、だよな」
歯を食いしばり、拳を握る。
そうだ、俺は戦闘補助AI、アルゴを使ってきたわけじゃない。
一緒に戦ってきたんだ。
共に在り、支え合ってきた。
だったら、コイツもきっと同じだ。
(なぁイフリート――お前のこと、俺とアルゴに教えてくれよ)
すると、胸の奥で何かが共鳴する。
『……ホスト、イフリート由来の同調現象が、最終段階へと移行しました』
熱が、鼓動と同じリズムで脈打っていた。
『反応検知――イフリートの魔力がホストの魔力回路に干渉中』
「……あぁ、分かってる」
炎が肩口から溢れ出した。
燃え広がるわけではない。
意志を持った火が、形を作っていく。
それは小さな竜の輪郭。
その身は炎の鎖のようにうねり、肩から腕へと絡みつく。
そして具現化された火竜は、俺の肩にチョコンと顎を添え、小さく鳴いた。
「これが……俺の、精霊……」
炎が答えるように身体を這う。
腕を包み、背中を覆い、上半身に広がっていく。
老人の目がわずかに見開かれた。
「ようやく、火の声を聞いたか」
『魔力同調率、上昇――四十二%、五十一%……八十九%……精霊融合、完了しました』
身体を纏う炎、肩口に乗っかったイフリート、全部が俺の魔力だとばかりに、力が無限に溢れてくる。
「――行くぞ、イフリート!」
「ここからが本当の試練だ」
老人の声が、熱の中で静かに響いた。




