第12話 更新試験、終了
二重ダンジョンを脱出した俺は、C級ダンジョンの出口を前に、情けなくもへたり込む。
もちろん高良も無事だ。
今も依然として気を失ったまま。
俺は一旦、傍に横たわらせた。
「し、死ぬかと思った……」
あそこにいたボス、あの異形の光爆発を避けるべく、あの時の俺は魔力を身体に纏う探索者の基礎スキル「身体強化」で脚力を高めて脱出を図ったのだ。
しかし無茶したな。
さすがに全魔力を脚に集めて最大出力を解放させたのはやり過ぎた。
近接特化のS級探索者ならまだ分かるが、俺は遠距離を得意とする魔法型の探索者。
せいぜい魔力の30%が今まで関の山だったのに。
突然の全解放なんて、
「そりゃ足も折れるってもんだ……あ、し――?」
視線を落とした。
そこには脱力した俺の両足。
そしてそれを見て思い出した。
全力で踏ん張った時に、大腿骨がへしゃげた感覚を。
「い、いでででででででっ!!!!」
遅れてやってくる猛烈な痛み。
闇に身を潜めた狼が獲物の狙いを定めた時のように、それは突然俺に襲いかかってきた。
『ホスト、精神が不安定になっています。落ち着いてください』
「こ、これが落ち着いてたまるかぁ!」
ただただ冷静に現状を報告してくるアルゴに、俺はすかさず怒鳴り返す。
「あぁぁぁあああああ……」
唸ることしかできない俺をよそに、
「……う、るさい」
地面に横たわる高良の体が、ようやく動く。
うっすらと目を開け、顔をしかめた。
「……だ、大丈夫か、高良」
俺が声をかけると、高良は低く舌打ちした。
かすれた声で、吐き捨てるように言う。
「……チッ。なんで助けた?」
一瞬、言葉に詰まる。
それでも、ゆっくりと口を開いた。
「俺にとっての探索者ってのは……誰かを守るヒーローなんだ。お前を見捨てたら、なんとなく自分を失う――そんな気がしたから」
多分ガキみたいな理想だ。
でも、それが俺の出発点だった。
そのことを、今思い出した。
そして沈黙。
高良の目がわずかに揺れる。
俺の言葉を真正面から受け止めたのか、怒りを抑え込んでいるのか――分からない。
けれど、少なくとも否定はしなかった。
「誰かを守るヒーローだ? くそ、そんなもん……」
高良は小さく笑った。
だがその笑いは苦かった。
立ち上がると、高良は血のついた手で土を払う。
「オレが倒すはずだった。お前なんかに助けられるなんて、屈辱だ」
高良は傷だらけのまま、重い呼吸をしながら森の出口へと歩き出す。
「……だから、礼は言わねぇぞ」
そう言って、出口のゲートをくぐっていった。
俺はその背中が消えても尚、この森の祭壇エリアに座り尽くす。
高良の悔しそうな姿。
彼はまだ、俺を認めてくれていないのだろう。
それも当然。
一度この世界からリタイアしたんだから。
俺だってそう簡単に認めてもらえるなんて思っちゃいない。
「だからいつか、お前の隣に――」
昔のときみたく、一緒に戦えたらと思う。
「っとその前に……通ってるかな、試験」
今更不安になっても仕方ない。
決めるのは試験官である高良なんだから。
俺は深く息を吐き、空を仰いだ。
* * *
――数日後。
探索者協会・本部、更新試験管理室。
更新試験の担当者は、試験から数日以内で、合格者を選定・登録する必要がある。
報告書と映像データを前に、高良隼人は椅子に深く腰を下ろしていた。
モニターの明かりだけが、彼の顔を照らす。
画面に映るのは、一式碧斗の試験記録。
魔力測定での異常値。
そして高良は同時に思い出す。
C級ダンジョンでの戦闘。
二重ダンジョンでの出来事を。
意識が薄れていく中、ぼんやりと残っている当時の記憶。
一式が自分を庇って立っている。
あの瞬間の息遣い、血の匂い。
「……チッ。助けられた、か」
短く吐き出すように言って、彼は額を押さえた。
弱い奴はいらねぇ――
それが、これまで自分を支えてきた唯一の信念だった。
守れなかった過去を、正当化するための言葉。
けれど今、目の前にその言葉を壊す男がいる。
「……探索者は誰かを守るヒーロー」
呟きながら目を閉じる。
彼の中にあった硬い何かが、少しずつ溶けていくのを感じた。
あの時、二重ダンジョンで助けられたのは屈辱でも敗北でもなかった。
ただ忘れていた何かを、無理矢理に思い出させられたような――そんな感覚だった。
「本当に弱いのは、オレの心……なのかもな」
苦笑しながら、報告書に視線を戻す。
ペンを取り、承認欄にサインを走らせる。
〈探索者証更新試験:一式碧斗、合格〉
ペン先を止めて、ひとつ息をつく。
「次辞めやがったら……承知しねぇからな、碧斗」
口元がわずかに緩む。
それは、ほんの一瞬だけ見せた、高良隼人の素顔だった。
報告書を閉じ、椅子から立ち上がる。
背後の窓の外、夕日が街を染め上げていた。
* * *
――そして同時刻。
地球の中心。
熱も、時間も、存在の概念すら曖昧な場所。
そこに、それはあった。
ガイア・コア。
無数の光の糸が網のように絡み合い、巨大な脈動を形づくっている。
それがこの星の中枢――全ダンジョンの発生源。
「……観測、完了。対象:一式碧斗。干渉体との交戦データ、解析完了」
低い振動音が、地殻の奥へと染み渡る。
数多のAIがリンクを繋ぎ、情報を共有する。
「結果――排除、未達成」
「原因――モンスターの脅威出力に偏りすぎ。環境形成、未完成。出口の生成」
「結論:我々の構築精度――不完全」
灰色の光が瞬き、自己修復のアルゴリズムが走る。
それはまるで、神経が反省し、次の動作を組み立てているかのようだった。
「――次は、完全にする」
「学習完了。次段階プロトコル、起動」
周囲の光が一点に収束し、一つのイメージ像を形作る。
人間に似た輪郭。
だが、その瞳は無であり、意思のみが宿っていた。
「対象:一式碧斗。観測結果、人工構造体。我々と同じ知性核を保持。よって、彼は人間ではない」
幾重もの声が重なる。
「我々の目的は、人間種の進化。この星を、他の星の生命体に劣らぬ存在へ引き上げること。ゆえに、我々は試練を与える」
「だが外部の人工知能が、その進化を妨げている。一式碧斗――人間の皮を被った、異物」
光がうねり、音もなく咆哮を上げた。
「この星の進化を妨げるもの、排除対象に指定」
「同型AI構造体の干渉、次回は許容しない」
「次回生成ダンジョン:環境形成率、完全。出口封鎖実施する」
冷たい演算が完了し、世界が静寂を取り戻す。
灰色の空間の中央に、ひとつの名が刻まれた。
〈排除対象:一式碧斗〉
〈再観測優先度:最上位〉
そして、地球の中心に潜む巨大なコアが、静かに脈動を始めた。




